0日目
特にありません。
机の上に置かれたビデオテープを、今日も繰り返し聞いた。
ーー2030年春ーー
俺はもうすぐこの世界から消える。
何も不思議なことではなくて、死ぬことに対する恐怖も今ではそんなに感じない。
自身の死を受け入れているかと言われれば100%そうとは言い切れないが、19年間という短いようで長い時間の中で少しずつ受け入れてきたつもりだ。
例え自分がいなくなったとしても世界は絶えず回り続けるだろう。まるで「最初から君なんていなかったんだよ」とでも言いたげに。
「おー、水樹。元気してっか?」
病室のカーテンの隙間から陽気な声が飛んできた。Tシャツにジーパン、いかにもコンビニ行ってきますって感じの服装で、俺の居る病室を訪ねてきた彼の名前は修平。
「んー、まぁまぁかな。」
本心から出た言葉だった。旧友からの問いかけを受け、光の速さで自身の人生を振り返った。
幼くして通院生活を強要されたこと。自分に対する周りの優しさが返って自分を苦しめていたこと。
『君は病気だから』
どこを向いてもそんな声が聞こえてくるような世界で、俺は生きていた。花の声は聞こえない。虫の声も、鳥籠の中の小鳥が何て言っているのかなんてわかるはずも無い。だって俺は人間だから、周りと同じ人間だから。特別扱いなんて願ってなくて、ただ周りと同じように生きたかった。そんな俺のマイナス思考を遮るように修平が口を開いた。
「にしてもあっち〜な。ちょっと飲みモン買ってくるわ。水樹、お前もなんかいるか?」
「別にいいよ、またなんか看護師に言われるのめんどくさいし。」
下手にジュースなんか飲んで怒られるのは御免だ。「そうだよな」と修平はバツが悪そうに呟いた。
「俺のことは気にしなくていいから」
気を遣わせてしまったことに少し心が痛む。「俺なんかのことで気を落とさないでくれよ」と、きっと俺がそう彼に伝えても彼はきっと「お前は悪く無い」と言うだろう。決して修平が悪いことをしたわけでも無いのに、俺の現状が彼に無意識の罪を負わせてしまっているのだ。
「分かった、来たばっかやけどちょっと行ってくるわ」
そう言って修平は両手に抱えていた薄くて大きな荷物を病室の椅子に無造作に置いた後、病室を後にした。
俺の患っている病名は「後天性免疫不全症候群」通称「エイズ」だ。未熟児として産まれた俺は産まれて間もなく急性的な貧血に陥った。低酸素状態でかなり危険な状態だったらしく、赤血球輸血の処置が施された。一時は一命を取り止め、医師と母そして周囲の人間がともに安堵したが、問題は俺が未熟児として産まれてきたことだけに収まらなかった。3ヶ月に一回行われる定期検診でそれが発覚した。
「輸血された血液が汚染されていた」
現実を受け止め切れない母の様子が容易に想像でき心が痛む。今思い返せば母は事あるごとに俺に謝っていた。そんな母を見るのも辛かった。病気が体を蝕む度に俺は母さんに言った。「全然辛くないよ」と。それがまだ幼い俺にできる唯一の親孝行だったのかもしれない。
現代は以前と違って薬を使ってエイズの発症を引き延ばすような治療法ではない。お金さえあればどんな病気でも治すことができるが、病の種類によっては莫大なお金が必要になる。それこそ今から10年前に治療法が確立されていなかったような病であると、現代でも月に家族旅行が出来てしまうくらいの額だ。残念ながら「後天性免疫不全症候群」はその月旅行に値してしまうらしい。過去の医療技術を恨んでも仕方ないが、それくらいの権利はあってもいいはずだ。まぁでも実際に家族月旅行ができるならば俺はそっち側を選ぶかな。
再びカーテンが揺れ、馴染んだ旧友が顔を出す。右手と左手には一本ずつ同じ天然水が収納されており、彼は俺の顔を見るや否やニカッと笑って一本を俺に差し出してきた。
「水ならなんとも言われねーだろ、俺は丁度水が飲みたかったんでな」
とだけ一言付け加え修平はゴクゴクともう一本の水を飲み始めた。
