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2 バロウッズ先生とチーズケーキ

 当然のようにアーチは「はぁっ?」と言ったのだが、それは少年たちの大声に掻き消されてしまって、先生の耳には届かなかった。


「ええええええええっ!」

「弟子っ? 弟子になるの、僕たちっ?!」

「なんでまた唐突に――」

「嘘だろ嘘だろ嘘だろっ!」

「――しかも、スリム・ウルフの?」

「どういうことなのっ?!」


 少年たちはバロウッズ先生の机に飛び付いて、なんで、どうして、と喚き散らしている。食べかけのエサ皿を取り上げられた子犬たちのようだ。

 先生はへらへらと笑いながら、キャンキャン纏わりついてくる子犬たちをどうにか落ち着けようとしていたが、瞬時に面倒くさくなったらしい。ひょいと杖に手をかけた。


「『お口に(Chuck in)チャック(mouth)』!」


 一振りした瞬間、奇妙な呻き声を最後に、子犬たちは吠えるのをやめた――やめさせられた。バロウッズ先生の得意技だ。日本のアニメ映画を見て真似したんだ、といつだったか、本人が楽しそうに語っていたのをアーチは覚えている。金髪が口元を押さえてしゃがみ込んだのは、強制的に口を閉じさせられた時に舌を噛んだのだろう。


「ボーイズ、元気であるのは僕の好むところだけれど、説明ぐらいはさせてほしいな。さて、ウルフ。まず僕が説明する? それとも、君も抗議する?」


 迂闊に抗議などしようものなら即座に『お口にチャック』をやられるだろうと察して、アーチは諦めた。


「説明をお願いします、先生」

「よろしい」


 バロウッズ先生は笑みをいっそう深めた。


「では簡潔に。彼ら三人は、校外で一般人(オーディナリー)に向かって魔法を撃った。幸いにして、当たらなかったけれどね」

「それはそれは」


 学生を含め、無免許の魔法使いによる魔法の使用は重大な違反だ。ましてその矛先が一般人に向いていたとなれば、退学級の事態である。


「で、会議の結果、犠牲者はいないし、彼らも反省している。何より、優秀な魔法使いの卵を中途半端に放り出すのは、誰にとってもよろしくない。だから、退学だけはどうにか避けよう、っていうことになったんだ。

 ただ、単純な停学処分では生ぬるいし、その間勉強が遅れてしまう。むしろ学校よりもっと厳しい環境でびしばしやってもらう方が“正しい処分”なんじゃないか、ってね」

「それで、一ヶ月間の弟子入り、ですか」


 魔法界には師弟制がまだ残っている。学校が出来た今となっては十年に一人いるかいないか、という程度だが、一応それでも協会が定める試験にさえ合格すれば正式な魔法使いになれるのだ。

 バロウッズ先生はこくこくと頷いた。


「その通り。さっすがウルフ、理解が早くて助かるよ!」

「では早速ですが、“お断り申し上げます”」


 アーチはきっぱりと言った。

 先生は笑ったまま器用に眉根を寄せた。


「どーして!」

「子どもを預かれなんて軽々しく頼まないでください! 仕事が出来なくなります!」

「君なら子どもの一人や二人や三人ぐらいいたところで問題ないだろう?」

「ありますよ! あるに決まってるじゃないですか!」

「大丈夫だって、彼らは問題児だけど優秀だし!」

「無理です、嫌です、帰ります!」

「おっと、そこには『鍵が掛かっている』ぞ!」


 踵を返したアーチの目の前で、扉がひとりでに閉まり、ガチャンっ! 錠が下りた。普遍的なサムターンのように見えるそれが、手を近づけると蛇の頭になって噛みついてくることを知っているアーチは、しぶしぶ先生に向き直った。


「……何を言われようと無理なものは無理です、バロウッズ先生。私の仕事内容はご存知でしょう? 子どもたちが付いてくるのは、非常に、危険です」

「ううーん」


 バロウッズ先生は軽く呻くと、杖を机上において、椅子をぐるんと百八十度回した。

 それから“これは独り言ですよ”という雰囲気を全身に纏って、窓を相手に話し始めた。


「参ったなぁ、素直に受けてくれないと困るなぁ。でもまさかあの(・・)会議の内容を漏らすわけにはいかないし……まさか魔法使い第一主義者たちがウルフの階級降格を提言してきて、このままだと押し切られるかも、なんて口が裂けても言えないからなぁ」


