9話 休暇と帰省 (3)
宿の自分の部屋に戻るとすぐに、クラウディオは頭を抱えて座り込んだ。
どこが、田舎の純朴なお嬢さんだよ!
クラウディオは心の中でそう叫んだ。
今回、クラウディオがターゼン侯爵家に顔をだす事になったのは、父親と兄によるものだった。
「父上が、休暇中に帰って来いと言っているんだが。」
休暇に入る少し前、クラウディオは長兄のラルフに呼び出されてこう告げられた。
「嫌です。」
「そう言うとは思ったよ。でもラウ、領地に隠遁されてからの父上は大分、丸くなられてるよ。今ならお互い話ができると思う。」
「あの人とする話はありません。それで?今回の本題は何ですか?私の顔が見たい訳ではないのでしょう?」
そう聞くと、ラルフは言いにくそうに続けた。
「お前に領地に戻る途中で、寄ってもらいたい所がある。」
クラウディオはため息をついた。
「どうせ縁談でしょう?」
「察しがいいな。でも今回の話は今までと違って、お前は気に入るかもしれないんだ。」
「どちらのご令嬢ですか?あの人の権力争いの駒になるのはごめんです。」
「ターゼン侯爵家だよ。」
クラウディオは意外な名前が出てきてびっくりした。
「な?おそらく父上の権力や財力には何の影響もない家門だ。ターゼン侯爵と釣り仲間になって、相談されたらしいよ。」
「は?釣り?」
父がのんびり釣りをしている様子など想像もできなかった。
クラウディオが知っているのは自分を商品のように見る、貴族の勢力争いと地盤固めにしか興味のない父だ。
「ターゼン侯爵家には、息子と娘がいる。息子は体が弱く、首都での社交界にも出てきたことがない。家督は長男が継ぐが、万が一の事があっては困るのと、どうやら後継ぎを望めないらしくて、娘に婿養子を望んでいるんだ。義弟として、長男を支え、いざというときは家督をつげるような婿を探しているらしい。」
「まるで身売りですね。でも確かに、父上らしからぬ話を受けたんですね。」
「まだ何も進んでないけどね。私もピンとこないんだが、父とターゼン侯爵は友人らしい。だから友人同士の気軽な口約束みたいなもののようだ。」
「友人、、、。」
父に友人なんて、初めてじゃないか?とクラウディオは思った。
「ね、ラウ、父上は本当に変わられたんだよ。今回の話も、お前を思っての事もあると思うんだ。あの人なりに懺悔の気持ちはあるんじゃないかな。ターゼン侯爵の娘はずっと領地にいたようだから、純朴なお嬢さんだろうし、私は案外いい縁ではないかと思ってるんだ。」
「分かりました。行ってみます。でも田舎の純朴なお嬢さんは好みではないですから、まとまらないでしょう。」
「良かった。ターゼン家の後は、しっかり父上の所にも顔を出してくれよ。」
そういう流れで、クラウディオはターゼン家に寄ることになったのだった。
父親と友人だというターゼン侯爵は、物腰の柔らかい優しげな人物だったが、少し食えない部分も持ち合わせているように感じた。
でも、嫌な感じはしないな、とクラウディオは思った。
そして、娘だと紹介されたのがマルだった。
どこが、田舎の純朴なお嬢さんだよ。
頭を抱えながら、もう一度クラウディオは思った。
挨拶をして顔を上げたマルの姿がよみがえる。
この地方にいるという、魅了の魔法を使う木の妖精のようだった。
紅い唇が目について離れない。
意思の強い、大きな黒い瞳。黒曜石のように輝いていた。
隙のない顔立ちは笑うと、花が咲くように一気に愛らしくなった。
思い出すと何ともいえず、幸福な気分になる。さすがにこんな気持ちになる理由を、クラウディオは知っていた。
そして、マルの言葉を思い出す。
『気が重かったんです。』
『すごく安心しています。』
こちらを思い出すのは少し苦しい。
「立ち位置的には、親戚のおじさんだよなあ、、、。」
でも、遠乗りに誘ってしまったな、大丈夫かな、俺。
明日はマルは乗馬服だろうし、大丈夫か。
