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破顔の骸

作者: 天ノ川 こたろう

 時代物の習作がてら。

「かかれやっ、かかれぇっ」


 戦場に怒号が響くと、槍を手にした足軽どもがどっと前に押し出した。白刃同士の突き合う音が激しい喧噪(けんそう)と共に、大気を震わせる。砂塵(さじん)があたりに立ち込めている。


 その有り様を丘上から見ていた一人の黒武者は、ついに業を煮やしきって憤慨した。(かぶと)の前立てには金のトンボの装飾がなされている。


「前衛は何をやっている。こちらが押されているのは何故(なにゆえ)だ」


 手に持つ薙刀(なぎなた)で力まかせに地面を突けば足元の石が砕け散った。その男、痩せ形の体躯(たいく)で胸板は分厚い。目元が険しい形をしていて、眉間の(しわ)は深く、その上から重ねるように古い刀傷が走っている。


 背後に睥睨(へいげい)をくれてやると、その恐ろしさに色を失っていた使番(つかいばん)は息を吹き返し、事の仔細を申し上げた。


 黒装束の鎧武者は奥歯を噛み潰し、


「鉄砲、前へ」


 と告げた。


 (さん)(もんめ)の鉄砲を構えた兵が見据える先には、馬に乗った紅い鎧の大男が、たった一人で我が将兵たちを薙ぎ倒している姿があった。次々と地に沈めていく様はまさに怪物のようであり、狙撃兵はその場に居らずともやにわに総身が(あわ)立った。


 引き金をおろした次の瞬間、轟然と銃口から火を噴き、発射された三匁弾があの騎馬武者を貫いた。緋色(ひいろ)(かぶと)が馬上で揺らぐと、真っ赤な武者はもんどりうって転がり落ちた。


「父上っ」


 落馬した巨漢に若い兵卒(へいそつ)がすがりついた。父と呼ばれた武将は腹を押さえて伏臥(ふくが)している。若侍は狼狽した。周りの兵もおおいに動揺を見せている。


「やったか」


 狙撃した兵が声を上げるが、黒の武者は「いいや、まだだ」とどよめく人海を睨みつけた。


「アレは、これしきでたおれる雑魚ではない」


 彼の放つ凄絶な覇気が周囲の空気を緊張させ、場にいた一同は思わず息をのんだ。勇気ある兵卒がそれと尋ねた。


「あの将は何者でありますか」


 知るも何も、と漆黒の男はいらだちを押さえることなく、最も恐れている名を叫んだ。


「彼奴の名は忍見竜兵衛隆時(おしみたつべえたかとき)、天下に武勇を轟かす、豪傑無双の(つわもの)よ」


 ◇◇◇


 侍大将・忍見竜兵衛は起き上がって盛大に哄笑(こうしょう)していた。


「胃潰瘍ができちまった。こりゃたまらんわい」


 大口を開く豪快なこと、まさに戦を一気にほおばるがごとし。


 驚きに顔をしかめたのは一瞬だけで、膝を立てた時にはすでに口元は愉快にゆがんでいた。馬廻(うままわ)り役の側近どもが急いでその身を抱き起こせば、見上げるほどの巨躯(きょく)が再び戦場でそそり立つ。


 皆朱の槍を拾い上げた男の背丈およそ六尺四寸。太鼓のような巨体には三十貫の重みがある。現代の数値に換算すれば身長一九四センチ、体重一一〇キロ。


 たいへんな巨漢である。


 ダルマのような厳つい顔には、頬の先から耳にかけて弾傷痕が左右対称に刻まれており、戦場で働く彼の形相は相手方には脅威であって、味方にしたら実に頼もしい破れ顔だった。


 腹を射たれた竜兵衛は、痛みを意にも解さぬ様子で馬に再びまたがった。そこにさきほどすがってきた若い兵士、息子の文四郎(ぶんしろう)が駆け寄った。齢は十五の頃。少年のおもかげが残る顔には、不安の色がうかがえる。それもそのはず。現在戦うこちらの将兵、数えて三〇〇。対して寄せてかかるは一〇〇〇の敵。


