9 喧嘩するほど
アーネストに声をかけられるまで、アーチは心の中で何度も頷いていた。
(なるほど、だから先生はあんな強引に、僕に押し付けてきたのか……)
ようやく色々なことが腑に落ちた。
最初からアーチは自分が“師匠”に適しているとは思えなかったのだ。
だが“ボディガード”としての意味合いの方が強いのなら、納得することができた。三人を分割しなかったのもそういう理由からに違いない。どうせ全員狙われるならば一か所にまとめて丸ごと守った方が手っ取り早いとでも考えたのだろう。
そしてそれに最も適した人間として、アーチに白羽の矢を立てた――
(まったく、それならそうと言ってくれればいいものを……まぁ、それを言わないのが先生か。蜂蜜チーズケーキ、二切れくらい貰っても良かったな……さて、と)
他にもいろいろと気にかかることは残っているが、あまり気にしすぎても仕方がない。とりあえずのゴールラインが見えたというだけで大きな収穫だ。
アーチは心底ホッとしていた。
自分に求められている仕事は、彼らを魔法使いとして成長させることではなく、彼らの命を守ること。つまり、これから一ヶ月間彼らを守り切れればそれで任務達成というわけだ。教えることは自分には向いていない――
――自分のような、まともでない人間には――
などと考えていたところに、アーネストが声を掛けてきたのだ。
「やっぱり、師匠も信じてくれないの? 師匠も、俺たちが嘘をついてるって思うの?」
アーチが三人の方を見ると、ヴィンセントは怒ったようにそっぽを向いていたし、ダニエルはしょぼんとうつむいていたし、アーネストは半分立ち上がっていた。
「え?」
咄嗟に理解できず、とぼけた声で聞き返した瞬間、ヴィンセントがぐるんと振り返ってアーネストを睨んだ。
「だから言っただろ、絶対に無駄だ、って! 子どもの言うことなんて大人は誰も信用しないんだ! アーネストなら分かるよな?!」
「っ……」アーネストは一瞬歯噛みした。「でも、言ってみなくちゃ始まんないだろ! 信じてくれる人だって中にはいるかもしれないし!」
ヴィンセントは、チッ、と高らかに舌を打った。
「そんなの希望的観測だ。世の中そんなに優しくはないんだよ。いい加減その甘えた考えを捨てたらどうだ、アーニー?」
バチンッ、と豆電球の切れたような音がアーネストから聞こえた気がした。
「それで呼ぶなっ!」
わぁっと叫んで、アーネストがヴィンセントの胸ぐらに掴みかかった。
ヴィンセントの肘がテーブルに当たって、跳び上がったポテトの皿をアーチは反射的に押さえた。
取っ組み合って店の床に転がった二人とアーチの間で、ダニエルがおろおろと視線を揺らす。
アーチは皿から飛び出たポテトを口に放り込み、ぼんやりと考えた。
(バロウッズ先生から『お口にチャック』のやり方を習っておくべきだったな……)
あれは確かに、人間になったばかりの子ザルたちを制御するのに必要な魔法だ。だが習っていないものは仕方がない。下手に首を突っ込むのは面倒だから、静かになるまで放っておこう。
と思った瞬間、バッと距離を取った二人が同時に杖を取り出した。
「馬鹿、それは」
思わず悪態が口をついて出た。が、今出すべきは悪態ではない。手だ。
アーチは素早く立ち上がると、ヴィンセントの手を杖ごと掴んだ。
「落ち着きなさい、二人とも。退学になりたいのですか」
「うるさい、離せよ!」
ヴィンセントは今にも噛み付いてきそうな形相で睨んでくるし、アーネストは掲げた杖を下ろそうともせずヴィンセントを睨んでいる。
「あんたには関係ないだろ! どうせ俺らのことなんか信用する気もないくせに! 子どもだと思って馬鹿にしてんだろ?!」
「ヴィンス! 師匠は俺らが退学にならないように引き受けてくれたんだぞ!」
「そりゃ仕事なら何だってするだろ、フリーランスなんだから! それに、気にしてんのは俺らのことじゃなくて自分の階級のことだ!」
「そうだとしても、三人いっぺんに預かってくれるなんて普通は――」
「それが点数稼ぎだっつってんだよ! 分かれよアーニー!」
「だからそれで呼ぶなって言ってんだろ?!」
もう一度ヴィンセントに掴みかかろうと突進してきたアーネストの頭を、アーチは咄嗟に押さえこんだ。
振り払おうと暴れるアーネストをヴィンセントが蹴った。それに触発されてアーネストも蹴り返す。アーチを挟んで蹴り合いになって、何発かに一発はアーチの脛に入った。
アーチは蹴られながら、どうすればこの事態を収拾できるのだろうかと考えて、やがて何の考えも浮かんでこないことを知るとすっかり嫌になってしまった。妖精や精霊への対処法はいくらでも出てくるが、子どもの喧嘩の仲裁法など知らない。少なくとも教科書には載っていなかった。彼らに対する苛立ちと一緒に、学校の先生に対する尊敬の念がふつふつと沸き上がってくる。こんな連中を二十人も三十人も同時に相手にするなんて、自分は絶対に無理だ。
「はぁ」
溜め息が漏れる。それから、
「『ビリッと来い』」
「いでっ!」
「つあっ!」
二人はバネ仕掛けの人形のように飛び上がった。ヴィンセントは杖を取り落とし、アーネストはその場にしゃがみ込んだ。
二人ともうっすら涙目になって、アーチに掴まれていたところを擦っている。
「何今の……魔法?」
「静電気?」
「正解です。さぁ、では、きちんと座りなさい」
