たぷたぷ姫と竜の王
昔むかし、サラン国に、エンジュという名のお姫様がおりました。
純真で心根の良いお姫様でしたが、その特徴的な体型から、皆はこっそり"たぷたぷ姫"と呼んでいました。
歩くたびにたぷん、動くたびにたぷん。大きく全身が揺れる、ふくよかなお姫様でした。
そのせいか言い寄る男性がおらず、年頃になってもなかなか結婚相手が決まりません。
そんなある日。
「お告げがあった。こちらの姫君を妻として貰い受けたい」
なんと、大きな竜が、姫の求婚者として城を訪れたのです。
国同士を結ぶ大きな街道があり、その一角を支配する、レーン国の国王イェシルでした。
レーンは昔栄えた国だったものの、呪いを受け、いまは廃墟同然の砂の都として知られていました。国民は影たち、王は竜という奇妙な国です。
それでも回廊を結ぶ重要な国。
領土の殆どが砂で覆われているとはいえ、わずかばかりのオアシスが、旅人や隊商にとってどれほどの援けか、はかるべくもありません。
サラン国も交易の恩恵を受けています。
竜の機嫌を損ねるわけにはいきません。
サランの王は迷った挙句、申し出を諾とし、竜に姫を与える約束をしました。
「おまえを貰ってくれるというのだ。お嫁に行きなさい」
父王の言葉に、エンジュは悲しみました。
(王の娘だもの。多くを望まなければ、それなりに貰ってくれる相手だっていたはずなのに)
たとえ相手が家臣でも商人でも。結婚相手は人間が良かった。
けれども竜との婚姻は、決まってしまったことでした。
婚礼の当日。大きな翼で空を割いてあらわれた竜が、エンジュを掴んで連れ去りました。
侍女も護衛も置き去りに、エンジュはレーンの国に単身嫁ぐことになったのです。
竜はレーンの王宮につくと、エンジュに仕事を命じました。
煌めく盃を渡し、毎朝、庭の隅に咲く"金の花"から"しずく"を集めて、自分の居室に運ぶように言いつけたのです。
必ずひとりで、自分の手で。一滴も取りこぼすことなく届けること。
それが出来なければ、手を一本ずつ、足を一本ずつ食べていく。
大変な迫力で凄まれて、エンジュは恐ろしさのあまり声も出ません。
青褪めたまま頷くのがやっとでした。
さて、王宮はとても大きく、庭の隅と竜の部屋は、ものすごく離れていました。
夜が明けきらないうちから、朝露を集めるのも大変な作業でした。
これを毎日、注意を払いながら繰り返すのです。
姫の体が、たぷたぷ、たぷたぷ。
盃の水面が、たぷたぷ、たぷたぷ。
裳裾なびかせ、たぷたぷ、たぷたぷ。
金光弾いて、たぷたぷ、たぷたぷ。
たぷたぷ、たぷたぷ。たぷたぷ、たぷたぷ。
ゼェハァ、ゼェハァ……。
作業を終えた後、エンジュはいつもクタクタでした。
(なぜこんなことをさせるのかしら?)
エンジュは疑問に思いましたが、元来が素直な性格だったので、誤魔化さず、一生懸命つとめました。
不思議なことに、竜の宮殿に仕える人たちの姿は見えませんでした。
けれどエンジュの身の回りの品はいつもきちんと整えられ、彼女に与えられた部屋には、あたたかな食事と綺麗な花が毎日用意されていました。
(着替えを手伝ってくれる侍女がいないのは不便だけど……)
エンジュは身をよじったり、届きにくい背面に手をまわしたり、衣を替えるのにも奮闘しなければなりませんでした。
日が経つうちに要領が掴めてきたのか、着替えは困難ではなくなってきました。
それどころか、"しずく"集めも短時間でこなせるようになっていったのです。
姫の足取り、たたたた、たたた。
盃の水面が、ゆらゆら、ゆらら。
裳裾なびかせ、金光弾いて、軽やかに。
エンジュは、快活に動けるようになっていました。
以前にように、深い疲労に悩むこともありません。
だけど話し相手がいないのは、やはりとても寂しいことでした。
それで、"しずく"を持っていく度に、夫である竜と会話を重ねるようになりました。
横暴だと思っていた竜が、意外にも多くの気遣いをする相手だとわかりました。
姫が風邪を引かないように、"金の花"のもとまで屋根付き廊下を造ってくれたり、次々に新しい衣装や高価な宝石を贈ってくれたり。
不便はないかと尋ねてもくれました。
ただ、侍女をはじめ人手が欲しいとの要望には「もう少し待つように」と言われるばかりでした。
"しずく"集めについても尋くことが出来ましたが、こちらは「飲みたいだけ」としか答えてくれません。
「では誰か他の者でも良かったのでは?」
「いいや。こればかりはあなたでなくてはいけない。はじめに脅してしまったこと、申し訳なかった。これからもどうかお願いしたい」
わからないことだらけでしたが、姫がレーンに来て一年。
すっかり王宮での日々に慣れた朝。