 戦力の差は歴然である。


 が、しかし竜兵衛は馬上で笑う。


「案ずるな。俺がいる限り、この戦に負けはない」


 竜兵衛は不思議な気を放つ男だ。彼の笑みには人に確然とした安心を与える力がある。文四郎もまた父の勇猛な後ろ姿に、この上ない頼もしさを感じ入った。


 むろん、これを裏付けるだけの器量も竜兵衛にはそなわっている。


 此度(こたび)の戦はいわば小国同士が領地を求めておこなう小競り合いに過ぎないが、その前線で指揮を執るのは天下に武勇をとどろかす「赤槍の竜兵衛」。異名の由来は赤備えを身に纏い、敵のふところへ突き込んでいく雄姿をたとえただけでなく、国一番の強者だけが持つことを許される赤い槍の主であるのが起源である。竜兵衛一人で一〇〇の兵に勝つ、とまで言われた男によって、味方たちは数の劣勢を心配少なく心丈夫に戦えた。


 それに竜兵衛の強いところは、単なる腕っぷしだけではない。


「栗の実に構えよ」


 号令によって竜兵衛の取り巻きたちは瞬く間にして整列し、槍衾(やりぶすま)を作りだした。しかもそれはきわめて狭い間隔で後ろに幾重も連なっている。竜兵衛は、「よし」と自信に満ちた声を放った。


「お前たち、俺の胃をこれ以上痛めてくれるなよ。精一杯に手柄を立てろ」


 不敵な笑みで大声ひとつ励まして、周囲の諸兵をこれでもかと鼓舞して見せた。集結した兵による(とき)の声は、敵将兵をやや圧倒するほどのものである。


 竜兵衛の強いところは、部下の心をまとめ上げる温厚快活な性格にあった。それゆえに、竜兵衛側の結束の高さはすさまじい。彼らの隊は戦国の世にはめずらしい突撃の姿勢を持っていた。槍衾と言って、五メートルの長槍を持つ先鋒が穂先を一列にそろえる戦術までは他所と同じなのだが、竜兵衛が考案したのはそのすぐ後ろに、もう一列同様のものを作るというものだ。


 一列のみならず五列、六列……兵士たちは互いの鼻と後頭部が触れそうな近さで密着することで上から見れば正方形をなしており、側面にいるものはそれぞれ左右に刃を突き出して一切の接近をゆるさなかった。


 これは西洋の騎士というものが突撃に用いた隊形と酷似しているが、日本の武士である竜兵衛が、ましてや西洋愛好家(おたく)だったと言われる織田信長でさえも、知る由がなかっただろう。発想力も常人よりかは豊かであった。


 とにかく近接戦闘において、この「栗の実」と名付けられた集団戦法は強い力を発揮した。


 栗の実はこの戦でも大いに暴れた。“いが”に詰まった者どもはそれぞれ声をあげたり念仏を唱えたりしながら迫っていくのだから、視覚だけでなく聴覚的にも威圧感がある。


 そして竜兵衛は士卒(しそつ)たちを置き去りにし、単騎で敵中のど真ん中へ突撃した。葉武者、騎馬武者関係なしにこの男は剛腕をふるって次々に相手を蹴散らしていく。


 部下をほったらかしなど指揮官たる者にあるまじき行動だが、後から続く栗の実が通れるだけの道を作る必要があった。一騎当千にあたいするこの男だからこそできた芸当である。


 だから相手方は知っている。彼奴(きゃつ)を討ちとれば大いに有利な戦になり、なおかつかなりの手柄になると。皆がこぞって赤い鎧に挑みたがるが、


「修羅だ、背中に修羅を背負うとる……」


 ある雑兵がひとりごちた。


 此度の赤槍は様子が違う。


 鬼の眼光はいつものままだが、今日の顔は笑みを秘めている。歯を食いしばっているようであるが、頬の肉が盛り上がって見えた。たった一人で一〇〇の敵を相手取っているというのに、どうしてあんなに余裕があるのか。しかも時々笑い声さえあげている。それが不気味に映って仕方がない。


 敵将・竜兵衛が自分の指揮官と馬上でいよいよ対峙した。我が上司も猛将であるに変わりない。竜兵衛が(しご)き出した赤槍を上司はたやすくあしらって、すぐさま首を薙ごうとした。しかし払った刃は赤武者の甲をわずかにかすめただけで、むなしく空を掻き切った。竜兵衛の動きは、身に合わぬ敏捷さであった。


