表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/5

第二章 終わらない日常と狂気

カチャン、その音で、目が覚めた。


頭が重くて、思考がすぐには追いつかない。少しずつ、視界が明るくなる。

見慣れない天井。

白く、無機質で、どこにも生活の気配がなかった。


起き上がろうとしたが、手首が床に引っ張られる感触があった。

重い。痛い。金属の冷たさが肌に触れている。


「......なにこれ」

思わず口をついて出た声はかすれていた。


手足を見下ろすと、床に打ち込まれたリングに鎖で繋がれていた。右手首、左足首、自由は奪われていた。


部屋の中を見渡す。窓は、ない。

白いコンクリートの壁。

天井に取り付けられたひとつのライトが、淡々と照らしていた。

机と椅子が二つ、壁に掛けられたバット、ペンチ、ナイフ。無造作に、それでいて意図的に配置されているように思えた。


これは、夢じゃない。


そう悟った瞬間、胃の奥がぐっと重くなり、吐き気がこみ上げる。

喉が乾いているのに、唾が飲み込めない。


「蓮、起きた?」

あの声がした。


ガチャ

扉が開き、あかりが入ってきた。プレートを持っている。乗っているのは、香りの良いカレーだった。

湯気を立てる料理と、そのあまりにも日常的な雰囲気が、この異常な空間に不気味に溶け込んでいた。


「お腹空いたでしょ?」

あかりは、机の前に椅子を置き、僕の方を見てにっこりと笑った。


僕は動けなかった。動きたくても、どう動けばいいか分からなかった。

けれど、逃げたら何かされるかもしれない。何も言わないまま、彼女の意図に従うことにした。


「......ありがとう」

震える声でそう言うと、彼女の笑顔がさらに柔らかくなる。


「ほら、食べて。冷めちゃうよ」

あかりは僕の手を取って、スプーンを握らせた。


カレーは驚くほど、美味しかった。


「どう?」と聞かれて、思わず「おいしい」と答えてしまう。


その瞬間、あかりは満面の笑みを浮かべた。

その笑顔には、僕の知っているあかりと、知らない誰かがいた。


僕はまだ、夢を見ているのかもしれない。

だけどこの部屋の冷たさと、鎖の重みが、これが現実だと告げていた。


食事が終わると、あかりは食器を片付けて部屋を出た。

その間、僕は膝を抱えていた。胃の中にあるはずの温かい料理さえ、恐怖を溶かしてはくれなかった。


しばらくして、あかりが戻ってくる。

今度は、丁寧にラッピングされた小さな箱を抱えていた。


「はい、プレゼント」

そう言って、僕の前に箱を置く。


「......何これ?」


箱のリボンを外し、蓋を開ける。


中には......真っ赤な首輪が入っていた。柔らかい革製で、金色の鈴がついている。


一瞬、頭が真っ白になる。


「蓮に似合いそうだと思って」

彼女は、まるで子供がぬいぐるみを選ぶような笑顔で言った。


「...冗談、だよね?」

僕の声はかすれていた。

けれど、あかりの目は笑っていなかった。


「つけてみてよ」

柔らかい口調なのに、その声は拒否を許さない。


僕が顔を曇らせると、あかりは微笑を消した。

「私からのプレゼントは、つけられないの?」


その声に、背筋がぞわりと凍る。

逃げ場のない空間で、拒否という選択肢はあまりに危険だった。


「......そんなこと、ないよ」

僕は震える手で、首輪を手に取る。


留め具を外して、首に巻いた。鏡なんてないのに、あかりはすぐに満足そうに頷いた。


「やっぱり、とっても似合う」


微笑んだ彼女の目が、何かに満たされているようで、僕は目を逸らした。


鈴の音が小さく響く。

ああ、これはもうペットの音だ。僕は彼女の所有物になったのだ。


言葉にするのも恐ろしい真実が、静かに僕の中に落ちていった。



朝が来ても、光は差さなかった。


部屋には窓がなく、時間の感覚は、あかりの出入りで測るしかない。


彼女は毎日、食事を運んでくる。時には着替えも用意して、僕の髪を撫でたり、爪を切ったりもした。


まるで恋人同士のように。いや、飼い主とペットのように。


彼女は常に笑っていた。優しく、穏やかに、そして壊れたように。


「ねえ蓮、ここって、安心できるでしょ?誰にも邪魔されないし、ずっと2人きりだよ」


そう言って僕の髪を撫でるその手が、震えているように見えた。


僕はうなずくしかなかった。下手な反応をすれば、何が起こるかわからない。


ある日、彼女が紙とペンを持ってきた。


「ねえ、暇でしょ?絵でも描いてみたら?」


嬉しそうに差し出されたその紙を受け取り、僕は少し迷ったあと、こう言った。


「......外の景色を描いてもいい?」

その瞬間、あかりの表情が凍りついた。


「...なんでそんなに私以外を欲しがるの?」

声に刺があった。

僕はすぐに言い直す。


「ごめん。あかりを描こうと思ったんだ。ただ...どう描いたらいいか、わからなくて」


苦し紛れの嘘だった。でも、それしか言えなかった。


彼女はしばらく僕を見つめていた。

次の瞬間、壁にかけてあったナイフを手に取る。


......やばい。


逃げようとしたけれど、鎖が邪魔をして動けない。

彼女は僕の右手を掴み、ナイフを手のひらに押し当てた。


鋭い痛みが走る。

「ひっ......!」


声にならない叫びが喉を突き上げる。


彼女はその血まみれの手を見つめ、ゆっくりと自分の口元に近づけた。

そして、舌を出し、血を舐めた。


「私以外は、必要ないの」


優しく、まるで母親が子供に言い聞かせるような声だった。


このままじゃ、僕は壊される。

心が、理性が、命が、全部、あかりに飲み込まれてしまう。


逃げなきゃ。

本気で、そう思った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