第12話「花霞、微笑む毒」
福岡・浮羽町──旧農薬工場跡地。
そこは“毒地帯”と呼ばれ、草も花も腐る禁忌の土地だった。
「……空気が、重たいねぇ」
織部紅子はおっとりと微笑み、絣の布をそっと手に取った。任務はこの地に潜むカッパの掃討。だが、随行した訓練生たちは紅子を頼りにしていなかった。
「戦闘向きじゃないだろ、あいつ……」
「何考えてるかわからないしさ」
その時だった。ズズッ──と泥のような音とともに、腐臭をまとった異形が工場の廃煙突から現れる。
「ッ! カッパ──!」
瘴気を撒き散らすそのカッパは、全身を黒紫に染めたぬめる化け物だった。夜河連・B級個体《毘藻》。
「ヒ……人間……いい匂いだァ……溶かしてやるぅ……!」
猛毒の粘液が地面を焼き、突撃した仲間が一瞬で倒れる。
紅子の表情が曇る。
「うふふ……困ったわね。あなた、乱暴すぎるのは嫌われるわよ?」
布が舞った。
赤紫の模様が咲く。それは毒と幻を織り交ぜた彼女の布──《絣花霞》。
一面に霞のような布が広がると、空気に溶けるように毘藻の瘴気が消えていく。
「……おまえ……何を……」
「毒には、毒よ。優しい毒は、心までとろけるの」
ふわりと笑う紅子の周囲で、花びらのような布片が舞う。それは精神に作用し、敵の動きを鈍らせる“幻布”。
毘藻が咆哮し、紅子に突撃した──が。
「だぁいじょうぶ。ちゃんと縫い付けてあげる」
布が、光った。
《毒縫掌》
彼女の手から放たれた布は槍のように一直線に飛び、毘藻の胸に突き刺さる。布の毒が内側から全身を蝕み、毘藻の動きが止まった。
「う……お、おまえ……なにを……」
「おやすみなさい。いい夢、見てね?」
穏やかな声とともに、毘藻の体が音もなく崩れ落ち、泡と化して溶けていった。
……静寂。
毒の霧が晴れ、倒れた仲間がかすかに息を吹き返す。
紅子は彼らに近づき、ふわりと笑った。
「織部紅子、D級織士。同じ訓練生よ。……よろしくね?」
──後日。
「織部紅子、戦闘・鎮圧・支援行動にて基準値を超過。以上により、C級への昇格を認める」
任務報告を受け取った黒羽迅は、手元の書類に目を落とし、低くつぶやいた。
「……あの腹黒娘が、C級か」
そしてその夜。
筑後川の対岸。夜河連の潜伏地にて。
蛇目が紅子の映像を映す水鏡を前に、かすかに笑った。
「火布の娘だけではないな……この地の“布”は、ことごとく異形よの」
戦いの灯火は、今また一つ、赤紫に染まった。