 激しい槍合わせの末ついに上司が突き伏せられたとき、その雑兵は声をあげて逃げ出した。彼だけではない、周りにいた兵たちも恐慌しながら退いた。


 こうして戦場は竜兵衛を軸にして真っ二つに割れてしまった。前衛のあまりの撤退ぶりにもはや敵の本陣が丸見えだ。


(……おかしいのう)


 このままひと駆けに敵大将へ切り込んでも良いのだが、竜兵衛はふと首をかしげた。


 敵の数が、思ったよりも少ないのである。


 開戦時、合戦場を満たしていた雑兵は、東西に遁走(とんそう)した者と比べてみても、結構な差異があるような気がする。本陣護衛や途中脱走兵も勘定に加えても、やはり腑に落ちない。


 それと、もう一つ。栗の実が追いついてこないのだ。丸太に刻んだ斧傷のように道はぱっくり広がっているのに、どうしたというのか。


 とその時、背後から新たな喊声(かんせい)が聞こえてきた。己がこじ開けた道を、竜兵衛はかえりみた。


 そこでは栗の実が足止めを喰らっていた。いつのまにか出現した敵部隊によって、味方は左右から押し攻められている。しかもその一方は後ろに回って、背後をとろうとしていた。


(しまった、別動隊を隠していたか)


 敵兵の塊はどちらともに栗の実の二倍の大きさはある。それを巧みに操って見せるとは、あちらの指揮官は手練れらしい。現に敵が回り込もうとしているのは、栗の実の弱点なのである。突撃用隊形であるあの隊形は前三方への防御は堅いが、背後が文字通りがら空きなのだ。にわかに汗が噴き出した。


 あの隊列には、息子の文四郎が加わっている。味方を守らねば。馬首を翻し、竜兵衛は猛然と駆った。


 相手方は猛烈に押し潰さんとしているが、受けるのは竜兵衛が育てた屈強な猛者たち。苦戦を強いられているものの、流石そのイガは決して割れない。部下たち同士の絆も強固なもので結ばれているのだ。


 馬上で竜兵衛は考える。栗の実を難渋させる者がいようとは……。


 いや、心当たりならある。


 だとすれば、その男と渡り合えるのは、この国で自分だけだ。


 しゃにむに馬を走らせた。


 ◇◇◇


 文四郎は今日が初陣(ういじん)である。武人として誉れ高き父を追い続け、槍なら中々扱える腕前までに仕上がっている。しかし外見は父親と真逆で、その風貌は白皙(はくせき)細面(ほそおもて)という軟弱らしい印象であるが、勇敢な性質は一子相伝。始まりの法螺(ほら)が吹かれたら、胸中に渦巻いていた不安は消え、眼前の敵を突き伏せることだけが頭を占めていた。


たとえ長槍が断ち切られても残った柄を手に薙ぎ払い、間合いへまったく寄せ付けない――寄せ付けないのだが、


「多勢にぶぜいでござるか」


 栗の実は四方を敵に囲まれ、広く展開していた我ら方は徐々にすぼんできている。寄せ手の数がこちらに対して多すぎるのだ。斬ってもきっても敵は波のように押し寄せてくる。背を合わせている味方たちは気息奄々(きそくえんえん)ながらも隊形を崩されまいと奮戦する。


 自らも若い体を燃やして戦う。


(これが戦――――)


 不思議なものだ。窮地であるのに、血が、たぎっている。


 切れ長な目を見開きながら、槍を振るう文四郎は思う。


 私の父が生きてきたのは、かくも熱い場所だったのか。初めて戦塵(せんじん)を浴びる身だが、この胸がたぎる感覚にはある種の快感を覚えてしまう。心臓が耳の横にきたかと錯覚しそうなくらい脈打つ音が高鳴っている。槍を振るえばまた一つ、心臓の距離が近くなる。


 それが文四郎少年には愉しくて仕方がない。


 当時の武人の中には、合戦を芸術と考える者もいたそうだ。彼らは一瞬の間におこなわれる命のやりとりを花にたとえ、戦場に咲き、または散ることを至上の喜びとし、そこへ人生を見出していた。酔狂の沙汰といっても過言ではなかろう。