いつものように"しずく"が入った盃を竜が飲み干すと。
まばゆい光が竜を包み込み、エンジュが次に目を開けた先には、見たことのない青年が立っていました。一目で高貴な身分とわかる優れた容姿でした。
「この姿でお会いするのは初めてですね、エンジュ姫。改めてご挨拶します。レーンの王、イェシルです」
エンジュはまったく事態が飲み込めず、目も口も大きく開いたままでした。
先ほどまでの竜が人になったのだから、無理はありません。
物言いも物腰も別人のように穏やかで、何よりものすごい美形です。
「きっとわけがわからないことでしょう。あなたにお話ししなくてはなりません」
イェシル王は語り始めました。
~・~・~
百年前、このレーンの都は並ぶものがないほど富み栄えていました。
東西のあらゆる宝が集い、南北の珍しい財が持ち込まれ、この世のすべてがここに揃っていました。
私たちはその現状の上に、奢りきっていたのです。
ある日、ひとりの老婆が王宮に訪ねてきました。
『呪術師が、私の留守中に娘を石像に変えた。
王が"庭に美しい像を飾りたいと所望した"のが発端だから、娘の像はここにあるはず。探させて欲しい』と。
私は自分の発言をいちいち覚えていませんでした。
毎日、万と集まってくる物品に、特別な関心も払っていなかった。
娘の像など、何のことか。
老婆の言葉を戯言と断じ、気狂い者として叩き出しました。
彼女は何度も必死で懇願しましたが、そのたびに追い返しました。
城の者も、街の者も、誰一人彼女に耳を貸しませんでした。
老婆の哀しみは、怒りに変じました。
彼女は聞いたこともないようなおそろしい声を震わせて、こう言ったのです。
――なるほどお前は冷たい血を持つ蜥蜴のようじゃ。人間のなりをしていては迷惑。相応しい姿へと変じるがよい――
老婆の言葉とともに、私の姿は竜に変えられました。
――言葉も聞かぬ、動きもせぬ、見て見ぬふりしかせぬ、ならば実体など要らぬわなぁ?――
民たちは体を消されてしまいました。
見えない影として暮らす存在となり、国は一夜のうちに砂で埋め尽くされてしまったのです。
「そんな……。それで、お婆さんの娘さんは石像としてこの王宮にあったのですか?」
こくり、とイェシル王は頷き、言葉を続けました。
「ありました。老婆はその後王宮に入り、庭の片隅、花の中にぽつんとたたずむ少女像を見つけました。それが彼女の娘だったのです。そして私は、像を見て初めて、以前、自分が像を望んだことを思い出しました。確かに見たという記憶も……。けれどまじないで石に変えていたなど、みじんも思いもしなかった」
「…………。お婆さんには許してはもらえなかったのですね?」
「ええ。少女の魂も、すでに石像から抜け出た後でしたから。老婆ははげしく嘆いていました」
一瞬で石像を消し去ると、老婆もまたいずこかへと姿を消しました。
私たちはそんな老婆を探すこともなく、絶望のまま刻を過ごしました。
行き交う旅人たちを黙々と眺め、淡々と日々を過ごしていました。
けれど一年前のある日、あの時の老婆が夢にあらわれたのです。
――私の娘が見つかった。サラン王国で王女として生まれ変わっていた。あの娘がお前を赦すなら、私もお前を許してやろう。
人としての証であるお前の涙を、庭の花に閉じ込めた。涙をすべて取り戻した暁には、人間に戻り、国の呪いも解けるだろう。
ただし、もしこのことを話せば、花はたちまちのうちに枯れ、機会は永遠に失われようぞ――
老婆は花から私の涙を取り出す方法を教えてくれました。
それが"金の花"と"しずく"だったのです。
結果的にあなたにも大変な試練となってしまいましたが、もしかしたら彼女はあなたが逃げ出したり、放棄することを望んでいたのかもしれません。
もし、涙に……"しずく"に一滴でも水を混ぜられたら。
こぼされたりしていたら。
それは赦されなかった、という意味であり、私は人間に戻ることはできませんでした。
「心を尽くしてくれた、あなたのおかげです。エンジュ姫」
「えっと……」
イェシル王に両手を握られ、エンジュはどうして良いかわかりませんでした。
殿方に、熱く見つめられたこともなかったからです。
急に自分の頬が赤くなるのを意識して、彼女はすっかり戸惑ってしまいました。
あわてて手を抜こうとすると、一層力強く引き留めたイェシル王が、顔を近づけて囁きました。
「お忘れかも知れませんが、私たちは夫婦ですよ」
(そういえば、そうだったわ!!)
「けれど私のせいで、夫婦らしいことは何ひとつ出来ていませんね。これからは人の身ですので、あなたのそば近くに寄り添うことが出来ます。民の手本となるような、円満な家庭を築けたらと願っています」
(何か言いだした!!)