 アーチは眉間にしわを寄せた。聞き捨てならない言葉だ。

 自分が魔法使い第一主義者たちに――一般人(オーディナリー)に肩入れし過ぎるとか、魔法を安売りしているとか、そんな理由で――嫌われていることは分かっているが、降格を提言されるほどとは思わなかった。しかも、その提言が通りそうになっているなんて。どうやら日ごろ売りまくっている恩の価値が下落しているらしい。

 先生の“独り言”は続く。


「それに、金枝階級(ゴールド)から銀枝階級(シルバー)になったところで、痛くも痒くもないって本人は言いそうだし。でもそうなったら、ゴールドだから不問に付されているあれやこれやがあっと言う間に問題になって、干される(・・・・)かもしれないんだけど……そんな脅しに屈するやつじゃないもんなぁ、ウルフは」


 正直それは屈するかもしれない、とアーチはこっそり思った。

 魔法使いの階級は四つあり、金枝階級が一番上なのだ。格別な功績を挙げた魔法使いだけが至れる階級。個人的に弟子を取ることが許されているのも、金枝階級の魔法使いのみである。

 そして一番上だからこそ、使ってもよい魔法や魔法具、場所があり、アクセスできる情報があり、許される無茶(・・)があるのだった。


「アンブローズ・カレッジの依頼を快く引き受け、後進の育成に寄与した、ってのはいいポイント稼ぎになるし、上の連中も黙ると思ったんだけど……うーん、どうしよっかなぁ……そうだ、ここはひとつ、情に訴えてみようかな」


 先生は再び百八十度回転して、アーチをしっかりと見据えたようだった。相変わらず目は糸のままだからよく分からなかったが。


「頼むよ、ウルフ。月下寮(シェリ)の先輩として、後輩を助けてやってくれ。君が断ったら彼らは退学だ。それはあまりに、可哀想だと思わないかい?」


 アーチはゆっくりと息を吐いた。目を瞑って、少しだけ考える。

 先生の“独り言”は本当のことだろう。いくら鈍感なアーチであっても、十五年以上付き合いのある先生の言葉の真贋ぐらいは見抜ける。では、どうするか――

 ゆるりと頭を振って、アーチは目を開けた。


「……先生のその、違反を違反と思わない姿勢は、私の好むところですが」

「違反? 何のことかな?」

「いいえ、何でもありません」


 そらとぼけた顔は見慣れたものだ。このふわふわした口調に苦汁を飲まされている魔法使いたちを、在学中から幾人も見てきた。まさか自分がその内の一人になるとは夢にも思わなかったが。


「ちなみに、ですが」

「なんだい?」

「彼らに“万が一”のことがあったら、どうなります?」

「そりゃあもちろん」


 先生は満面の笑みで、アーチと自分を指差し、親指で首元を掻っ切る真似をした。


「はは」

「アハハハハハハ」

「いや、笑えないんですけど」


 アーチの睨みをさらりと躱して、バロウッズ先生は机に身を乗り出した。


「それで、どうかな。引き受けてくれないかな……?」


 彼は下から覗き込むようにしてアーチの顔色を窺った。それは先生にとって煽るための仕草なのだということをよく知っているアーチは、黙ったまま契約書を取り出し机上へ叩き付けるように置いた。


「生活費と医療費、その他かかった必要経費は請求させていただきます」

「もちろん! 任せたまえ、ケルビンの名に懸けて、学校の予算からぶんどってみせるよ!」

「よろしくお願いします」


 それなら“不”必要経費も容赦なく計上してやろう、とアーチはこっそり思った。

 バロウッズ先生はワタリガラスの羽ペンでサインをして、「『我が思考は疑いなく正気であり、我が記憶は最後まで偽りなし』」と唱えた。自他を問わず、魔法による文章改竄を防ぐための呪文だ。金色の光が一瞬だけ先生の名前の上に散らばって、インクを固定した。それから血の拇印が押された。