それにしても、それでケイトがあんなに、可愛がっていたのか、とクラウディオは納得した。
ケイトから新しい侍従の話を聞いて、クラウディオも最初はマルを警戒していた。
強く気高い友人に限って、まさかとは思ったが、気のかけ方や、距離の近さが尋常ではなかったからだ。
おまけにその侍従は、線の細い美少年だった。
マルが13才の男の子だと聞き、ケイトにも母性のようなものがあったんだ、と意外だったのだが、ターゼン家の令嬢だったのなら全て納得がいく。
女の子だから、距離が近かったのだし、境遇は違えど家門を背負うことが決まっている所に、昔の自分を重ねてあんなに手をかけているのだろう。
***
マルはクラウディオを見送るとすぐに、兄の部屋へ向かった。
「兄上、マルグリットです。」
ノックをして名乗る。
「どうぞ。」
入ると兄のイアンが笑顔でマルを迎えた。
「おかえり、マルグリット。またきれいになったね。」
マルと同じ黒い髪に黒い目で、浅黒い肌のイアンは、いつもの椅子に座っていた。
「ご挨拶が遅くなってごめんなさい。」
「アンから聞いたよ。お客様だったんだろう?」
「はい。」
「今回は、マルのお眼鏡にかなったかな?」
イアンがいたずらっぽく聞いてきた。
「アンから聞いたんですね。それが、知ってる方だったんです。お手紙にも書いてたと思うんですけど、第二団の団長さんでした。」
「えっ、ブランシュ侯爵の本命の恋人の?」
イアンはマルからもうずっと、ケイトについてのことは聞かされ、記事も読まされていたので、ケイトのことはよく知っていた。
「そうなんです!」
マルは、さっきの事をイアンに話した。
マルはこの兄に隠し事をしたことはなかった。帝都に行く計画もイアンと一緒にしたし、帝都滞在中のことも、手紙にびっしりと書いて送っていた。
「ふふふ、よかったけれど、じゃあ、今回の縁談も進みそうにないね。」
「ローレンス家なんて、お父様もきっとダメ元でしょう。あ、でも明日、遠乗りの約束をしてしまいました。お父様は期待してしまうかな。」
「へえ。マルからお誘いしたの?」
イアンの目が少し細められた。
「いいえ、クラウディオ団長が誘ってくださいました。」
「ふうん。父上にはマルから誘ったと言っておいたらいいんじゃないかな?」
イアンの目は思いを巡らせているように光った。
「そうですね。そうします。」
マルは兄の助言通りにしようと思った。
***
翌日、マルが宿まで迎えに来て、ターゼン家の馬を借り、2人は遠乗りを楽しんだ。
マルはアンに頼んで用意してもらった、軽食を持参していて、休憩を取ってから引き返し、クラウディオがローレンス家の屋敷に着いたのはお茶の時間も過ぎた頃だった。
「先ほど、到着しました。」
屋敷に着いてすぐ、クラウディオは父親の、ジェス・ローレンス公爵の部屋へ行った。
ジェスは領地に関する報告書に目を通している所だった。
「遅かったな。」
ジェスはそう言うと、顔をあげ、クラウディオを見た。
こうして2人で顔を合わすのは、久しぶりだった。
しばらく気まずい沈黙が続いく。
「ターゼン家の令嬢はどうだった?」
ジェスは結局、用件から切り出した。
この件について、ジェスはクラウディオから実のある返事があるとは思っていなかった。
「妖艶で、愛らしい方でした。」
「気に入ったのか?」
ジェスは驚いて、クラウディオに聞いた。
「分かりません。今朝は一緒に馬で出掛けました。」
隠しても、父の場合は変に勘ぐられるだけなので、クラウディオは事実を伝えた。
「そうか、意外だったな。お前が気に入ったのなら、話を進めるが、、、。」
戸惑う父は珍しいな、とクラウディオは思った。
「少し考えさせてください。」
「分かった。夕食は共にするか?」
今度はクラウディオが驚いた。
「私とですか?」
「他に誰がいるんだ。」
「えー、はい。ご一緒します。それでは、失礼します。」
部屋を出て自室に向かいながら、確かに父親は少し変だ、とクラウディオは思った。