16話 ブランシュ侯爵の結婚 ~レーゼンの視点~
ケイトの結婚での、執事のレーゼン視点です。
ストーリーはあまり進みません。
その記念すべき日、ケイト様が客人を伴って帰宅され、「夫だ。」とご紹介なさった。
その言葉に屋敷は騒然とした。私も珍しく動揺した。
夫?
キティが問いただしているのを聞くに、今日、神殿で正式に夫婦の誓いをしてきた、正真正銘の夫のようだ。
ランドルフ・ビット伯爵なる男をさっと観察する。
ケイト様には珍しく、明らかに年上だ。
佇まいは悪くない。物腰は柔らかいが気弱な感じはしない。
少し垂れ目の深い緑色の目は、優しくケイト様を見ている。
ケイト様の様子を見るに、恋愛の末の結婚ではないのだろう。
政略的な結婚なのだろうか。
紙の上だけの結婚で、形だけの初夜なのだろうか。
まあ、ケイト様の夜については、私が考えるような事ではないし、その点の心配は無用の方だ。
マル嬢は親しみを持って接しているのを見るに、悪意のある方ではないのかもしれない。
「初めまして、ブランシュ家の執事をしております、レーゼンと申します。伯爵様とお呼びすればよろしいですか?」
「初めまして、レーゼン。私のことはランドルフでいい。」
声も低く落ち着いていて悪くない。
「では、ランドルフ様。わが家の主人の不手際により、きちんとお出迎えができず誠に申し訳ございません。お部屋の準備もできていないので、本日は客間にお通しします。」
「こちらこそ、突然で申し訳ない。ありがとう、レーゼン。」
使用人に礼儀正しいのも悪くない。
マル嬢に少し聞いてみると、最低限の用心はした方が良さそうだが、ビット伯爵家は手広く商売をしている家門で、金貸しもしている。
家門の信用を落とすようなことはしないだろう。
何にせよ、ケイト様が結婚されるのは喜ばしいことだ。
もしかしたら、色恋事が落ち着かれるかもしれない。
マル嬢が来てからは、奔放な恋愛は全く無くなったので、ほっとしていたのだ。
正式な夫がいる、というのはケイト様にとっても、周りにとっても自重を促すはずだ。
私はその日、少なくともキティよりはずっと安らかな眠りについた。
翌朝、キティからケイト様とランドルフ様が夜を過ごされたと聞いた。
ランドルフ様はケイト様の好みの外観ではあったから、特に意外ではない。
「すまないレーゼン、ランドルフが屋敷に帰る手配をしてやってくれ。」
ケイト様はそう言って、いつもと変わらない様子でマル嬢を連れ、騎士団のお仕事に出掛けられた。
「おはようございます。ランドルフ様。お帰りの馬車の手配を、侯爵様より言いつかっておりますが、何時頃がよろしいでしょうか?」
私は早速、朝食後、ランドルフ様にお尋ねしてみた。
「おはよう、レーゼン。ふむ、そうだな、急いで帰ることもないんだ。せっかく来たんだし屋敷を案内してくれないか?」
「かしこまりました。」
屋敷の中を案内中、執務室に入った時だった。
「すごい机になっているな。」
ケイト様の机の書類の山を見て、ランドルフ様は言った。
「侯爵様はここのところ、忙しくされてましたので。これでも、騎士団の雑務はマル嬢が手伝ってくれているので、少しましなのですよ。」
「ふむ。」
ランドルフ様は、書類をひと束取り、ざっと目を通された。
「屋敷の家事に関することなら、私でも処理できるだろうから少し片付けようか?」
「え?」
「伯爵家と侯爵家なら少し違いはあるだろうが、家の管理の仕方は大体同じだろう。もちろん、君の助けはいると思うが。」
「よろしいのですか?」
正直、ケイト様で家事が止まっていることで困っている部分はあったので、ランドルフ様の申し出の誘惑に私は勝てなかった。
「構わない。私はもう息子も成人していて、伯爵家のことは任せてあるから時間ならたくさんある。」
「お越しいただいたばかりの方に申し訳ございません。しかし、助かります。ありがとうございます。」
「私が見ては不都合なものがあれば片付けてくれ。」
「かしこまりました。」
私はケイト様がご覧になっていない手紙や私信を文箱にいれ、帳簿類を別にした。
領地の運営に関するようなものは元々、こちらには置いてないから問題ない。
それからランドルフ様は、執務室で家事に関することを、私の意見を参考にされながら処理された。
仕事ぶりは早くて正確だ、悪くない。
何より私の意見をきちんと尊重される、悪くない。
この方の真意はつかめないままだが、今のところ、総じて、ケイト様の夫として悪くない。
本日、お帰りになるのだろうか?
