前編 第一章 出会いと日常
あかりとは、高校の入学式の時に出会った。
春の風がまだ肌寒くて、誰もが緊張の面持ちで校門をくぐる中、彼女だけが太陽みたいな笑顔をしていたのを、今でも覚えている。
「ねえ、君も一年生? 何組?」
初対面の僕に、あかりはまるで昔からの友達のように話しかけてきた。
明るくて、よく笑って、誰にでも分け隔てなく接する彼女は、すぐにクラスの中心になった。
一緒に過ごす時間が増えて、自然と僕もその輪の中にいた。
昼休み、友達と話していると、決まってあかりがやってきて、僕の隣に座った。
それがいつの間にか当たり前になっていた。
「付き合ってるの?」って、何度か聞かれたこともある。
そのたびに「違う」って答えたけど、本当はどこかで少し、嬉しかったのかもしれない。
あかりといると、時間があっという間に過ぎていった。
冗談を言って笑って、たわいもない話をして、
それだけでよかった。
ずっと、この日々が続けばいいのに。
そう、思っていた。
三年生の六月。
夕暮れは、まだ明るくて、空はほんのり茜色に染まり始めていた。
学校帰り、僕とあかりは並んで歩いていた。
いつもの帰り道。特別なことなんて、なにもないはずだった。
「ねえ、蓮。今日このあと、時間ある?」
いつもの調子で、軽い声色で言う。けれど、その目は、なぜかじっと僕を見つめていた。
「ごめん。今日は、ちょっと...家でやらなきゃいけないことがあってさ」
あかりの誘いを断るのは、正直言って珍しい。けど本当に、課題が溜まっていた。
「あ〜、そっかぁ」
あかりは一度うつむいて、それから、にこっと微笑んだ。
「でもさ、ちょっとだけならいいでしょ?ほんの少し話すだけ。ね?」
その時の笑顔は、いつもの明るさの中に、ほんの少しだけ圧力が混ざっていた。
冗談っぽく笑ってるのに、断ったらまずい気がして、僕はつい、頷いてしまった。
「...うん。少しだけなら」
「やった!」
あかりは子どもみたいに笑って、僕の腕を掴んだ。
少しだけ、強く。
それから僕たちは、いつもの帰り道から外れて、山の方へと続く坂を登りはじめた。
「あかりの家って、こっちだったんだ」
「うん。ちょっと山の方なの。静かでいいところだよ」
そう言って、あかりは振り向きざま、にっこりと微笑んだ。
夕陽が、その笑顔を照らしていた。あんなに明るい顔が、なぜだかその時、少しだけ怖く見えた。
住宅街を抜け、舗装が荒くなった道をしばらく歩いた。辺りには家も人もなくなり、山の緑と鳥の声だけが支配する静かな空間に変わっていく。
「本当にここに家があるの?」
不安になって聞くと、あかりは笑いながら頷いた。
「あるよ。すっごく広くてね。今は、私ひとりだけど」
軽く言うその口調に、どこか淋しさが混じっていたようにも聞こえた。
やがて見えてきたのは、木造の洋館のような大きな家だった。
庭は広く、手入れも行き届いていたけれど、どこか無機質な感じがした。
「......でかいな」
感嘆の声が自然と漏れた。
「でしょ? さ、中に入って」
靴を脱いで上がると、柔らかい香りが鼻をくすぐった。
あかりが好きそうな、フルーツ系の香水の匂い。
リビングに通され、僕たちは向かい合ってソファに腰を下ろした。大きな窓からは夕日が射し込んでいて、室内は赤色に染まっていた。
あかりは紅茶をいれてくれた。温かい香りと共に差し出されたカップを受け取る。
その時、少しだけ、彼女の手が震えているように見えた。
「両親は?」
と尋ねると、あかりは静かに答えた。
「海外。たぶん二、三年は帰ってこない」
それきり、少しの沈黙。
だけど、重たい空気というよりは、妙に落ち着いていて、不思議と心地よかった。
僕は紅茶に口をつけた。やさしい味。なのに急に、強烈な眠気が襲ってきた。
「......え?」
視界が揺れる。手からカップが滑り落ちそうになる。頭が重い。まぶたが勝手に閉じようとする。
「ねえ、蓮ー」
あかりの声が遠くで聞こえる。振り返ると、彼女が僕を見下ろして、にやっと。
今まで見たことのない笑みを浮かべていた。
その笑顔が最後だった。
世界が、ゆっくりと闇に沈んでいった。