いまの輝くばかりの美貌の持ち主である王と、"たぷたぷ姫"と呼ばれた私が釣り合うはずがない。
夫婦として並んだりしたら、嘲笑われるだけだわ。それに。
「お気になさらないで、イェシル様。永の呪いが解けた事、喜ばしいこととお祝い申し上げます。どうやら私はお役目を果たせたようですし、いかがでしょう? この結婚は解消して、私を国許に送り返してくださるというのは……」
さっきの話によると、王国に百年の呪いをかけたのは、自分の前世の母ということになる。微妙過ぎる。逃げてしまいたい。
エンジュの心は“今こそ逃げる”の一択に染まったが、イェシル王は意外なことを言い出した。
「あなたは身も心も美しい。どうぞこのまま妃として、私と共に過ごしていただきたい」
(竜になったせいで、美的感覚壊れたの??)
心はよく言われる。むしろ心しか言われない。美しくない女を褒める時、取り柄はそこぐらいしかないからだ。
(トランスフォーム・ハイかしら)
変身が解け、高揚状態だとしか思えない。
「呪いを解きたいと焦るあまり、婚礼の儀では大変な失礼をしました。披露宴をやり直しませんか? あなたのお国から、親しい方たちを招いて」
「せっかくのお申し出ですけど、私は国で"たぷたぷ姫"と呼ばれていたのです。私の花嫁姿など、笑いものにしかなりませんわ」
「たぷたぷ姫?」
「ええ、ほらこの部分とかが」
話を早く進めるために、女としての恥を犠牲にしたエンジュが、ふよふよの脇腹を摘まもうとして、手を止めた。
(ない?)
空間しかない。スカスカ?
あれ? あのふるるんと揺れるお肉は?
「なるほど、そういう意味でしたか」
イェシル王がおかしそうに笑いました。
「月のようにどんどんと変わりゆくあなたに合わせるため、王宮の針子たちは常に新しい衣に取り組んでいましたよ」
エンジュは、そこでやっと気がついた。
毎日の"しずく"集めと往復作業、そして環境激変という精神的負荷のせいで、身体から揺れるお肉が去っていたことに。
「必ず幸せにすると誓わせてください。でなければサランの父王だけでなく、地母神様にもまた叱られてしまいます」
「では、呪いをかけた老婆というのは……!」
「こんなことが出来るのは、地母神様くらいでしょう」
言うなりイェシル王が王宮の扉を開け放つと。
高台から見下ろす都は、昨日までの砂が消え去り、あたり一面、緑が生い茂る輝く街へと変貌していました。
そして大勢の人たちが、喜びに溢れ返っておりました。
呆然と立ち尽くすエンジュの耳元で、イェシル王が言いました。
「でも、この国では"たぷたぷ"というのは良き言葉なのです。揺らめく豊かな水を連想させますからね」
あわてて距離を取ったエンジュに、イェシル王がにっこりと笑いかけます。
「私はどちらのあなたでも良いです。あなたの心が広くまろやかで、清らかに澄んでいると知っていますから」
(!! 食べられるっ)
一瞬の直感。
輝く笑顔の奥に、肉食獣の気配が垣間見えたのは、竜姿を見ていたせいだと、エンジュは思い込むことにし……。
けれど結局、王の提案を受け入れました。
――ひとつひとつを疎かにせず、大切に扱うこと。あなたと地母神様から学びました――
そういって、毎日丁寧に口説きにくる、王の熱意と誠意に負けたからです。
仕切り直した結婚式は、それはそれは華やかに盛り上がり、サランの客人たちは、竜の王とたぷたぷ姫の変容に、大層驚くことになりました。
~・~・~
レーンの国は、その後、訪れる旅人を貴賤を問わず篤くもてなす、緑豊かな王国として、大陸の真のオアシスと謳われたのでした。
たぷたぷ、たぷたぷ。
お読みいただき有難うございました。
トカゲの体温は32度から38度。血は意外とあたたかなのでは? と思うものの、そこは物語上スルーで。
さらにアジアの大地の神は蛇であらわされることが多いので、蛇が相手を貶めるために「トカゲ」なんて言うかなぁ、という自己問答もあったのですが、「竜」出したかったので。竜!! 好きなんです。
獣にすると有名などっかのビースト物語になってしまいますし(手遅れ感)。
お花も最初バラだったのです。バラはますますどっかのビースト物語に、以下略。
ジャンルが童話ということで、文体に非常に難儀しました。テンポがうまくとれない。
コミカル・シーンではとうとう逸脱しました。
トランスフォーム・ハイってなんだ?(造語で英語。…世界観とは?)
これも味のひとつと寛容にみていただき、楽しんでいただけましたら嬉しいです。
ちなみにくだんの呪術師は、言葉に出せない程の厳罰済みでした。
5300文字もお付き合いいただき、感謝!!
【こっそり裏設定】
・エンジュがたぷっていたのは、前世の魂のトラウマで"美しいと石"にされるみたいなのが刻まれていた点もあり…。地母神ママはそこも案じていて、今回エンジュの呪い(無意識の束縛)も解けていくのもありました。
・しずく、うっかりこぼれた分は、エンジュの涙で補填できた? いえ…こぼさずになんて無理やろというツッコミが入った時用に。エンジュは最初さぞ泣いたと思います。かわいそう。
・食べるの大好きエンジュ。竜が飲んでる"しずく"の味見をしてみたいと思ったことがあった(笑)。でも未遂でセーフ等々。