 周辺隣国で最強と謳われた武士の子である彼もまた、そう言った気質があったのかもしれない。


 しかし現時点では初酒を飲んだ小童に過ぎず、


「何っ」


 たった今槍で突き通した敵兵が、最期の力で抜き身を振り上げてきた。


 酔いを急に醒まされた少年は咄嗟にかわすことを考えられるほどの経験が、ない。全身が鎖で搦めとられたかのように身動きひとつも出来なくなった。目の前で白刃が蒼穹に煌いたその時である。文四郎に斬りかかった荒武者が突然、糸を切ったように崩れ落ちた。


 その背に、一本の朱槍が突き立っていた。


 向こうにいたのは、緋色の鎧で身を包んだ当国最強の男、忍見竜兵衛である。


「やあっ」


 のぶとい気合いが鳴り響いた。竜兵衛は取りすがる敵雑兵を左右にわしづかみ、それとひと息に投げた。投げられた哀れな敵兵たちは体が小さく見える距離までに吹っ飛んでしまった。


 咆哮が轟く。相手方はその姿に恐れおののいている。紅い巨漢は槍が無くとも、素手で十分戦えるのらしい。まさに化け物と呼ぶにふさわしかろう。


 味方は我らの英雄を目にするや士気がわっと躍り上がった。


 父上。


 文四郎がまっさきに声をかけようとした途端、竜兵衛は怒気を発した。


「馬鹿者っ」


 喝破が砂塵を巻き上げた。物凄い剣幕で発した気合いは、常人には出しえないほど巨大で凄みのある声だった。あまりの声量に、誰もが槍を止めてしまった。その大声が皆の度肝を引っこ抜き、闘魂の炎を吹き消してしまったのだ。


 文四郎は一瞬、叱咤されたのは誰なのか分からなかった。まさに魂消きっており、口をぱくぱくとさせていた。父の顔は逆光となり、暗く影を落としている。


「馬鹿者」


 竜兵衛は、ふたたび言った。


 されど言霊の勢いは、いちじるしく萎えていた。文四郎はいぶかしんで父の兜の下を目を凝らしてよく見てみた。


 泣いていた。


 竜兵衛は「馬鹿者、ばかもの」と繰り返した。戦の最中にいきなり泣き出すとは何事かと、今までの迫力との落差に一同は騒然とした。息子にも、父がなぜ泣き出したかなんてさっぱり分からない。ずかずかと此方へ歩み寄り、敵兵の背から皆朱の槍を引き抜くと、あたりを見渡し、涙声でこう言った。


「お前たち、無事であったか」


 文四郎は唖然とした。父が泣くところなんて初めて見た。味方諸兵の反応を見るに、やれやれと言った顔をしているものがほとんどである。驚いているのは敵の兵卒一同と、自分だけだ。


「あいすまん、皆を危険にさらしてしもた。俺は馬鹿者じゃ」


 並々ならぬ形相で竜兵衛は皆に詫びた。己の先見の甘さを恨んでいるのだ。この男は、本気で言っている。文四郎はふと感じ取った。


(父上は、仲間に死なれるのが嫌なのか)


 一人で暴れまわるのは、敵の注意を己に引きつけたいがためであったのだろう。


 それにしても天下の鬼武者がこれほどまでに自分を責め、泣きわめくとはどうして考えられようか。いいや、毛頭も及びつかぬ。


「文四郎。文四郎はどこじゃ」

「目の前に居りまする」

「ああ、文四郎っ。怪我はなかったか、痛むところはないか」


 息子の顔を見た瞬間の竜兵衛の顔と言ったら、鬼の眼光も微塵もなかった。文四郎は戦の熱がすっかり冷めてしまった。


 戦場は命のやり取りをする神聖な場所。生半可に槍を取れば死ぬのは必定。戦に美学を持つ者には、相応の覚悟が要るのである。血の煮えたぎる野性にとらわれているようでは、首が幾つあっても足らぬ。


 歴戦の猛将たる竜兵衛はそのようなこと十二分に知っているはずである。今しがた干戈(かんか)を交える昂ぶりを知ったばかりの文四郎も、何となくだが理解している。だのにいきなり現れ、場を冷まし、傷の心配をしてくる父親と言ったら何事か。