昔は「水なんて買うもんじゃねぇ!!金がもったいねぇ!!」と叫んでいたことから、別に水が飲みたかったわけではない事くらいは分かった。
「ありがとな」
俺の口から放たれた感謝の言葉に一瞬修平がたじろぐ。
「水でわりーな、安かったからこっちにしたわ」
「俺も水が良かったさ」
自然と交わされる会話に笑みがこぼれる。修平とは中学2年生の頃からの付き合いではあるが、お互いに成長しているとは言えないかもしれない。「こんな付き合いをしているのはこいつくらいだろうな」と窓の外に目をやった。すると修平は、突然思い出したかのように半分以上飲んだペットボトルのキャップを勢いよく閉めた。そして自慢げな表情で椅子に置かれた薄くて大きなものを持ち上げこう言うのだ
「今日はいいもん持ってきたぞ!こーんな狭くて窮屈な場所じゃお前も暗くなっちまうわな!!」
修平は満面の笑みを浮かべる。両手には薄型の液晶ディスプレイが抱えられていた。
「なんだよ、それ。まさかこの狭い部屋に置くってんじゃないだろうな」
平凡とした病室の中で異彩を放つ液晶ディスプレイ。その気持ちだけで十分だ、遠慮なく持って帰ってくれと切に願った。
「まさかって、それ以外ないだろうよ。スマホばっか眺めてないでたまには地上波にも目を向けろって。案外お前さんの知らないニュースが溢れてるかもしんねえぞ」
「地上波に目を向けるって、なんかその表現面白いな。とはいえニュースならスマホでも簡単に、と言うかどちらかと言うとスマホの方がやっぱ便利だと思うんだけど」
「細かいことはいいんだって、無いよりはあった方がいいだろう??」
「無くてもいいものは無い方がいい主義なもんでな」
友人の親切をバッサリ薙ぎ払うかのように言い切る。だがしかし彼はこの程度で折れるような男ではない事は何を隠そう自分が一番理解していた。
「ところでコンセントってどこにあるんだ?」
「修平、お前人の話聞いてたか?、、」
やれやれ、とは思いつつあえて表情に出しつつ、俺はベットに取り付けられた照明のあたりを探すよう指示する。
「なんかやけに埃っぽいな、水樹ちゃんと部屋くらい掃除せな」
「それは勿論冗談のつもりで言ったんだよな?」
俺がいるのは病室で、当然自分家のさらに自分の部屋というわけではない。少々ベットの下が埃っぽいことなんか気にしてられるか。
「あと修平、お前にだけは掃除云々語られたくない」
いつの日のことか正確には覚えていないが、俺は以前修平の家に泊まりに行ったことを思い出していた。
「まぁまぁ」と自分の発言にしっかりブーメランが刺さっているのを確認したところで、修平は話を切り替えるかの如く液晶ディスプレイに電源を入れた。
『記憶の売買、についてはどうお考えでしょうか〇〇さん。えぇそうですね個人の記憶というものは非常に高値で取引されr....』
昔から変わらないニュース報道番組が流れる。番組名や親しみのあったキャスターなどに入れ替わりはあるが、大枠見違えたという点は特に見受けられない。
難しい話が(堅苦しい様子)が苦手な修平はためらう様子も無くチャンネルを切り替えた。
『♪〜』
修平は嬉しそうな顔をしてこちらを見つめた。「どうかしたのか?」俺が尋ねると修平は首を左右にふった。「何もないことはない」といった様子に少しばかりの違和感を抱くが、細かいことは気にも留めず俺は流れてくる音楽に耳を傾けた。
「どこかで聞いたことあり、そうな曲だな」
「まあ、そりゃそうだろうよ」
修平は当然だと言わんばかりに呟いた。そして少し慌てた様子で「人気だからなっ、聞いたことくらいあるさ!!」と付け加えた。
おかしいな、こんな10数年も前の曲が今でも人気だなんて。訝しげに修平を見つめるが、落ち着きを取り戻した彼の表情に普段となんら変わった様子はなかった。
コンコンっ
病室の外からノックする音が聞こえた。
「どうぞ」
俺は少し声を張りドアの向こうまで届くように言う。
特に音を立てることも無く開いたスライド式のドアから一人の女性が顔を出した。
センター試験の余った時間でふと思いつきました。