第14話 スイカの匂いがする魚が鮎
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「焼けたぞ」
建さんが俺に白いビニール袋を手渡してきた。
袋には蓋と一体化した透明プラスチックのケースが二つ入っている。
一方のケースにはヤマメの串焼きが四本、もう一方に鮎の串焼きが三本入っていた。蓋が開いてしまわないように輪ゴムで止めてある。
六人なのに、あわせて七本の串焼きが入っているということは俺の分も含まれているのだろう。そういう気の回し方はいらないのに。
俺は此花たちがいるはずのキャンプ場上流に足を運んだ。
キャンプ場の設備を利用しない一般の河原利用者たちがブルーシートを敷いたり自分で持ち込んだ椅子やテーブルを並べたりして思い思いに過ごしていた。
此花たちは一枚の大きなブルーシートではなく二畳敷ぐらいの小振りのレジャーシートを何枚か並べて敷いて上に玉石の重りを載せ風に飛ばされないような拠点を築いていた。
「お待たせいたしました」と俺はレジャーシートに座っていた此花たちに声をかけた。
雑談ではなく接客業務だと割り切っているから俺も気兼ねなく声をかけられた。
拠点は水際から十メートル位離れた堆積した砂利の上だった。
此花だけでなく鶴瀬と名前を知らない女子もシートに座っていた。
男たちは水に入っているらしい。
ちらっと見たら水の上に頭が三つ出ていた。
俺は一番手前にいた此花に袋を渡した。
「ありがとう。本当にいいの? ただでもらっちゃって?」
もし実際に買うとなると七本だと五千円以上になる。結構いい額だ。
「うまくごまかしておくから大丈夫」
「全然大丈夫じゃないじゃない」
呆れたような声で鶴瀬が言った。
「怒られるのは俺じゃないから」
「ひっでぇ」
「ありがとうございます」と名前の知らない女子が俺にぺこりと頭を下げた。
「二組の二葉弥生です。貴音と阿弓とは中学が同じなんです」
「相羽麟です」
俺も自分の名前を名乗った。
「知ってます。成績が学年一位の人ですよね?」
そういう覚えられ方はどうかと思う。
まあ、知らない人からしたらそんなものか。いや、知っている人だとしても同じ評価だ。
所詮、俺は勉強だけが取り柄の存在だ。
「まあ一応。温かいうちに食べて」
此花が袋から順番にプラケースを出して鶴瀬に手渡した。
「どっちが何?」
鶴瀬が俺に訊ねた。ケースによって魚が違っている事実に気付いたらしい。
「鶴瀬、阿弓だろ。鮎がわからないの?」
俺は皮肉を言った。
「その鮎じゃねえよ」
「スイカの匂いがする魚が鮎。しないのがヤマメ」
鮎は苔を主食としているためかスイカの匂いがする。ヤマメは主に川の中の虫を食べていた。
鶴瀬は、それぞれのケースに鼻を近づけ匂いを嗅いだ。
「こっちが鮎?」
鶴瀬は鮎が入っているケースを持ち上げた。
「あたり」
此花と二葉も順番に匂いを嗅いでいる。
俺の到着に気付いた和賀と鈴木が水から上がって戻って来た。
ほぼ接触をしたことのない相手なので正直対応に困る。それは向こうも同じだろう。
「笹本は?」
俺は笹本の姿がないことに気が付いて和賀たちに訊ねた。
どっちが和賀でどっちが鈴木なのかすら実は分からない。
「あれっ、さっきまで一緒にいたんだけど」
和賀若しくは鈴木が答えた。本当に不思議そうな顔だ。
まじか。
俺はTシャツを脱いでレジャーシートの上に放り投げた。
「ゴーグル貸して」
和賀若しくは鈴木の頭からゴーグルを奪って目を覆った。
俺は和賀たちと入れ替えにじゃぶじゃぶと川に入った。
自分の胸に手でバシャバシャと水をかける。
この辺りは流れのほぼ中央当りまでは水が浅い。せいぜい膝下までの水位の場所が続いていた。
