1話 ブランシュ侯爵の侍従 (1)
至らぬ点、多々あると思います。
よろしくお願いします。
いつもの朝だった。9才のマルは城から抜け出して、町の外れのルージの家に来ていた。
町の人達の朝は忙しい、こんな時間からマルの相手をしてくれるのは、船乗りの年金で暮らしているルージくらいだ。
「マル、また公子様の服を借りてきたのかい?」
ドアを開けた、白髪のがっしりした初老の男はそう言った。
「おはよう、ルージさん。こっちの方が動きやすいもの。」
「そろそろ、女の子の服着た方がよくないか?」
「お城では着てますー。」
そんなやり取りをしながらルージの朝食に付き合っている時、外から焦げ臭いにおいがして、大声が聞こえた。
ルージが立ち上がって、窓から外を見る。
その顔色がさっと青ざめた。
「マル、小鬼の大群だ、町を襲ってる。」
ルージはすぐにカーテンを閉め、ドアに鍵をかけた。
マルはまだ事態が呑み込めないまま、ぼんやりしていたが、すぐにドアを無理矢理開けようとする音が聞こえてきた。
「ルージさん、、。」
声が震える。
「マル、いいかい、2階の部屋の床下の収納庫は分かるね?今すぐそこへ行って隠れなさい。」
「ルージさんも一緒?」
「あそこに儂の体は入らんよ。今すぐ行きなさい。何が聞こえても出てきちゃいかん。じっとしていなさい。」
ルージは優しく、でも有無を言わさない口調でそう言った。
「さあ、早く!」
マルは階段をかけあがり、2階の床下に身を隠した。
階下からは窓が割れる音がして、しばらく大きな音や、ルージの大声や、小鬼の声らしき音が続いた。
それらが収まると、小さな複数の足音が階段を登ってきて、2階を物色し始めた。
小鬼だ。とマルは思った。
ルージさん。
ルージが死んだかどうかを心配している程の余裕はマルにはなかった。
頭の真上を足音が通る。
カリカリと小鬼の爪の音がする。
恐怖で息が変になりそうだ。
手をきつく握った。そうしないと叫んでしまいそうだった。
気の遠くなるような時間が過ぎて、いつの間にか、何の音もしなくなった。
それでもマルは身動ぎしなかった。
とにかく、じっとしていないと。
ルージさんに言われたことを守らないと。
手は強く握りすぎて、感覚がなくなっていた。
静かだと、屋敷にいる父と母の事が気になった。そして何より兄のことが。
もし、小鬼が侵入して、兄の部屋に入ったらと考えるとぞっとした。
兄は逃げる術さえないのだ。
どれくらい経ったのか、マルは階段を上がる力強い足音を聞いた。足音はマルのいる部屋へ入ってくる。
「誰かいますか?辺境騎士団です。救援に来ました!誰かいますか?」
力強い女性の声だった。
マルは足で収納庫の壁を蹴った。
足音が止まる。
マルはもう一度、壁を蹴り、声をふりしぼった。
「ここです。」
足音が近づいてくる。
収納庫のふたが開けられ、マルは床下から抱き上げられた。
美しい金髪に緑色の目をした若い騎士だった。
「大丈夫かい?頑張ったね。」
騎士はそう言って、マルを抱き締めてくれた。
マルはボロボロと涙を流した。
「ううっ。ひぐっ。」
「もう大丈夫だよ。騎士団が来たからね。ひとまず、領主の城に避難しようね。逃げた町の人達もそこにいるよ。」
「あのっ、下のっ、下でっ。ルージさんは?」
しゃくりあげながらマルがそう言うと、騎士の顔が曇った。
「階下の男性なら、私が来た時には息絶えていた。」
騎士はそう言い、マルはがく然とした。
「君は見ない方がいいと思う。このまま連れていくから、目を塞いでいなさい。」
騎士は少し厳しい口調でそう言った。
きれいな状態じゃないんだ。
マルはそう思って、頭がぐらぐらした。
でも、私は見なくちゃいけない。
マルはそっと騎士の手から降りて、まだ震える足で立つと、騎士に向き合って言った。
「いいえ、自分で歩きます。そして、私には彼をきちんと見届ける義務があります。」
騎士はそこでマルの明らかに平民ではない服装に気づいたようだった。
「分かりました。行きましょう。」
騎士はマルに礼儀正しく一礼してからそう言い、マルの手を取ると、ゆっくり階段を降りた。
時刻はまだ昼過ぎのようで明るく、階下の惨状はしっかりと見えた。
争った跡とおびただしい血。
いくつかの小鬼の死体と、無数の切り傷を負って血まみれで息絶えているルージがいた。
マルは涙を流さなかった。
カーテンを引き剥がすと、ルージの体にかけた。
小さく祈りを捧げた。
「行きましょう。」
騎士はマルの手を引き、無言で城へと向かった。
母や侍女の手とは違う、硬くて力強い手だった。
足下が不安定な所は、マルを抱えて歩いてくれた。
騎士服には小鬼の血がとろどころ付いている。
「騎士様は、小鬼より強いですか?」
「はい、小鬼であれば問題ありません。」
「私も強くなれますか?」
「鍛練すればなれます。」
マルはこの騎士のようになろうと決めた。
屋敷の庭は救護所になっていて、騎士はマルをそちらに引き渡した。
「あの、お名前をお伺いしたいのですが。」
別れ際にマルはそう聞いた。
騎士はにこりと笑って言った。
「ケイト・ブランシュといいます。公子様。」
そうして騎士は立ち去って行った。
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8年後。
マルは帝都のブランシュ侯爵家に馬車で向かっていた。