Hit.3 新入生は図書館で鹵獲する
翌日、朝から夕方までみっちりと入学後の基礎学力試験を平らげたレイジは、凝り固まった肩をほぐしながら構内を歩いていた。
行き先は昨日と同じ、弓道場に併設された射撃場だ。
手元の時計は午後4時半を過ぎたところ。試験自体は4時に終わったが、購買で飲み物などを選んでいたら少し遅くなってしまった。
昼の休憩時間に副部長のアケミに顔を出すことは伝えてあるが、これはちょっと急ぐべきか。
小走りで体育館を通り過ぎて射撃場の近くまで来ると、中から金属板を叩く特有の音が聞こえてくる。
良かった。誰かは中にいるようだ。
「こんにちは。お邪魔しまーす……」
扉を開けてやや控えめに挨拶。一礼して顔を上げると、パイプ椅子にどっかりと座る迷彩服の長身美女、アケミが出迎える。
「おう、レイジか。射撃場に来て人が撃ってたらまずはゴーグル。どこから弾が飛んできて目に入るか分からんからな」
分かりましたとレイジは答え、アケミから投げ渡されたゴーグルを手早く装着する。
「ありがとうございます。今撃ってるのはサクラさんかカレンさんですか?」
「いや、サクラは今日も勧誘。今撃ってるのはカレンが図書館で鹵獲してきた新入生だよ」
「図書館で、鹵獲……?」
「そう、図書館で、鹵獲」
ブース内のパイプ椅子に腰掛け、的のある方に怪訝そうな視線を向けると、確かに2人の後ろ姿が見えた。
1人はカレン、小さな身体を迷彩服に包み、あれこれともう1人に銃の撃ち方を説明しているようだ。
もう1人は、膝下まである青いロングスカートに白いブラウスを着た女性。
銃を撃つ時に邪魔にならないように黒いロングヘアーをヘアゴムか何かでまとめている。
一瞬こちらを振り向いて会釈をするも、表情は顔全体を覆うフルフェイスタイプのゴーグルで隠れているため、伺い知ることは出来なかった。
しばらく、射撃場に銃を撃つ音とカレンの声だけが響く。
「そういえば昼に連絡をもらってはいたが、週末のサバゲーをどうするか決めたのか?」
カレンとロングスカートの女性を眺めながら、アケミがレイジに問いかけた。
「あ、はい。せっかくご招待頂いたので、参加してみようと思います」
アケミはそうかそうか! と笑うと、レイジの頭をガシガシともみくちゃにした。
「アタシらが主催するわけじゃないけどな。今週末行くのは『定例会』って言って、サバゲー専用のフィールドに個人やグループがそれぞれ参加予約をして集まるんだよ。フィールドを運営、進行を管理するスタッフがいるし、ルールやレギュレーションもしっかりと決められてるんだ」
なるほど。とレイジは頷く。子どもが近くの空き地や河川敷等で無秩序に撃ち合うのとはだいぶ違うらしい。
「当日の服装や、銃はどうしたらいいですか?迷彩服なんて俺持ってないですよ」
「あぁ、いいよいいよ装備なんて。銃はとりあえずウチの部の備品を貸すし、服はデニムに長袖シャツ、運動靴でも全然イケるから気にすんな」
迷彩服はホラ、雰囲気作りというかコスプレみたいなもんだからなー。とアケミは豪快に笑う。
それに、とアケミは続けた。
「迷彩服はそれこそ無数に種類があるからな。銃も大半は見た目が違うくらいで、機構としてはどれもほぼ同じだよ。もしサバゲーを続けていくなら、自分の装備は吟味して欲しい。後輩の選ぶ楽しみを奪う程、アタシは野暮じゃないよ」
「分かりました。それじゃあ、今週末はよろしくお願いします!」
銃の試射を終えた青いロングスカートの女性が、銃を携えてこちらへとやってくる。
ベージュのパンプスから垣間見える脚はすらりと細い。
手に持っていた銃をカレンに返すと、髪を縛っていたゴム紐をほどき、頭を振ってばさりと一度なびかせた。
最後に、顔全体を覆っていたフルフェイスのゴーグルを脱ぎ去り、一息つく。
「……はぁ、楽しかった」
自分に言い聞かせるようにしみじみと呟くと、カレンに向けて一礼する。
「カレン先輩、ありがとうございました。とても貴重な体験でした」
「……ん。こころが楽しんでくれて私も嬉しい。そこの椅子に座ってて、今お茶でも出す」
再度カレンに向けて一礼し、柔らかな動きでパイプ椅子に腰を落ち着けた。