かなりしっかりと腰を落ち着けて、仕事をされているランドルフ様を見て、ひょっとすると帰る気がないのではと思う。
私は、キティにランドルフ様のお部屋を整えておくよう指示し、午後のお茶を出した所で、夕食について聞いてみた。
「ご夕食も召し上がられますか?」
ランドルフ様はにっこりされた。
「ありがたいよ、レーゼン。」
本日もお泊まりになるようだ。
ケイト様がご帰宅され、執務室でランドルフ様と話されたが、私へのお叱りはなかったし、お二人は一緒にご夕食も取られたので、私は一安心して今日も安らかな眠りについた。
翌日、今日もランドルフ様がお帰りになる気配はない。
今日は屋敷の家事に加えて、領地内での些末な報告書や、意見書についても目を通された。
今は、ケイト様より一足早く帰宅されたマル嬢と楽しげにお茶をされている。
お二人は大分、気が合うようだ。
そういえば、お二人とも人の懐に入るのが上手い方だ。
ランドルフ様はもちろん、今日もお泊まりになるのだろう。
結婚4日目、もちろん、今日もランドルフ様がお帰りになる気配はない。
執務室の机はだいぶん整然としてきた。
こうなってくると、もう帰っていただきたくないと思ってしまっている自分がいる。
ケイト様が騎士団の団長として働きながら、侯爵の業務もお一人でするなんて、そもそも無理があるのだ。
ケイト様のお体のためにも、ぜひこのまま留まってほしい。
この日から私はランドルフ様が居心地よく過ごせるように、尽力することにした。
執務室の環境を整え、お食事と茶葉のお好みを聞き、揃えた。
マル嬢と過ごす時間を楽しんでおられるようなので、マル嬢とのお茶ができる時は、そちらを優先するようにする。
そして、ランドルフ様に張り付いて分かった事がある。
ケイト様が帰宅されると、ほんの少しそわそわされるのだ。
私の長年の執事としての経験と、鋭い観察力があるから分かる程度ではあるが、確かに少しそわそわされる。
マル嬢が言っていた、ランドルフ様の目的はケイト様だというのは当たっているかもしれない。
***
結婚10日目、クラウディオ卿が、ランドルフ様を訪ねていらした。
ケイト様の留守を分かった上でお越しのようだ。
この方はいつも確信犯的なところがある。
私はクラウディオ卿を執務室へお通しし、もちろん、そっと聞き耳をたてた。
「ケイトは留守だが良かったかな?」
「留守を承知で来ました。伯爵に会いにきたんです。」
「座らないのかい?」
「すぐ済みます。」
「そうか。」
「ケイトから羊毛の取引で結婚することになったと聞いています。あいつはこの事態を面白がっているようです。僕は貴方も面白がって結婚したとは考えられません。目的は何ですか?」
「彼女を愛しているんだ。」
「は?ふざけないでください。」
クラウディオ卿はとても冷たい声で返された。
「やれやれ、ケイトと同じ反応をするんだな。本当なんだが。」
「貴方にケイトが傷つけられることはないでしょうが、ブランシュ侯爵家に何らかの損害が与えられる可能性はあると僕は思っています。」
「私はケイトの嫌がることはしないよ。」
「だったらいいんですが。何かあれば、ローレンス家が黙っていないと覚えておいてください。」
「家門に頼るんだな。」
「私はしがない三男で、ただの近衛騎士団長です。家門に頼ります。」
私は、笑顔が怖いクラウディオ卿が見えるような気がした。
「貴方のご子息は、貴方ほど用心深くないようだ、デイト商会からは、たたけば何かしら出てくるでしょう。」
「脅しか?」
「いいえ。警告です。」
「分かった。」
「貴方はケイトの今までの男達からすると、すごくまともです。この結婚自体は、喜ばしいものだと思っています。」
「それは、お祝いの言葉かな。」
「そうです。」
「ところで、クラウディオ卿は私の妻の好きな紅茶をご存知だろうか?」
「ケイトは紅茶に興味がありません。ワインに詳しくなるのがいいかと思います。」
「ありがとう。」
私はすぐに執務室から遠ざかり、廊下で偶然を装ってクラウディオ卿を迎え、お送りした。
翌日、ランドルフ様は伯爵邸に帰られた。
帰られる際、「2日ほどで戻る。」とおっしゃられてはいたが、私は、ランドルフ様が戻られるまで眠れぬ夜を過ごした。
こんな風にして、ケイト様は結婚された。