 すこしだけ、子は父親に軽蔑を覚えた。


「あっ」


 そこに、音もなく竜兵衛へ斬りかかって来る刃があった。竜兵衛は素早く身を翻し、槍でそれを受ける。不意打ちに気付いていたのだ。文四郎の目の前で、父の手から骨と肉がきしむ音がした。


「ぬうん……」


 かなりの剛力である。膝を危うく崩すところだったが、討ち掛かってきたその者の顔を見て、竜兵衛の歯が口元でちらついた。


「赤槍、待っていたぞ」

「やはりお前か。ようやく出てきよったな」


 力を振り絞って、薙刀を打ち返す。黒い武者は数歩飛びのき、構えを改めた。ゆらりと薙刀を携えているのは漆黒の鎧で身を固めた、目つきの鋭い男である。額の傷跡が、鼻の先まで走っている。竜兵衛の頬の傷と同じくらいに古いものだ。


「虎之助。俺の(せがれ)を可愛がってくれたみたいだな」

「辞儀はいらぬ。早速首を渡してもらおう」

「やれ、気が短いのは変わらんのう」


 息子の隊と当たっていたのは、竜兵衛が宿敵・中須賀甚八(なかすかじんぱち)だった。


 両者は少年の頃より合戦場で槍を突き合わせてきた、往年の好敵手である。齢で言うと竜兵衛がやや年長なのだが、力量では中須賀も肉迫している。戦場を切り裂くような気合いは竜兵衛でさえも押されるほどだ。


 陽気な竜兵衛は今でもその因縁仇を「虎之助」と幼名で呼ぶ。彼は親しみを込めてるつもりだが、中須賀は交わる気など見られない。けわしい三白眼は殺気に満ち、獲物を前にした獣のような強靭な覇気を滲ませている。


 竜兵衛はこれ以上の話はできぬと悟り、周囲の人を払わせた。


「お前たち、手出し無用だ。ここは俺に任せておけ」


 そうは言うものの、もはやこの場で助太刀に入れる勇者はいないし、加わったとて戦いの真似もできぬままに終わるのが目に見えていた。長年竜兵衛と共に戦ってきた兵卒は皆知っている。


 それに含まれない文四郎はちかくの老兵へたずねた。


「父上は勝てますか」


 かぶりを振られた。


「わからない」

「えっ」


 老人は木の枝のような指で竜兵衛をさした。


「竜兵衛様の両の頬に、傷があるだろう」

「はい」


 すると老いた指先が黒い男の方へ移って、


「それをつけたのは奴じゃ」


 そう言った。


 すなわち――


「お前の策にかかり、弾丸二発を顔面に受けながらなお生き残った死にぞこないが、そうして額にしっぺ返してやったのだ。俺とお前はもう貸し借り無しの関係であるぞ」


 竜兵衛の頬を破ったのは中須賀であるし、中須賀の額を切りつけたのは若き日の竜兵衛なのだ。中須賀甚八という黒武者は、赤槍の竜兵衛と互角に渡り合える武勇に加え、策略の才も持っていた。


「おうさ、なれどこの地は戦場(いくさば)。此処で逢ったが百年目。出会ったからには槍合わせを願い入れよう。いざ、尋常に勝負、勝負」


 竜兵衛は一息吸って、目を見開いた。


「あいうけたまわった。中須賀殿との一騎打ち、この赤槍竜兵衛がお相手いたす」


 中須賀は薙刀を上段に持ち、底響きのする声で名乗りを上げた。


基山国(きやまのくに)が副将、中須賀和泉守(いずみのかみ)甚八」

秋羽国(あきばのくに)の住人。侍大将、忍見竜兵衛隆時」


 赤槍を中段に据え、竜兵衛は前に気を集中させた。二人の間に生まれた緊張感は、雑兵たちを丸飲みにせんとするものだった。


「推して参る」


 と聞こえた刹那、裂帛(れっぱく)の気合いが両者の槍を突き動かした。


 皆朱の槍がまず虚空を突き、そのまま薙刀を退けた。


「やっ」


 竜兵衛が押し込む形で槍先を刺し込もうとするが、中須賀の腹には突き立たず、砂巻く風を獲物とした。中須賀はその身を転じて薙刀の切っ先を竜兵衛の肩へ一旋させる。これを竜兵衛、屈んでかわし、黒い具足の足を薙げば、中須賀かるく跳んで過ごす。


