第十七話【 マ、……オウ……? 】
カガリは、思い出していた。
キャロルに言われるまま、アニィに魔法学の基礎を教え始めて、一年が経過した頃。
本来、キャロルほどの魔女ならば見えるはずの魔力の色が、アニィのものは見えなかった。その為、得意な魔法を見極める適性魔法のテストを始めた。
それは本人の潜在魔力が得意とするものを明確にするものであり、的中率は100%……だが正確故に時間が掛かる。カガリは月に一度アニィの適性魔法テストを行っていた。
しかし、カガリは結果を見る度に表情を曇らせていた。
アニィの適性が回復魔法…ヒーラーの素質があまりにも高い。その記号が選ばれているからだ。
ただ、適性魔法のテストの結果が例え一つの分野しか結果として表示されなくても、本人の希望や努力次第では如何様にも変えられる。
それを踏まえた上で、カガリはキャロルに相談していた。
カガリはアニィが就寝した頃合を見計らって、キャロルの部屋を尋ねていた。キャロルは丁度休む前だった。魔法で浮かせたネイル用品で手や足の爪を磨き、希少な精宝石を砕き溶かしたジェルを塗って、寛いでいた。
『キャロル先生……』
『うん?どしたん、カガリっちィ』
『アニィさんの、適性魔法の結果……もう六回目なので、ほぼ確定なんですが……』
『なになにー?なんだったのぉ〜?』
『アニィさんは、白魔法を中心に特に回復に特化していて、ヒーラーの適性が非常に高いんです……』
『えーー、まじぃ?すごいじゃん、やば〜!!』
『よ、よくないですよねっ?だって、ヒーラー……ヒーラーは、……』
『カガリっちは、ヒーラー嫌いなのぉ?』
『き、嫌い、というか……こわいです。それに、ヒーラーになれることを喜ぶ人なんて、いませんよ……アニィさんにとって、つらい事に…』
『どうだろうねェ』
カガリは、アニィがヒーラーの適性が高いことに怯えていた。
その理由は、絶望の120年の歴史を知るからだ。おおよそ120年間、魔王長に征服された世界は、混沌と恐怖に呑まれた。
命ある存在は皆、生に対する蹂躙と支配を受け続け、産まれた事を後悔した。
その悪夢が120年と続いてしまったのも、魔王長のそばに多くのヒーラーの存在があったからだ。
どれほど強い剣士や戦士、魔法使い、そして勇者が立ち向かっていっても、それらが与えた傷も、ダメージも魔王長に仕えるヒーラーにより癒され、その上に強化を施され……強大な力を持った魔王長にねじ伏せられた。
そして、勇敢な挑戦者を無謀と嘲笑し……瀕死まで追い込んだ後、抵抗出来ない状態で、ヒーラーに延命させては、見せしめの拷問を受けさせ……命を弄ばれ、奪われた。
ただ、ヒーラーだけは当時の魔王長が重宝し、大切にして、贅沢の限りを尽くし、命の危機に晒されることも無く、安全に過ごしていた。その事実もまた、ヒーラーが反感を買う一つの原因でもあった。
絶望の120年。
その名前の通り、誰もが奇跡や願い、祈り、夢を諦めた。
しかしそれも善の神であるシャーロにより生み出された希望の勇者・エースによって、幕が下ろされた。
魔王長は滅び、平和が訪れた。
が、この世の怨恨、憎悪、嫌悪、軽蔑の対象は、すべてヒーラーに向けられた。
そして、魔王長に従えていた当時のヒーラーの結末は…………言うまでも無い。
『だって、ヒーラーですよ……?ヒーラーが居たから絶望の120年が始まってしまって……それは、許されることじゃありません…』
『でもアニィたんは、その時のヒーラーじゃないっしょ〜?』
『そ、そうですけど……』
『……ねー、カガリっちィ。アニィたんがさ、こんなアンチ・ヒーラーな世界で、回復魔法に恵まれるってさァ……なんかある意味運命的じゃあな〜い?』
『…運命……?』
『うちの勘は結構当たるんだよォ。ふふ。アニィたんはね、もうすんごくて、やばーいヒーラーになると思うわけェ』
