4話 ブランシュ侯爵の侍従 (4)
練兵場での、第一近衛騎士団と第二近衛騎士団の交代の時だった。
「おい、お前がマルか?」
練兵場の入り口で、マルに1人の騎士が声をかけてきた。
「はい。」
「見てるだけじゃ暇だろ?俺と手合わせしないか?」
声をかけてきたのは、よく日に焼けた、短髪の若い騎士だ。
バーク卿だとマルには分かった。平民出身の騎士で腕一つで騎士になった男だ。
ケイトに対する忠誠心が人一倍強い。
バークの口調に、マルは自分対する敵意のようなものを感じた。
マルはちらりとケイトを見た。
ケイトは第二団のクラウディオ団長と話している。
確かお二人は幼なじみだったな、とマルは思った。
そして、クラウディオ団長は、何度もケイトとの仲が噂になっている人だ。何度も2人に関する記事をゴシップ紙で読んだ。
恋の多いブランシュ侯爵の本命の人と言われている。
邪魔をしてはいけない。
「ご主人様に泣きつくのか?」
嫌ないい方だとマルは思った。
「いいえ、お手合わせお願いします。バーク卿。」
「俺を知ってるんだな。」
「第一団の方のお名前とお顔は存じております。」
「へえ、媚びを売るだけじゃなく、頭も使えるんだな。」
媚び?とマルは思った。
何だろう、変な噂でもあるんだろうか。
よく分からないが、私がケイト様に媚びを売っている事になっていて、バークはそれが気に入らないみたいだ。
マルとバークは木剣を取り、一礼すると距離をとった。
片付けを終えた第一団の騎士が数名、集まってくる。
「バーク、手加減しろよ。」
軽いヤジが飛んできた。
手加減、しなさそうだなあ。木剣を構えながらマルは思った。
バークは剣の腕は、第一団でも上位だ。自分が勝てるはずもない。
目的は少しだけでも粘る事だ。
最初の一手で取りにくるだろうから、一手目はとにかく防ぐ事に集中して、あとの打ち合いはできる限り流そう。とマルは決めた。
「ちゃんと構えるんだな。」
マルの様子を見て、バークは意外そうに言った。
「行くぞ。」
バークが宣言し、あっという間に間合いを詰めて、上段から打ち込んできた。
ガッ
木剣のぶつかる音が響く。
マルは両手がじんじんした。
本当に手加減なしじゃん!
何とか、剣を落とさずにこらえて後ろに下がると、バークが素早く打ち込んでくる。
マルはとにかくバークの剣を受け止めるのではなく流そうとした。
いちいち受け止めていたら、腕が持たない。
「やるなあ!」
口笛と共に外野からそう声が上がった。
「バーク、流されてるぞ!」
バークの太刀筋はまっすぐで読みやすいが、重さと粘りつく感じがあって、マルの体力をけずる。
打ち合いの応酬が続き、マルの体力が尽きてきたころ、下からの掬い上げでマルの木剣が弾き飛ばされた。
剣が弾け飛ぶ瞬間に、右の手首がぐねる。
痛いいぃ。
マルは悲鳴をあげるのをぐっとこらえた。
バークは自分の木剣をマルの顔の横で止めた。
マルは汗だくで完全に息があがっていたが、バークも肩で息をしていた。
バークの息があがっているのを見て、マルは満足だった。
実力の差は歴然だったのだ、相手の息を上げれただけで十分だと思った。
「参りました。」
マルは清々しい気持ちで心から言った。
バークは剣を下げ、それから申し訳なさそうな顔をした。
「あー、その、すまなかった。」
とても言いづらそうにバークは謝罪してきた。
「え?」
「いや、お前を誤解していたようだ。俺はてっきりお前が卑しい仕事をしていて、団長に取り入ったのかと思っていたんだか、剣の腕を見るに、違うようだ。」
「いやしい仕事?」
「いや!違うんだ、俺も噂を鵜呑みにしただけで、だからちょっと痛い目に合えば、団長から手を引くだろうと。」
「いやしい仕事とは何ですか?」
マルがそう聞くと、バークは顔を赤くした。
「だから、その、、。あ、そんな事より手は大丈夫か?」
バークはマルのぐねった右手をぐいっと掴んだ。
「いっ!」
マルは小さく悲鳴をあげた。
右手の手首はじんわりと腫れてきていた。まだまだ腫れそうだ。
「うわっ、すまない。」
「私の愛しい侍従をいじめないでほしいね。」
後ろからケイトの冷たい声がした。
「団長!」
バークは身を固くして一礼する。
「マル、大丈夫かい?」
ケイトはそっとマルの手の様子を見た。
「大丈夫です。ぐねっただけです。」
「良い動きだったね。冷静にやるべき事をやっていた。」
