7話 休暇と帰省 (1)
「マル、ターゼン侯爵より手紙が来て、夏の休暇の間は領地に帰るように伝えてくれと言ってきているんだ。」
夏が近付くある日、マルはケイトにそう言われた。
「えっ、避暑地までお供するつもりだったんですが。」
マルは残念だった。
「ありがとう。嬉しいけれど、私の父と母も来るから気を使わせてしまうし、何よりも休暇くらいはマルもご両親に顔を見せた方がいい。」
ケイトに優しくそう言われると、マルは反対のしようがない。
「分かりました。」
不承不承、そう言った。
***
そうして、夏の休暇、マルは半年ぶりに領地へ帰った。
数日間の馬車の旅で体はごわごわになったが、久しぶりの故郷の町は懐かしく、父と母は嬉しそうに迎えてくれた。
「お帰り、私の可愛いお嬢さん。」
ロレンツォ・ターゼン侯爵は優しく娘を迎えた。
「ただいま。」
マルは笑顔で馬車から降りる。
母も元気そうだ。
「マル、帰ってきた所すまないが午後のお茶にお客様が来られるんだ。お前も挨拶する必要があるから、今からすぐに支度をしなさい。アンには申し付けてあるから全てアンに任せなさい。」
再開の挨拶もそこそこにロレンツォが、マルにそう言う。
「どなたですか?」
マルは少し、嫌な予感がしながらそう聞いた。
きっと縁談だろうなあ、、、。
「お前は知らなくていいんだよ。さあ、行きなさい。」
マルはちらりと母を見た。
母が小さく頷く。
言うとおりにしなさい、という事だ。
「分かりました。お父様。あの、お兄様に挨拶だけしても構いませんか?」
「今は時間がない。後にしなさい。」
こう言われてはしょうがない。
マルは久しぶりの自分の部屋へと急いだ。
「お帰りなさいませ、お嬢様!」
部屋では、侍女のアンが腕まくりをして待ち構えていた。マルと兄を小さい頃から見てくれている侍女だ。
「ただいま、アン。」
「さあ、とにかくまずお風呂へ!時間がありませんよ!」
アンはマルをぎゅっと抱き締めるかわりに肩をつかむと浴室へと連れていく。
「ねえ、アン。お客様って誰?」
バスタブに浸かり、久しぶりにアンに頭を洗ってもらいながらマルは聞いた。
「お隣のローレンス公爵領のご子息らしいです。」
アンは小声で教えてくれた。
「公爵家?」
思わぬ位の高さにびっくりする。
「旦那様はそのご子息とお嬢様をお引き合わせしたいようです。縁談の打診をしたと奥様よりお伺いしています。」
アンがそう続ける。母がアンを使って自分に伝えてくれているのだ。
「お若い方なの?」
「さあ、それが、ローレンス家はご子息が4人もいらっしゃる上に、皆さん帝都で暮らしているので、私にも奥様にもどの方なのかはっきりしないんです。長男様は既に結婚されているようなので、次男様か三男様かとは思うのですが、、、どちらも20代後半で騎士だと聞いています。四男様ですと、お年が離れているようでお嬢様よりお若いはずです。」
「ふうむ。」
「あら、もっと嫌がられるかと思っていました。」
「気は進まないけれど、今は好きにさせてもらってるし、しょうがないことだもの。」
これは本心だった。
来年のデビュタントまで、ケイトの側に居られれば、自分の青春は一旦そこで終わりだとマルは思っている。
デビュタントが終われば父の望み通り婿を取って領地に帰る。子に恵まれればその子を跡取りとして育てるし、恵まれなければ養子をとって育てる。
そのつもりだ。
「首都に行かれて、また一段と大人になられましたね。」
「そうね。前みたいに何とか断らせてやろうとは思わないかも。」
「アンはほっといたしました。ローレンス公爵家に失礼があっては、と奥様と心配していたのです。」
「大丈夫よ。それにこういうお話ってすぐまとまるものでもないのでしょう?相手が公爵家ならなおさら。」
話がまとまるまで数ヶ月かかるだろうし、そもそも自分の条件を考えるとまとまるとは思えなかった。
婿養子なのに、家督を継げない家に一体誰が来るんたろう。
しかもローレンス家は領地や財力や中央での勢力がうちとは比較にならないくらい大きい。
ターゼン家は伝統こそあるが地方の一貴族にすぎないし、マルの父親は首都での社交に消極的なので中央での地位はないに等しい。
自分への縁談の話は以前からちらちらとあったが、下級貴族や商家の息子達で、マルが取り合わなかったこともあって具体的に進まないままだった。
ここにきて、そんな大物を狙うなんてどうしたんだろう?
「おそらくお越しになるご子息もお嬢様とお会いすることは知らずに寄られるはずです。軽い顔合わせというか、印象付けなのでしょう。」
「でも、どうしてローレンス家と顔合わせまで話を進められたの?話を持っていった時点で断られそうなのに。」
「2年前からローレンス家の当主様は、首都のお屋敷をご長男様に任せて、こちらでお過ごしなんです。最近、旦那様と釣りに行かれるようになって、どうやらご友人になられたようです。」
「へー。」
「そういう経緯なので、ローレンス公爵はこちらの事情をご存知です。あちらのご子息がこの話に前向きになれば、案外進むかもしれません。」
「うーん。」
この話に前向きになる要素なんてないけどな、とマルは思った。
「こちらが旦那様から言われたドレスですが、どうなさいます?」
風呂から上がると、アンはクロゼットから、水色と白を基調にしたフリルとリボンがたくさんあしらわれたドレスを出してそう言った。
「嫌よ、そんな子供っぽいの。フリルはなしで、濃い色合いの肩と背中が出ているものにして。」
マルは憤慨した。父は自分のことをまだ子供だと思っているのだ。
「かしこまりました。私もそちらが良いかと思います。」
「化粧も少しきつめにして、口紅は赤にしましょう。」
アンはマルの希望通りの深い青のドレスを持ってきた。
ドレスをまとい、髪はシンプルに結い上げた。
アンはマルにそっと赤い紅をひき、目元の化粧を少しきつめにした。
出来上がったマルを見て、アンは、ほうっとため息をついた。
「お顔がはっきりされているので、こういうお化粧が本当にお似合いです。お小柄ですから愛らしさも残って、やり過ぎにもなりませんし。」
「ありがとう、アン。」
マルは美しく余裕のある笑みを浮かべて礼を言った。
支度ができるとすぐにロレンツォからの呼び出しがあり、マルは応接室へと向かう。
「入りなさい。」
ノックするとすぐロレンツォから応答があり。マルは部屋へと入った。
「娘のマルグリットです。マルグリット、こちらはローレンス公爵家の三男でクラウディオ・ローレンス卿だ。ご挨拶しなさい。」
「初めまして、マルグリット・ターゼンです。」
マルはそう言って顔を上げた。
目の前には、父のロレンツォと第二近衛騎士団のクラウディオ団長がいた。