キャロルは、不安そうにしているカガリを前に、特に焦るわけでもなく……むしろ、楽しそうで、嬉しそうにしていた。
カガリには、その気持ちがわからなかった。
『もし、残りのテストも結果が変わらなかったらぁ……アニィたんには、白魔法についての魔法学を教えてあげてね、カガリっち』
そう言って笑うキャロルは、カガリに歩み寄り、目線を合わせて頭を撫でた。
結局、結果は一年間様子見しても変わらず……カガリは、躊躇しながらも、白魔法を中心とした魔法学をアニィに教えた。
そして、迎えたあの日。
『さー、じゃあまずはァ……カガリっち。アニィたんが、どういう魔法が得意かってこと聞いてもよさげ?』
まるで初めて聞くかのような態度で、キャロルは問い掛ける。カガリは少しの緊張を覚えながら恐る恐ると口を開いた。
『アニィさんは、回復や強化などの魔法が適性だとわかりましたので、其方に関する基礎と魔法学を教えていました』
その時、カガリも初めてアニィは回復を中心とした白魔法が得意であることを伝えた。
カガリは、アニィの反応を見るのが、こわかった。
『へぇ〜、じゃあアニィたんはヒーラーって事かァ』
キャロルはわざわざ、その職業を言葉にする。
カガリは思わず動揺してしまった。そんな直接的な表現をするなんて、思わなかったからだ。
『ヒーラー……?』
カガリは、アニィに絶望の120年の歴史は教えていないのもあり、アニィがヒーラーがどんなものか知らなかった。
万が一にも独学で知識があれば、どうしようかと思っていたものの、心底ホッとした。
ただ、キャロルがアニィにするヒーラーの説明には、言葉を失った。優しい顔で、声で、あんなにも恐ろしいヒーラーという職業を慈しむように言うからだ。
次の瞬間、アニィの瞳から大粒の涙が零れて、そのままぼろぼろと溢れていた。
今までアニィが泣いたところを見たことが無かったカガリは、狼狽えた。
もしかすると、本能的にヒーラーでいることを拒絶しているのかも知れない。
そう思ってしまった。
『っ、ア、アニィさん?どうしたの…?』
『ありゃりゃ〜?アニィたん、どっか痛い?それとも嫌だった?』
流石のキャロルも、アニィを心配した。カガリはおろおろと、二人を交互に見るしか出来なかった。
『え……あ、いや…なんか、嫌とかじゃなくて、……けど、なんか…ええと…嬉しい、けど…すごく、…ぐちゃぐちゃで……』
うれしいと言うアニィに、カガリは酷く戸惑った。その涙が嬉しさからくるもので、けれどとても悲しそうで。
それは見ているこっちまで、胸が痛くなる程に、アニィは泣いていた。
すると、キャロルはアニィを包むように抱き締めた。頭を撫でて、背中を何度も優しくぽんぽん、と、叩いている。
『よしよーし…アニィたんは、きっと良いヒーラーになれるよォ。ね、カガリっち』
良い、ヒーラー。
違和感しかない響き。けれど、何故だか……ヒーラーになれることを、泣くほど嬉しいと喜ぶアニィを見たカガリは……三年間、アニィと過ごしてきた日々を振り返った。
カガリから見たアニィは、一生懸命で、素直で。
教える事に慣れない自分の話を、いつだって真面目に聞いてくれた。
そして、
"そんなことないですよ!カガリさんのおかげで、おれは魔法の基礎を学べて、この世界の文字も覚えられました……カガリさんはすごい人だって、おれは思います!"
"……おれは……もともと勉強とか得意じゃなくて、理解力だって無い……でも、カガリさんが、必要なところを掻い摘んで要点だけ纏めて、かなり噛み砕いて教えてくれるから、本当にわかりやすくて。
あとそれに、キャロルさんが飼ってる魔獣や、魔物もみんなカガリさんに懐いてるのも、凄いって思いました!"
"……そういえばカガリさん。あの子達の世話してる時、めちゃくちゃ幸せそうですけど……魔獣や魔物が好きなんですか?"