「これでいいかい? 何か質問は?」

「……彼らの口を解放して差し上げなくてよろしいのですか?」

「おっとそうだった! 忘れてた忘れてた」


 先生がくるりと杖を振ると、ずっと鼻呼吸で耐えていた少年たちが一斉に声を上げた。


「酷いよ先生ー、忘れるなんて」

「はぁー……まだ舌が痛ぇ……」

「それで結局、俺らは一ヶ月だけ……ミスター・ウルフ? の、弟子になるってこと?」


 紺色の髪の少年が簡潔にまとめた。かなり長くて豊かな髪だが、手入れはあまりしていないらしく、乾燥して左右に広がっていた。ラピスラズリのような瞳は聡明な光を湛えている。三人組の中の頭脳役だろう。


「その通りさ、ヴィンセント」


 頷いて、バロウッズ先生は笑みの種類を変えた。生徒向けの柔らかな微笑みだ。


「いいかい、ボーイズ。これは退学処分の執行猶予だと思うんだよ。これから一ヶ月の間に、再び問題行動があった場合、即座に退学処分となる。そうでなくとも、ウルフの仕事に同行するのはたいへんな危険が伴うから、彼の言うことをよく聞くように。

 ――大丈夫さ。彼はきっと、君たちのことを理解してくれるよ」


 そういうことは普通本人がいないところで言い含めるものじゃないんだろうか、とアーチは思ったが言わなかった。バロウッズ先生のことだ、僕に普通を求めるのかい? とか言い返されるに決まっている。

 だから、代わりに自分が出ていくことにした。契約は済んだのだし、正直もう寝たくてたまらない。


「医務室のベッドをお借りしても?」

「どうぞ。ヘンウッドの了承は貰ってるから」

「……そうですか」


 つまり、私の承諾は無理やりにでも取るつもりだった、と。


「では、明日のことはまた明日、朝食の時にでも、お伝えしますので」


 後半は少年たちに向けた言葉だ。少年たちは寝ぼけているように曖昧に首肯した。

 それからアーチは部屋を出ようとして――ふと足を止めた。


(やられっぱなしは性に合わない)


 くるりと方向を変えて、先生の本棚の一番上、戸棚になっている部分に手を伸ばす。取っ手の役割を果たすはずの小さな白猫が、板の中からアーチを睨みつけた。


「『欠け満つ月、蜂蜜好き』」

「ウルフ?! なんでその合言葉をっ!」


 バロウッズ先生が椅子を蹴倒す勢いで立ち上がった。

 アーチは答えず、取っ手になった猫を掴んで戸棚を開けた。中にはバロウッズ先生秘蔵の蜂蜜チーズケーキが収められている。これが最高に美味しいのだ。一切れ奪って、それを口に放り込む。


「もしかして君、在学中もやってたな?!」

「さて、どうでしょう」

「あああああもう! 道理で! 食べた記憶がないのに減っている時があると思った!」

「鼠でもいるのでは?」


 そう言ったら、戸棚の猫が不満げに一声鳴いた。自分の勤務態度を疑われたと思ったらしい。謝罪のつもりで土台のビスケットが付いた指を差し出すと、小さな猫は嬉しそうに飛び出してきてアーチの指先を嘗めた。

 すっかり機嫌を直した猫を戸棚に戻して、まだご機嫌斜めな先生に向かい一礼する。「では、私はこれで」と、アーチは部屋の鍵に手を伸ばした。すかさず蛇が噛み付こうとしてきたが、それより早くその首を掴み「『開け(open)ゴマ(sesame)』」呟いた瞬間、蛇がサムターンに戻って、カチャリ、錠が上がった。


「おやすみなさい、先生、ボーイズ」

「おやすみ、ウルフ。良い夢を」


 溜め息混じりの先生の言葉を、アーチはありがたく受け取った。悪夢はしばらく見なくていい。ついさっき見たばかりだし、現実でも悪夢のような契約をしたのだから。

 誰もいない廊下を、やはり足音を潜めたまま歩いていく――が、大きな欠伸の声は殺しきれなかった。


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