愛者 ―知られてはならぬ逢瀬―
こんにちは、葵枝燕でございます。
久々(?)の短編です。そんで、恋愛ものです。
タイトル悩んだので、とりあえずくっ付けて詰め込んでみました。あ、“愛者”は、“はしもの”と読みます。読んで字の如く、「愛しく想う者」を指します。
楽しんでいただければ幸いです。
江野上磨津矢は、その急勾配で長い坂道を駆け上っていた。その度に、彼の口からは白く染まった呼気が零れて、凍てつく中へ溶けていく。彼の首に巻かれた紺色のマフラーが、ひらひらと躍るようになびいた。
(もう、待っていないだろう)
磨津矢はそう思った。それでも足を止めないのは、どこかで願っている自分がいたからだ。
去った年末のイベント事は、全て磨津矢の所為で逢えないままになっていた。クリスマスも、その翌日の彼女の誕生日も、大晦日も、二人きりで過ごすことさえ叶わなかった。彼女の気持ちを思うと、一刻も早く逢って謝りたかったのだ。
(寂しい思いさせて……一緒にいることさえ満足にできないなんてな)
思わず、自嘲するように笑っていた。男なら多分誰でも、愛する人を守りたい、と願うだろう。しかし、今の自分にはその愛する人と一緒にいることもできないのだ。このうえ守りたいなどと、どの口が言えるだろう。少なくとも今の磨津矢には、そんなことを言える資格はなかった。
磨津矢は顔を上げた。坂はまだ続いている。それでも、彼女に逢えることを考えれば苦にならなかった。
長い坂道もようやく終わりが見えてきた。磨津矢は一度も立ち止まらずに、坂の頂上に立った。
そこは、まあまあの広さのある公園のような場所だった。時刻はもうすぐ二十一時という頃で、周囲に人の気配はない。夜であることを抜きにしても、この場所に人がいることは稀だった。だからこそ、磨津矢にとっては都合がよかった。人目を忍んで逢うのに、これ以上いい場所はないだろう。
磨津矢は息を整えながら、公園の中を見渡した。彼女はきっと、何時間も前から自分のことを待っているに違いない。この寒い中、一人きりで待ち続けているだろう。早く逢いたかった。
(あ)
この場所で最も存在感のあるもの――紅色の桜花が咲き乱れる時計台。その下に立っているシルエットに見憶えがあった。逸る気持ちを抑えながら、歩み寄った。
足音を聴いたのだろう。その影が、磨津矢のいる方へ向く。肩の上で切り揃えられた髪と、首に巻かれた臙脂色のマフラーが揺れた。
(やっと、逢えた)
彼女の顔を見たらもう、気持ちを抑えることなどできなかった。磨津矢は一直線に彼女の元へ駆けた。
そして、ようやく彼女を目の前にした。
「ごめん、待たせてしまって」
「大丈夫です」
そう言って微笑む彼女だが、その唇は青白く染まっている。それほど長い間、磨津矢を待ち続けていたのだろう。それだけ長い間、寒い中に立っていたのだろう。それを思うと、磨津矢は自分で自分を止めることができなかった。思わず彼女を抱き寄せる。
「本当に、すまなかった。長い間、待たせてしまって」
言いたいことはたくさんあった。何より、謝らなければならないことが多すぎる。クリスマスを共に過ごせなかったこと、誕生日を祝えなかったこと、年末年始を一緒に迎えられなかったこと――謝らなければならないことは、その全てが磨津矢の所為だった。
「いいんです。こうして逢えただけで、私、すごく嬉しいです」
すっかり冷えた彼女の身体を抱きしめる。こうやって触れ合えることが、磨津矢はただただ幸せだった。
「舞」
彼女の名を呼ぶ。いつも呼び慣れている名字ではなかったせいか、少し気恥ずかしくなった。それでも、二人きりのときくらいは、名字で呼びたくなかった。
(いつも、近い距離にいるのに)
他人には知られてはならない逢瀬だった。それでもいいと思えた。彼女の姿はいつも自分の前にいるのに、人目があるところでは触れることさえ叶わない。
(もっと簡単にこうできればいいのに)
願ってはいけない願いだと、知っているはずの願望を磨津矢は浮かべた。この関係を知られた二人には、きっと破滅しか残らない。それでも、磨津矢は彼女が愛しかった。彼女のためなら、今の地位を棄ててもいいとさえ思えるほどに。
「江野上先生?」
彼女の声が自分を呼ぶ。いつも通りに呼ぶのは、彼女なりの遠慮の証拠だろう。そんな心遣いが、磨津矢は愛しかった。彼女の全てが愛しかった。
「本当に、ごめんな」
謝らなければならないことが多すぎる。人目を憚らず逢える関係ではないことも、近くにいるのに触れられないことも、なかなか二人きりで逢えないことも――いくら謝っても足りないだろう。
そのどうしようもないたくさんの事柄が、江野上磨津矢と綾瀬舞の間を隔てるものの正体だった。
スーツ姿の二十七歳の男、江野上磨津矢。
黒いセーラー服姿の十七歳の少女、綾瀬舞。
その差は、年齢だけではない。数々の差が二人を躊躇わせていた。その数々の差が、磨津矢の足を止めさせていた。どう頑張れば差が埋まるのか、それの答えさえわからないままだった。
たった一つわかるのは、互いに互いが大切な存在だという事実だけだった。それは、口に出して確認しなくてもわかっていた。
「舞、好きだ」
「私も好きです、江野上先生」
互いに言いながら、磨津矢は舞に唇を寄せる。青白さが表すように、ひんやりと冷え切っていた。その冷たささえも愛しかった。そして、簡単に触れられない関係の彼女が何よりも大切だと思えた。
磨津矢と舞を見守るように、時計台が二十一時の鐘の音を鳴らす。季節感のない桜の花が、人知れぬ逢瀬を照らすように、光り輝いていた。
『愛者 ー知られてはならぬ逢瀬ー』、読んでいただきありがとうございます。
今回の話は、まあ読んでてわかったかもしれませんが、高校教師と女子高校生の人知れぬ逢瀬を描いています。やっと逢えたのに、日常に帰ればまた二人は簡単には触れることさえできない関係に戻ってしまう感じが、描けていればよいのですが……。
結局、悲恋になる雰囲気がちょっとありますね。やっぱり、こうなってしまうようです。
とにもかくにも、こういうのを持ち味にしていければと思っています。
読んでいただき、本当にありがとうございました!!