二人はしぶしぶ従った。別々の方を向いて、限界まで離れて座った所為で、ダニエルは窓際に押しやられ、ヴィンセントなどちょっと驚かせば滑り落ちそうになっている。
アーチは少しだけ言葉に迷った。自分の考えを伝えるのはそんなに得意でないのだ。まして子ども相手ともなれば尚更。
しばらくして腹を括り、アーチはようやく口を開いた。
「……君たちの証言の真偽は問題ではありません。正直に言えば、どうでもいいのです」
三対の目が一斉に集まった。
「私は私が見た事実しか信用しません。今私が持っている事実は、“君たちが殺されかけた”ということです。これは、ここにいる四人が共通して持っている、疑いようのない事実ですよね。であれば、そうなった原因が取り除かれない限り、今後も警戒を続けるべきでしょう。私も出来るだけ警戒しますが、自分たちだけでもある程度身を守れるように、空いた時間で少し戦い方をお教えします。私の考えは以上です。……何か、質問は?」
三人とも黙っているから、アーチは無愛想に
「ないなら行きますよ。余ったポテトは包んでもらいましょう」
と言って、皿を片手に立ち上がった。子どもらに、いや、他人にどう思われようが知ったことではない。どうせ他人とは分かり合えないものなのだし、分かり合いたいとも思っていないのだから。
スーツケースをもう一方の手に持った時、
「あ、あのさ!」
アーネストの声に袖を引かれ、足を止める。彼はアーチのもとに来る困り果てた依頼人とよく似た顔をしていた。
「俺たち……あの……」
「はい」
「えっと……――……なんで、スーツケース、『収納』しないの?」
アーネストはたぶん、もっと違うことを言いたかったに違いない。けれど、アーチの言葉を律儀に守って、弟子らしく“質問”をした。
「普段から身に付けているアクセサリーや鞄などには、自然と魔力が染み込みます。いざという時の切り札や、儀式の触媒代わりとして、アクセサリーを多めに着けている魔法使いは多いですよ。私の眼鏡も伊達ですし」
「もしかして、その溜めてた魔力で、さっき勝手に動き回ってたの?」
そう言ったヴィンセントはまだ不機嫌そうに口を歪めていた。
「その通りです。そこでそれなりに消費したので、また溜め直そうと思いまして」
「ふーん」
気のない返事をしたが、ヴィンセントの目はスーツケースに釘付けになっていた。スーツケースの仕組みが気になるらしい。
すっかり心を奪われているヴィンセントを、アーネストが席から押し出した。
圧迫から解放されたダニエルが清々した顔でアーチを見上げる。
「師匠、これから、どこに行くの?」
「魔法庁に行きます」
「魔法庁?」
「ええ」
カウンターで皿を渡し、さらにポテトを追加しようとした店員を止め、四人は店を出た。
アーチは少年たちに向かって微笑んだ。分かり合いたいとは思わないが、嘗められるのは気に食わないのだ。
「誰が君たちを地下水道に落としたのか、気になりませんか?」
と言うと、少年たちはちらりと互いの顔を見合わせてから、こっくりと頷いた。
魔法庁は、テムズ川を挟んだロンドン警視庁の斜向かいにある。
古めかしいロマネスク様式の建物は威圧的だが、変わった点は見当たらない。一般人でも普通に見えるし、普通に入れる。無論、内部には“入れる場所”と“入れない場所”があるのだが、どこにでも“入れる”アーチたち魔法使いにとっては関係のないことだ。
重たい扉を開けて中に入る。
アーチは受付を素通りして、正面の大階段をずかずかと上っていった。その後ろを、三人の少年が肩を縮めてついてくる。
すれ違う人すれ違う人が全員、バリエーションに富んだ表情と共に、アーチたちを凝視した。
アーチに向かって親しげに片手を挙げる者もしばしばいたが、その人たちも少年たちの存在を無視することは出来ないらしく、興味深そうに彼らの顔を覗きこんでいった。
それがどうしても気になったらしく、ダニエルが横に並んだ。
「ねぇ、師匠?」
「なんです?」
アーチはここでは“師匠”とは呼ばれたくなかったのだが、この際仕方がない。早く慣れる方がいいだろう。
案の定、呼ばれたタイミングですれ違った職員がそれを聞きつけ、眼球が飛び出るのではないかと思うほど大きく目を見開いて立ち尽くした。
「僕ら、ものすごく注目されてない?」
「当然のことかと。自分たちがしたことを考えてみなさい」
「そっかー、確かに」
「いや、それだけじゃないだろ」とヴィンセントが冷静に突っ込んだ。「半分くらいは師匠のせいでは?」
わざわざ“師匠”のワードに棘を生やしたのは、さきほどの喧嘩を引きずっているからに違いない。
アーチは冷たく言い返した。
「残りの半分は“自分たちのせい”だと自覚しているんですね。良いことです」
「っ……」
ムッとして黙ったヴィンセントに、ちょうど行き合った中年の魔法使いが「無駄だぞ、坊主ー」とにやにや笑いながら言った。
「“その男、スリム・ウルフ! 腕も立つけど弁も立つ”ってなぁ!」
あっはっはっは、と髭を揺らしながらすれ違った男を、アーチは少しだけ睨んだ。目が合ってしまった男はヒョッと肩をすくめて、早足になって去っていった。
「何、今の?」
「気にしないでください」
自分を囃し立てるために作られた詩など教えるわけがない。
「そんなことより、着きましたから。そこで少し待っていてください」
「「はーい」」
少年たちが素直に頷くのを背中越しに聞いて、アーチは『交通局』とプレートの掛かった扉を開けた。