第11話「火の傷痕」
──その夜、任務を終えて帰還した柚葉は、訓練棟の更衣室にいた。
シャワーを浴びた後も、火布を手にした指先が震えている。
(これが、“戦った”ってこと……)
火布の感触は、まだ掌に残っていた。焼き尽くした敵の悲鳴。目の前で崩れ落ちた泥の残骸。すべてが現実だ。
「……ちゃんと、できた。怖かったけど……」
呟く声は、どこか震えていた。
そのとき、更衣室のドアが開いた。入ってきたのは、白い訓練服姿の少女──織部紅子だった。
「柚葉ちゃん、おかえりなさい。初任務だったんでしょ?」
柔らかな声。その表情は、いつも通りにこにことしていたが、どこか目だけが鋭く光っていた。
「……うん。なんとか……倒せた」
そう言っても、誇らしさより、重さが勝っていた。
紅子は隣に腰を下ろし、そっと火布に視線を落とした。
「この子、ちゃんと応えてくれたのね。よかったわぁ……」
「……私、怖かった。初めて、“殺した”から……」
言葉が自然と漏れる。紅子は、静かに首を横に振った。
「ううん。“殺した”じゃない。“守った”のよ。柚葉ちゃんは」
「……守った?」
「そう。人間を、街を、そして──自分自身を」
紅子の声はおっとりとしていたが、奥に確かな力があった。
「怖いのは当然よぉ。私だって、初めて“毒布”で敵を仕留めたとき、しばらく眠れなかったもの。でもね、あのとき火の子ちゃんが泣きながら訓練してたの、知ってる。あの涙が、今日の“火”を生んだのよ」
柚葉は目を見開いた。
「……見てたの?」
「ふふ。同期だもの。見てるに決まってるじゃない」
紅子は微笑んだまま立ち上がると、自分の布を軽く手に巻いた。
「これから、もっと“汚れる”わ。血や泥、憎しみや怒りで。でもね──それを知った先に、“本当の織士”がいるの」
その言葉は、不思議と柚葉の胸に灯をともした。
紅子はくるりと背を向けると、最後にふっと振り返って囁いた。
「……おめでとう、柚葉ちゃん。“初陣”突破ね」
そして、静かに去っていった。
***
その頃──筑後川の上流、夜の濁流をたゆたう黒影があった。
「火布の娘……人を灼いたその炎……いずれ、己をも焼く」
呻くような声。沼の奥底より這い出る異形の影──夜河連・第壱柱 蛇目。
彼の眼は、すでに久留米の一角を見据えていた。
「よかろう。“芽”が出たなら、“刈る”が理よ……」
周囲の水面が黒く染まり、淀み、歪む。
蛇目が動き出すとき、久留米の夜は一気に深まる。
──柚葉の焔が灯ったことで、夜河連の“牙”が、次なる咆哮を準備しはじめていた。