"じゃあ、……もしキャロルさんの弟子じゃなくなったら、そういう魔物や魔獣関連に携われるような事、出来るといいですね"
夢と、自信をくれた。
『……私も、そう思います』
ヒーラーは忌み嫌われ、嫌悪される世界。
けれど……アニィさんが、そうなりたいと思うのなら、きっとなれる。
カガリも、キャロルと同じくして、そうなって欲しい、と、願った。
────
この世界において、ヒーラーは望まれていなくて、求められていない。
それどころか、ヒーラーでいることが大罪のようであるようで……。
でも。そうだとしても、おれの気持ちは、変わらない。
「……たしかに、アンタのおかげで…ブレイブダムスへ弔いに来てくれた人達を救えた。それには、……感謝をしている。だが、……その上で、だ」
滲む視界、泣きそうだと思って目を拭う。ユーシャもおれを見上げる顔が、……どこか、哀しそうで。
「どうして、そこまでヒーラーにこだわるんだ。もし……ここを出て、旅に出るとなった時…ヒーラーというだけで、ろくな目に遭わないんだぞ…」
おれを心配してくれているんだな……優しいな、ユーシャは。
「……おれには、妹がいたんだ」
「妹……?」
「けど妹は、親父と母さんと同じ病気で死んじゃってさ」
思い出したら、泣きそうになる。
ていうか、泣く。やばい、涙出てくる……。
妹の顔、忘れたことなんか無い。
妹の声、今だって思い出せる。
本当におれと兄妹なのかって思うくらい、とにかく可愛くて、優しかった。自分のことよりも、人のことばかり気にかけていた。
苦しいのも、つらいのも、妹だって同じはずなのに……大人や子供に関係なく、誰かの心に寄り添える子だった。
おれは、親父や母さんの代わりに、お前を守らなきゃダメだったのに。
「病気に侵されて…弱っていく妹に、っ、……な、なにも、できなかったんだ…っ、………」
「アニィさん、……」
「んん…お、おれが、そのときからさ、ヒーラーだったら、……今だって、ほんとは、……妹は、生きてたかも、しれないんだ……」
泣くなんて、本当にかっこ悪い。
今は幼い女の子の身体だけどさぁ……あぁ、妹に見られたら、また泣かないでって、怒られそうだ。
そんなことを考えていたら……ユーシャの身につけていたマント?のようなものを被せられて、泣いてる顔を隠してくれた。
「オレにも、妹がいた……守れなかった悔しさは、……よく、わかる」
「ユーシャ、にも……?」
「あぁ……妹と…兄ちゃんがいた……」
ということは、夢に出てきたあの人たちは……やっぱりユーシャの家族だったのか…。
「……よくわかった。その話を聞いたら……ヒーラーでいたいというアニィの気持ちを、これ以上は否定はしない。と言っても、オレの中での、ヒーラー自体の印象が変わるわけでは無いが……」
「っ、……ユーシャ…」
「……だから……もし、旅に出るのなら、……アニィを理解して、守ってくれるような、強い仲間と出逢えると、いいな…」
カガリさんといい、ユーシャといい…いい子達ばかりだな……。
けれど、ユーシャの言う通り……ヒーラーの存在自体がこの世界のタブーなら、ユーシャは見つけたけれど、もう一人のヒヨリという子に出会うのも……骨が折れそうだなぁ……やっぱり、おれ自身で自衛できる力を身につける他ないのか…。
「……良かった……」
ホッとして座り込むカガリさんに、また心配させちゃったことに申し訳なさを感じる。
けど、これでユーシャにもヒーラーとしていることを認めて?もらえた事だし…多分、マオウ族の侵入は、キャロルさんが何とかしてくれてると思うし……後は、ブレイブダムスに行くだけだ。
「……ところで…二人に聞きたかったことが、あるんだが」
「ん?なんだ?」
「聞きたかったこと…?」
「キャロルは……マオウ族なのに、なぜ人間側の味方をしているのか、わからない」
「マオウ?いや、キャロルさんは白魔女だぞ?」
「……ええ。確かにマオウのように強いかもしれないけれど、先生は白魔女よ」
ユーシャが露骨に険しい顔をした。
いやいや、そんなキャロルさんがマオウなわけ……確かにさっきツノっぽいが生えてた気がしたけど。
「どうして、キャロル先生がマオウだと思うの…?」
カガリさん、ちょっと不機嫌になってる…?
まあカガリさんからすれば、キャロルさんは恩師なわけだし…この世界の最大の敵であるマオウと思われたら、嫌だよな。
「んーーー!ひさびさに暴れちゃったァ〜!あは、三人ともヘーキィ?」
キャロルさんの噂をしていたら、キャロルさんの声がする。
今はカガリさんの黒魔法で部屋は守られてるし、多分いつもの移動魔法で来てくれたんだな。移動魔法が使えるということは、魔法の妨害も無くなったってことかっ。
「キャロルさ、……キャロルさん……?」
おれとカガリさんはキャロルさんを見て、固まった。真っ赤な目と真っ黒い髪、ウロコのような肌に……鋭い、ツノ。
見たことの無い、キャロルさんの姿に、戸惑った。
「もー、アニィたんってばパフェブるなら、そう言って欲しかったみ〜!力が抑えきれなかったじゃ〜んっ」
「キャロル、せんせい……?」
「んえ?どしたん、キョトンとしてぇ……あ、うちの姿がマオウモードだからビビらせちゃってるカンジィ?あは、ごめーん!」
「マ、……オウ……?」
「んん〜!っと、よし。どうどう?戻った?戻ったぁ?」
ぽん!なんて、コミカルな音を立てていつものキャロルさんに戻ってくれたけど……キャロルさんはマオウ族だって、ことを……今、初めて知って、この場は凍りついた。