マルはケイトにそんな風に褒められて、嬉しかった。
「ところで、バーク卿。今のは一方的な私闘か?」
ケイトは冷たい声でバークに聞いた。
「申し訳ありません。」
バークは一切言い訳をしなかった。
「騎士の私闘は禁じられている。まして一方的なものは許されることではない。」
「はい。」
バークはしゅんとした。
「あの、ケイト様、違います。私闘ではありません。バーク卿は、私を気遣ってお手合わせをしてくれたんです。」
マルは何だかバークがかわいそうで、口を挟んだ。
最初の絡み方は嫌な感じだったが、太刀筋はまっすぐで好感が持てたし、事情はよく分からないが、ケイトを思ってのことのようだったからだ。
「本当に?」
「はい。礼もして始めました。」
ケイトは今や赤く腫れ上がっているマルの右手を見た。
「だが、君相手に全く加減をせず、こんな目に遭わせた罰は受けてもらおう。バーク、練兵場の周回を50周追加だ。」
「はい!」
バークが一礼して、走り始めようとするを制して、プラチナブロンドの凛々しい騎士がケイトの前に出てきて口を開いた。
「団長、この機会にお伝えしたい事があります。」
レイピア卿だ、とマルは思った。
ケイトの生き写しと言われている、第一近衛騎士団の女性騎士だ。
こんなに近くで見て、声を聞くのは初めてでマルはドキドキした。
「何だ?」
「団長に関して、噂が出回っています。今までのように貴族や騎士相手の浮き名であれば私達も構いませんが、私の敬愛する団長が若い男妾に溺れている、というのは我慢なりません。」
レイピアはそこでちらりとマルを見た。
冷たい淡いブルーの目。
「先ほどのバークとの打ち合いで、この侍従がそういった生業の者でないことは分かりますが、団長は噂を助長しないよう気をつけていただきたいです。」
「愛しい侍従なのは事実なんだが。」
ケイトはにっこりして、マルの頭をなでた。
「面白がって、皆の前でそんな風になさったり、拾ったなどとと言うのは控えていただきたい、と申し上げているのです。彼にも失礼でしょう。」
レイピアが怒った。
「分かったよ、レイピア。男妾とまで言われているのは知らなかったんだ。」
ケイトは少し慌てて言った。
マルはケイトが気圧されているのを始めて見た。
ケイトはしばらく考えてから、説明した。
「マルは家門は言えないが、地方貴族の子息だ。社交デビューの前に帝都の暮らしに慣れさせたい、とお預かりしている。まだ幼く、家の事情もあるので、身分を明かさず私の侍従として連れているのだ。まだ13才だ、気をつけてあげてほしい。」
13才?
ケイトの説明にマルはびっくりした。
そして、ちょっとショックだった。
17才なのにな、、、。
でも、確かに17才の男には見えないよなあ。
「承知しました。団長、これからは最初にきちんと説明してください。」
「なあ、ところでレイピア。私が最近モテないのは、お前達の目が厳しいからではないかと思っているんだが。私の恋を芽のうちに摘むのは止めてくれないか。」
ケイトがそう言うと、レイピアは冷たく言い返した。
「第一団に睨まれたくらいで、逃げ出す男はそもそも団長にふさわしくありません。」
「レイピアに睨まれたら怖いよ。ねえ、マル。」
レイピアがまたちらりとマルを見た。
マルは目が合ってしまってドキドキした。
***
「マル、君を夜会にも連れていこうかと思ってるんだ。」
帰りの馬車でケイトはマルにそう言った。
「えっ、夜会ですか?」
「うん、秋の社交シーズンからでと思っていたんだけどね。夏の休暇は皆、避暑地に行ってしまうからその前に顔を出して、レイピアに説明したように、貴族達に紹介しておこう。2回くらいは行けるんじゃないかな。」
「はい。あ、でも夜会に出たことないんですけど、侍従って何を着ていけばいいでしょう?あと、私、ダンスは全然下手なんです。」
「服を仕立てようか。紹介用の華やかなものと、私の付き添い用のおとなしいものといくつか作らせよう。ダンスはうーん、間に合わないかな。」
「間に合わないと思います。ひどいんです。」
ケイトはぷはっと吹き出した。
「そんなに?」
「ええ。」
マルは神妙な面持ちでうなずいた。
「ふふ、デビュタントまでには、それも練習しようね。」
練兵場ではバークとの手合わせ以降、バークとレイピアを中心に、手の空いてる騎士がマルに稽古をつけてくれるようになった。
用具の手入れを任せてくれる人もいて、マルには嬉しかった。