 一進一退の攻防戦が瞬くあいだに繰り広げられる。下っ端どもには残像を追うので精一杯だ。どちらも一撃必殺の腕の持ち主。隙を見せれば刹那の先に首が宙へ飛ぶことになる。宿敵同士のはげしい殺気が、衆人環視に刺さるような錯覚を覚えさせた。


 文四郎は固唾をのんだ。自分の目の前で父親が、死ぬか生きるかの境地にいるのだ。かすかに映る父の顔は、凄まじい様相を呈している。


(あれが、父上。さっきまでとはまるで別人だ)


 豪快に笑いながら敵を蹂躙し、部下の無事に号泣していた竜兵衛が、今この地平には存在しない。ここにいるのは赤槍の竜兵衛。鬼人と恐れられた剛腕の怪物であり、呑気な父上とは違うのだ。


 竜兵衛の高腿(たかもも)が中須賀の薙刀をゆるした。足を浅く切られ仰向けざまに倒れかけるが、すかさず竜兵衛は抜刀し、薙刀の柄を二つに割った。そこで左に残した槍をしごき、中須賀のわき腹を目掛けた。


「おうっ」

 と中須賀はよけたがったが、赤槍の速きこと疾風(はやて)のごとし。あばら辺りを鎧ごと切り裂いた。中須賀はかすかに呻きをあげる。こちらも傷は深くなかった。竜兵衛は中須賀が一歩退くのに合わせて、間合いを取り直した。相手は鞘に手をかけた。


「赤槍っ」

「こいっ」


 中須賀が鯉口を切った状態で突進してくると、竜兵衛の刺し出した槍の穂先を光芒一閃、弾き飛ばすや、体当たりを繰り出した。竜兵衛は予想外の攻撃を受け、こらえきれずに倒れ込んだ。組みつく中須賀の手には太刀が握られている。必死でもがき、脱出しようとするものの、体に物凄い力が加わっている。逃げられない。


 これを見た文四郎はたまらず叫んだ。


「父上っ」


 あんなに強かった父が負けそうである。数歩ゆけば届く距離で、父親が顔面を赫にしながら死へ抵抗している。そこに普段の面影はない。


 思えば温かく朗らかな性格の竜兵衛は、一人息子である自分に存分な愛情を注いでくれた。幼少の頃より尊敬し続け、愛慕の念をもって目標となってくれた父は今、敵の手によって絶体絶命の窮地に詰められている。


 文四郎少年は切に叫んだ。


 まだ、死んでほしくない。


 悲鳴がかったその声が聞こえたかは分からない。


 だが、竜兵衛の顔が、笑った。


御首級(みしるし)、頂戴」


 振り下ろされた白刃を、竜兵衛の両手が挟み取った。


 真剣白刃取(しんけんしらはど)りである。


「残念だが、俺の首はまだやれん」

「なにをっ」


 中須賀は刀を押しこむ手を力む。体位では中須賀が上に乗っているため有利なのには変わりない、のだが、刃先は竜兵衛の手に挟まれて微動だにしない。それどころか、


()っ」


 刀身を両手でへし折った。


「なんだと」


 中須賀は宿敵の馬鹿力に驚愕を隠しきれない。丸腰では何も出来ぬ。竜兵衛の体から飛び退いた。


 首を絞められていた竜兵衛ははげしくむせ、全身の傷をいたわりながら半身を起こした。


「もしも」


 荒い呼吸を肩でしながら、竜兵衛は周りをおおきく見渡す。


「ここで俺が死んだとしても、お前たちなら絶対勝てる。俺がそう決めておる」


 味方の足軽たちは己が(かしら)の言葉をにわかに解せなかった。だが文四郎には父の言葉の意味を瞬時に悟った。


 父はこの強敵を相手に、相討ちを狙っているのだ。


「何故だ、何故“ぬし”はそこまで戦える」

「知りたいか。俺が槍を握るのは」


 満身創痍になりながら、破れた頬を吊り上げながら、豪傑・竜兵衛が立ち上がる。


「皆を守るためよ」


 そうは言っても数倍もの兵力の差を一人で補っていた竜兵衛である。現時点で残された力はほとんど尽きてしまっていた。異名の由来、赤槍を片手に竜兵衛は今後の立ち回りを計算する。


