エピローグ
エピローグ
芸術の秋。放課後の職員室で、その男性教師は当惑していた。椅子に腰をかけたまま、目の前に立つ生徒の清々しい表情と、彼女の持参した作品を何度も何度も見比べていた。
「いや、だってさ――」
言い淀み、
「そうだ、美術の先生に見せてみたか?」
「はい」
少女はにこやかに答える。
「……で、なんだって言われた?」
「担任の先生に見せなさい、って言われました。もう美術の課題として応募するわけじゃないから、その方がいいって」
「ああ、そう」
教師は腕組みして黙りこくる。新卒で採用されてから十年、こうした些細な事柄が変に拗れて大事になる可能性を知らない彼ではない。下手をすると自分の教育者としての資質まで問われかねない。
目の前の生徒の心へ寄り添い、親身に、真剣に考えている、という顔をこれ見よがしに作りながら、
「だってさ――」
彼は慎重に口を開いた。
「『この川の未来』がコンクールのテーマなんだろ?」
「はい」
「去年の君の作品、俺も見たよ。ほんとに圧倒されたな。俺はSF小説が結構好きなんだけどさ、ああいう隅田川が現実になるまで生きていたいと思ったよ、ほんと」
彼女が去年、同じコンクールで最優秀賞を獲得した絵には確かに、中学生離れした技術と規模で大川の未来が描かれていた。科学技術で完全に浄化され、大都市の足元で生命に溢れる大川と、その川面を新型水上自転車で走り回る子供たち、人々の笑顔。清き水の都が横二メートル、縦一メートルのカンバスへみっしり盛大に再現されていた。その大作は回りに回って今、区役所の玄関に飾られている。当然、周囲からの次作への期待も相当に高い。
「現実になりますかね?」
「なるさ。きっと、なるさ」
二人は微笑みあった。
「まだ色々描けるネタはあると思うんだがな。ほら、去年の絵の内容を発展させて、絶滅した動物たちまで蘇って、川が時代を超えた楽園みたいになるッ、とかさ」
「ハァ、なるほど――」
「そうだ、川を守るクールなヒーローが出てくるなんていいんじゃないか? アメコミとポップアートを組み合わせた感じでさ。ほら最近、ヒーローものがまた流行ってる……だろ?」
やがて自分の即興が恥ずかしくなったものか、男性教師は軽やかな笑みから目を逸らした。再び彼女の新作を見やり、あくまで〝素朴な疑問〟という調子で、
「なあ、これのどこが『この川の未来』なんだ?」
優しく問いかける。
「これじゃあ……、これじゃ、ただのおっさんじゃないか」
去年とは比べ物にならない小品だった。鉛筆で丁寧に描かれた、だが、どこまでも単純な成人男性の肖像画だ。川に関わるものは一つとして見当たらない。それどころか、肝心のその肖像すら、男性教師にはどこか薄ぼんやりと、ぼやけているように見える。だが、
「そうですよ?」
少女は堂々頷いた。目の奥に少し、物悲し気な色もないではなかったが、背筋を伸ばして胸を張り、
「ただのおっさんです」
はっきりと言い切る。
「ただのおっさん、ただのおじさま……」
そして、
「ただの、大人」
〈了〉
ⓒ 2016 髙木解緒
読了に感謝いたします。
参考文献
●『生物の進化大図鑑』
マイケル・J・ベントン、小畠郁生 他 河出書房新社 2010年10月
●『カンブリア大爆発の謎』
宇佐見義之 技術評論社 2008年4月
●『キャンベル生物学 原書9版』
池内昌彦 他 監修・翻訳 丸善出版 2013年
●『聖書 新共同訳』
日本聖書協会
●『古事記』
倉野憲司 校注 岩波文庫 1963年1月
●『フューチャー・イズ・ワイルド』
ドゥーガル・ディクソン 他 ダイヤモンド社 2004年1月
●『ウィルスは生きている』(講談社現代新書)
中屋敷均 講談社 2016年3月
●「ジオロジカルタイムスケール2009」
アメリカ地質学会 2009年
※ この物語はフィクションです。作品中に登場する人物、団体等と実際に存在する人物、団体等とは無関係です。




