14話 ブランシュ侯爵の結婚 (2)
「、、、、、。分かった。」
しばらく沈黙してからケイトはそう言った。
「おや、あっさり承諾してくれるんだな。」
「伯爵、自分を犠牲にしてまでして一体何がしたいんだ?」
「犠牲にはなっていない。侯爵は?なぜ自分を犠牲にするんだ?」
「紙の証明1つで、遊牧民の問題が解決するならむしろありがたい。父の代で何年もかけて取り組んできた問題だからな。」
相場の倍の値段での取引や、養子の手続きを遅らせる必要があると思っていたので、ありがたいというのはケイトの本心だった。
「私も同じだよ。紙の証明1つで解決することがあるんだ。」
「ヒューゴの養子の件は進めるし、後継ぎも彼なのは変わらないがいいのか?」
「私が君の夫であるなら問題ない。たとえ、君との間に子供ができたとしても、それで問題ない。」
「子供?」
何を言っているんだ?とケイトは思った。
この男は私と寝所を共にするつもりがあるのだろうか?
「夫婦ならあり得ることだろう?」
「ふむ。」
適当な事を言って、混乱するのを楽しんでいるのかもしれない。
いちいち噛みつくのはやめよう、ケイトはそう思った。
「結婚は一週間後でどうだろう?」
「構わない。神殿での誓約後、羊毛の販売を再開してくれ。」
「約束しよう。」
「どうしても、腑に落ちないんだが、なぜ私と結婚するんだ?」
「君を愛している。」
「伯爵、ふざけるのはやめてくれ。」
「真剣なんだがなあ。」
「貴族派が絡んでいるわけじゃないのか?絡んでたとして結婚までするか?」
「私は妻を亡くして10年経つし、子供ももう成人している。身軽なんだ。」
「誰とでもするものではないだろう?私の夫なんて、ただのお飾りだぞ。侯爵家の何の実権も手に入らない。」
「侯爵家の権力には特に魅力を感じていない。私は、伯爵として成功しているし、これ以上の事業の拡大も望んでいない。」
ランドルフは少し考えてからこう言った。
「そこまで理由が欲しいなら、強いて言えば、皇室図書館への自由な出入りだろうか。」
「皇室図書館?」
「ブランシュ侯爵家が管理しているだろう?古書は好きなんだ。」
「閲覧申請すれば、誰でも入れる。」
「君の夫になれば、いつでも好きな時に入れる。」
「趣味のためにこんなことまでしたのか?信じられないな。」
「納得してくれたかな?」
「いや、していない。まあもういい。では、来週、神殿で会おう。手配しておいてくれ。」
ケイトは考えるのがめんどうになってきた。とにかく、神殿で誓ってしまえば解決するのだ。
「手配しておくよ。また連絡する、花嫁殿。」
ケイトは何がなんだかよく分からないまま、伯爵邸を後にした。はっきりしていることは、ほとんど痛みを伴わずにケイト側の問題が解決したことだった。
ランドルフとの結婚はケイトにとって苦痛でも何でもなかった。
紙面上での結婚なんて、痛くも痒くもない。
生理的に無理な男ではないから、誓いのキスくらいならできそうだ。
マルが親しげにしているので、不思議な親近感は持っている。
そしてむしろ、こういう形で結婚するのは面白いとさえ、ケイトは思っていた。
儀礼的な夫であっても、夫がいれば、未だにやって来る婿養子の申し出も無くなるだろう。
***
翌週、ブランシュ侯爵とビット伯爵は神殿で電撃的な結婚をした。
神殿に騎士服で現れたケイトをみてランドルフは笑った。
「それで来ると思っていた。ははは。」
「嬉しそうだな。」
「うん。私の最初の結婚でも妻は騎士服だった。それを思い出すよ。」
ランドルフは優しい眼差しでそう言った。
「騎士だったのか?」
「ああ、平民出身の。」
「へえ。」
ケイトは少しランドルフに興味を持った。
神殿での誓約が終わり、ケイトが馬車に戻ると、ランドルフが乗り込んで来た。
「なんだ?」
「なんだはないだろう?初夜なんだし、君の屋敷に泊めてくれ。」
「は?」
「結婚早々、ばらばらの家に帰るのは体裁が悪いだろう。君が私の家に来るのは嫌だろうから私が行くよ。」
「初夜までするのか?」
「しないのか?」
「はあ、もう何でもいい。」
何なんだ、体が目的なのか?とケイトは思った。
でもそれなら、結婚までする必要はない。
目前の男は、平然と口もとに少し笑みすらたたえて座っている。
顔立ちは甘い方で、長身で細身だ。
騎士のように鍛えられた体ではないだろうが、贅肉はついてなさそうだ。
手は、大きくてしっかりしている。
貴族には珍しく直に商売しているからだろう、剣を握る手とはまた別の使い込まれた様子がある。
唇はうすいな。
この男がその気なら、夜を過ごしてみてもいいかもな。
ケイトは完全に興味本位でそう思った。
ケイトはランドルフと屋敷に帰り、皆にランドルフを紹介した。
「夫だ。」
「ええっ!!」
結婚することすら報告していなかったので、屋敷は騒然とした。
「どうして言わなかったんですか!!」
キティは怒髪天で怒った。
「忙しくて忘れていたんだ。」
「忘れません!!普通は忘れませんよ!!とにかく、初夜の用意をするので、すぐ来てください!!」
キティは怒りながら、ケイトを引きずっていった。
マルもとても驚いた。
そして、そういえば先週、ケイトが伯爵邸に行ってたな、と思い出した。
あの時、ランドルフが何か仕掛けたのだ。
結婚かあ。
すごいな、とマルは思った。
ランドルフさんはすごい。
夜会で、ランドルフがケイトを見るとき、マルの憧れの眼差しよりずっと熱っぽくて切ないのを、マルは知っていた。
ケイトを見つめる時間はほんの少しの間だけだということも知っていた。
それは恋なのだろうとマルは思っていた。
そこからいきなり結婚に持っていくなんて、大人は違うなあ。
「ランドルフさん。」
マルはこそこそランドルフに近付いた。
「良かったですね。嫌われないように気をつけてくださいね。」
「気をつけよう。」
ランドルフはにっこりしてそう言った。
「初めまして、ブランシュ家の執事をしております、レーゼンと申します。伯爵様とお呼びすればよろしいですか?」
レーゼンがランドルフのところにやって来て、そう言った。
「初めまして、レーゼン。私のことはランドルフでいい。」
「では、ランドルフ様。わが家の主人の不手際により、きちんとお出迎えができず誠に申し訳ございません。お部屋の準備もできていないので、本日は客間にお通しします。」
「こちらこそ、突然で申し訳ない。ありがとう、レーゼン。」
ランドルフが侍女に連れて行かれてから、レーゼンはマルに聞いてきた。
「マルはランドルフ様と知り合いですか?」
「はい。会えばお話する程度ですが。」
「どういう方でしょうか?」
「いい人だと思います。」
「その、用心した方がいいですか?」
「うーん、ある程度は。でも、ランドルフさんの目的はケイト様だけだと思います。」
「そうですか。」
レーゼンはひとまず様子を見ようと思った。