(奴の刃を身に受けて、こちらは槍で返り討つ)


 首は掻かずともよい。胸を貫くだけで人は死ぬ。


(相討ちならば、こいつに負けたと言われまい)


 すこし血が足りぬらしい。目がくらみはじめた。


 やるなら今よ。


 中須賀の手には、竜兵衛が半分にたたき切った薙刀が握られている。向こうも雌雄を決する時と見たのだろう。その目に一切の迷いが無い。


「虎之助よ、そっちはその気であるか」

「愚問」

「宜う(ようそうろう)


 微笑しながら朱槍を片手に構える。周りには昔から知った顔がこちらを見つめて囲んでいる。己はてっきり乱戦のさなかに八方の槍に突かれて散ると思っていたが、まさか一騎打ちで果せようとは。しかも相手は往年の好敵手。相手にとって不足なし。


 群衆の中、横目に我が子の顔を見た。これから起こる事を受け入れがたいと言う顔をしている。だが忍見家は主君に可愛がられているし、他国の武将にも昵懇の者がいる。あとは俺が華と散って武名を高く仕上げれば、息子は安泰して家名を継げるはずだ。


 中須賀が地を蹴った。


 竜兵衛は全力で疾駆しながら、吠えた。


 さぁ息子よ、俺の背中を見よ。


 両者が雄叫びをあげながら最後の激突を繰り出したその時である。


「あいや、待たれよ。その槍、待たれよっ」――と知らぬ声。


 二者が激突する寸前、新たな武者が間を割ってはいった。遠路を走駆してきたらしく、呼吸を荒げている。


「それがし、千代(ちよの)(くに)の鈴木(なにがし)と申す者にござりまする。御二方とも槍を収められよ。お味方同士でござりますれば、刃を収められよ」


(たわ)けたことをぬかすな」


 中須賀が怒鳴った。鈴木という若い男は気迫に押されながらも返す。


「嘘は申さぬ。基山国と同盟関係にある我が千代国が、先刻秋羽国とも同盟を締結いたし候。双方は盟友となりましたのですぞ」


「ほ。盟、友……とな」


 竜兵衛はこぼした。意識が朦朧としかけており、言葉の意味を茶のようには飲み込めないである。鈴木は続けた。


「であるからして、この戦は即刻停戦のこと。御両者はもう敵ではありませぬ。どうか槍をお収めくだされ」


「盟友、めいゆう、めい、ゆう……」


 竜兵衛、まだ理解できていない。見かねた文四郎が声をかけた。


「父上、もう戦う必要はなくなったようです」

「めい……って何、戦は終わったのかっ」

「だから、そう申しているでござる」


 鈴木は顔にしわを寄せてわめいた。


 間もなくして調停の談義が執り行われた。時刻は酉の刻(午後六時)を過ぎようとしている頃。ちょうど彼方を見やれば山間の谷へ陽が落ちかけていて、緑の稜線(りょうせん)を山吹の光に塗り替えているところだった。


 この戦は結果として無効となり、形式的には引き分けで終わった。


 一番手柄は言わずもがな忍見竜兵衛である。


「赤槍、次に(まみ)えるのはいつになる」


 和睦を結んでいる最中、中須賀は不機嫌そうに尋ねた。竜兵衛は疲弊して一歩も歩けない状態でいるため輿(こし)に乗せられている。だが答える声音はいつもの調子で、けれどややかしこまっている。


「拙者は一介の兵卒ゆえ政には明るくない。その時は、その時よ」

「分裂を待つか」

「それまで生きておらねばな」


 中須賀は満足そうに口をゆがめた。戦場では互いを殺すことだけを考えていた二人だが、いかんせん関わりは長い。


「此度の槍さばき、相変わらず見事であった。決着はまたの機会に預けよう」

「勝負お預け相分かった。貴殿の太刀筋もまこと天晴れだった。次やり合うのが楽しみじゃ」


 そう言って竜兵衛は、大きく笑った。二人の間に預けられた勝負、これで通算四八回目である。忍見竜兵衛と中須賀甚八。その関わりはとても長い。


 しかし決闘の勝敗、未だつかず。


 ◇◇◇


 さて、ここから少しだけ筆者が介入するのを許してほしい。


 竜兵衛を中心に展開したこの戦であるが、その視野の外ではどうなっていたのか。


 後世に伝わる軍記には、竜兵衛が開いてみた道を、味方本隊が攻め入ったのだと記してある。そして続けてあるには、竜兵衛の起こした行動は、敵の主力である中須賀隊をおびき出し、戦意を削ぎつつ食い止めるための陽動だったのだという。


 つまり栗の実は、今回の戦闘では(おとり)になっていたという事だ。とすると、栗の実を救出に来た際に見せたあの大号泣も、策の内だったのだろうか?