その浅い場所を越えて川の半ばより少し先の場所まで水深一メートルくらいの場所が続く。小学校のプール程の深さの場所なので、ちょっと潜ったり泳いだりと川遊びには最適だ。和賀たちが遊んでいた場所である。
川が蛇行するカーブの内側にあたる部分なので流れもほぼなかった。
だからこそ、此花たちがシートを敷いている場所の砂利の堆積がある。
深くて水が悠々と流れている本流は対岸寄りだ。
水面部分全体の川幅は約五十メートル。うち約三十メートルが水深一メートル以下の浅い場所で約二十メートルが深い場所だ。
深い部分も水の表面に白波がたっていないため見た目の上では、あまり速い流れはなさそうに見える。
実際は暴川の本流だけあって結構な量の水が流れていた。表面に白波がないのは水深が深く河床の地形の影響が水面にまで及んでいないためだ。浅ければ河床にある石に水がぶつかった影響で波ができるが深いため、石にぶつかった水の影響は表面に届くまでに消滅する。
水遊びに適した水深一メートル程の場所の河床と本流の河床の接点は一気に三メートルほどの落差の急な駆け上がりになっている。駆け上がりとは釣り用語で要するに斜面だ。
水深一メートルの河床が一気に水深三メートルに至るまで急な坂になって下っていた。
水深一メートルのつもりで歩いていると急に足が立たなくなるわけだ。
問題は単純に足が立たないだけではなく浅い側から深い側に向かって河床近くに潜り込むような水の流れができている場所があることだった。
うっかりそのような河床に水の流れがある場所に足を踏み入れると水の流れに足を取られて深い側の河床まで引っ張り込まれる。昔話だったら河童に足首を掴まれて水の中に引き摺り込まれたと言われるような現象だ。
そのような際は流れに身を任せて一度水深三メートルの深さまで引き込まれてしまえば、意識さえあれば、その場で水の流れから解放されて逃げることができるのだが、多くの人は水流に足を取られた瞬間に反射的に流れに逆らって泳ごうとしてしまう。
けれども、人力で川の流れに勝てるわけもなく水に逆らって泳ごうともがくうちに水を飲み溺れて意識を失う。
キャンプ場の上流にあたるこのあたりは、そういう水の事故が例年繰り返されている場所だった。
逆を言えば、だからこそキャンプ場の管理範囲から外れている。
川の土手に国土交通省が怖そうな顔をした河童の絵を描いた看板を立てて水は怖いと注意を促しているが危険な現場付近にではなく離れた土手の上に立てられているため効果は薄かった。
そのため土手で看板を見かけたところで、あまり自分のことだと真剣に受け止める者はなく水の事故は毎年続いていた。
いずれにしても、この場所に危険な水の流れがある事実を俺は知っていたから笹本が急に見えなくなった理由に思い至った。
あわせて、この場所で溺れて意識を失った人間がいた場合、すぐ浮かなければ水中のどのあたりの岩にひっかかっているかも知っていた。
俺は河床が急な駆けあがりとなる手前まで歩み寄ると水に顔を付けて深い側の水中の奥を覗き込んだ。
くぐもったような緑色をした水に阻まれて、はっきりとは見えないが予想していた場所に肌色の何かが見えた。少なくとも、本来、苔に覆われているはずの川床に存在する色ではない。
俺は一度顔を上げると急に慌てだした俺の様子を呆然と見ている和賀たちに声をかけた。
「いた」
泳ぐのに邪魔になるためサンダルを脱いで岸に投げ上げる。
俺は深く息を吸い込むと、うまく川床の水の流れに乗り予定地点に流されながら到達するつもりで一気に潜った。
俺は平泳ぎの際の手の動きとバタ足で深く潜りつつ前方を確認する。
水中の岩に引っかかった上半身裸で海パン姿の笹本高陽を発見した。