そしてふと、レイジと目が合う……前にアケミが身を乗り出した。
「お疲れさま。夏目こころちゃん、だったね。アタシは副部長の芥子田アケミ。3年生だ。楽しんでもらえたようで何よりだよ。こっちはレイジ。君と同じ1年生だ」
アケミは片手でこころと呼ばれた女性と握手を交わし、もう片方の手でレイジを指差す。
「南部レイジです。……よろしく」
「初めまして、南部さん。夏目こころ、と言います」
遠慮がちに挨拶を交わすレイジとこころ。どうやら、お互い対人スキルはそう高くないようだった。
会話が続かず、少々気まずい雰囲気が射撃場に漂い始める。アケミはというと、いつ助け舟を出してやろうかといった表情で2人を眺めていた。
沈黙を破ったのは、射撃場の入り口の扉を閉める重たい音。カレンがお茶とお茶菓子を持って戻ってきたのだ。
ブース内のテーブルに人数分のお茶とお菓子の入った木皿を置くと、レイジをじろりと睨む。
「こころは私の後輩。手を出したら極刑」
「出しませんよ!?」
後で聞いたところ、カレンとこころは同じ高校の出身で、高校時代にはよく図書館で一緒に読書や勉強をする仲だったらしい。
「大学に入ったカレン先輩が、こんな運動部みたいな部活動をやっているなんて、思ってもみませんでした」
「……自分が物語の主人公になったみたいで、楽しい。本を読んでいるだけじゃ分からないことがたくさんあった。それに、走り回るだけが戦術じゃない」
ふふん、と上機嫌そうにお茶の入ったグラスを傾けるカレン。こころも興味深そうに頷き、ぱくりとお菓子を頬張る。途端に顔が幸せそうに蕩けた。
「このどら焼き、おいふぃいですぅ」
「当然。こころが来ると思って私の秘蔵のどら焼きを解禁した」
仲いいなーこの2人。と思いながらレイジもどら焼きをかじる。
しっとりとして上品な甘さのあんこに、もっちりとした生地が良く合う。思わず頰が緩んでしまう美味しさだった。
隣を見れば、アケミも無心でどら焼きを味わっている。
先ほどまでの気まずい空気は何処へやら。食べた者全員を幸せにする、幸福のどら焼きだった。
「私だけ食べてないんですけどー!?」
ーー空耳が聞こえた。
「……じゃあ、南部さんも昨日初めてここに来たばっかりなんだ」
「そうそう。体育館を出たらサクラさんにとっ捕まって、割と強引に連れて来られちゃった感じ。それと、レイジでいいよ。南部さん、って言いにくいでしょ」
「じゃあ、レイジさんで。私は、カレン先輩に誘われて。本の虫だったカレン先輩が本以外に興味を持った物が気になったの」
幸福のどら焼きのおかげか、少しは打ち解けられた2人。
改めて見るこころは、黒縁メガネに垂れ目が印象的な大人しそうな女性だった。動物でいうと、アライグマが少し似ているかもしれない。所謂たぬき顔女子というものなのだろうか。
入学早々にタイプの違う美女と4人もお近づきになれたことに、レイジは心の中で最大限のガッツポーズをする。
誰だって可愛い女の子と知り合えたら嬉しい。分かり易すぎる男心だった。
そんなレイジの邪な思いもいざ知らず、話題は週末のサバゲーの話に移り変わっていた。
「そういやカレン。レイジは週末の定例会に参加してくれるらしいぞ」
「……ん。ありがたい。勧誘しても参加者ゼロだったら流石に悲しかった」
「これで1人は確保か。こころちゃんはどうするんだい?」
「私ですか!? カレン先輩のお誘いですし、1回くらいは……」
「よし! 当日はレイジはサクラ、こころちゃんはカレンに面倒見てもらえ。アタシは、運営に追加の予約をしとく」
すぐさまスマホを取り出し、どこかへと電話をかけ始める。電話口に6人追加な。などと言っているが、いつの間にレイジとこころ以外に4人も捕まえたのだろうか。
レイジは聞くのも野暮か。数日もしたら会えるだろうし。などと考え、特段気に留めることは無かった。
辺りが夕焼けに染まる頃、当日の予定等を確認し、レイジは射撃場を後にした。
明日からはしばらくオリエンテーション等で忙しいが、その分週末まではあっという間だろう。
楽しみでもあり、少し怖くもある。
アパートに向かって桜並木を歩きながら、ストレッチだけでも始めようかな。と考え始めたレイジだった。