 たしかに発想力の豊かさでは凡人以上と言われた彼ならありえそうな奇策だが、それが嘘か本当かなんてのは、今の我々に知るすべはないのが現実である。


 それだけではない――と迷った末だが、これも付け加えさせていただきたい。

そもそも、この物語の主人公、忍見竜兵衛隆勝という一人の武将が実在していたのかも、正直に言えば定かではないのである。


 世は津々浦々の群雄が一刻一刹那にしのぎを削り、今日の地図があすには使えぬ驚天動地の戦国時代。遺された品々の、なにが嘘でどれが(まこと)か、後世の我々に見分けることは極めて難しいことである。


 もしかしたらこの忍見竜兵衛の英雄譚も、先人が遊びで書いた戯作だったという可能性もなきにしもあらず。というわけだ。


 ただ、そんな「嘘」みたいなお話がもしも本当にあったのなら――なんて考えるのは浪漫に満ちてはいないだろうか。事実は小説よりも奇なり。とも言いますし、ありえなくもないですよね。


 では長くなってしまったが、私の手元の資料をもとに、その後を彼がどう生きたかについて書いてから、この話はお終いとしよう。


 その後戦国の日本は、尾張の織田信長が桶狭間で今川義元を倒したことによって形成が大きく変わってゆく。


 結局、竜兵衛が仕えていた主家は時代の激流の中で滅ぼされ、忍見一族は浪人しかけたが、松平元康の家来・小栗吉忠にその身を拾われた。新たに就ついた主君は後に歴史に名を残す男になるのだがそれは竜兵衛も、小栗も、これから徳川家康と名乗るつもりの松平元康もまだ知らない。


 竜兵衛はそれから何度も合戦に出ては、持ち前の武勇と剛腕で存分に活躍した。しかしながら、あの時、敵兵をして恐れ(おのの)かせしめた笑みを浮かべることは二度と無かった。日常で盛大かつ豪快に笑うことは多かったが、あの不気味さは一度きりだった。


 そして竜兵衛は天命を全うした。


 彼が亡くなった際、体を焼いたらなんと両頬の骨が大きく窪んでいた。二発の弾によるものだと簡単に推測はたったが、興味深かったのはその骸の顔だ。おかしな所に窪みができてるものだから、まるで笑っているように見えたのだ。身内の人らは「骨になっても笑うなんて呆れたもんだ」などと言って、丁重に彼を葬ったのだった。


 さてそんな竜兵衛の生きた晩年、彼が息子と昔語らいをしていたら合戦の話題になった。息子はふと思い出した話を持ち掛けてきた。


 あの日、宿敵との死闘の際になぜ笑っていたのですか、と。


 竜兵衛は息子の話に何度も何度もうなずいて、少しだけ苦笑しながら答えた。


「覚えておるぞ。いやはや、そんなこともあったかのう」

「教えてください、何を考えてあのとき笑ったのですか」

「なんの、初陣を迎えた倅のことよ」


 息子の前でまぬけにやられてたまるかい、と武辺者は照れつつ語って厳つい顔を緩めながら、ご機嫌よろしく破顔した。


 ≪完≫


 最後までご覧いただきまして、誠にありがとうございました。


 当作品は一年前の冬に公開した同タイトルのショートを、さらに広げた物です。宿敵との戦いや親子の絆をもっとほじくって書きなさい、もっと主人公の人となりを教えろよコラ、などと尻をしばかれながら昨年の夏に書き上げました。


 もし、まだほじくり出せる要素がございましたら、ご一報ください。または「良かったじゃん」の一言でもいただけると筆者はとても幸せな気持ちになれますので、どうぞよろしくお願いいたします。


 それではまた次の作品でお会いいたしましょう。


 ご愛読ありがとうございました! 天ノ川の次回作にご期待ください!!

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