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間章『とある少年の前世―0―』

今回は過去のお話です。

一応、描写としてはここでR-15って感じです。

人間、一番目に欲しい物は手が届かないもので、二番目の方が手の届く物ってお話がありますが、それでも一番に欲しいから一番に置くんだよなって考えると、寂しいものです。


前世で『俺』は、愛していた相手を――母を殺した。


『かあ、さん……?』


 気づいた時には、既に母は息をしなくなっていた。同じく、母のすぐ横に倒れていた男も息をしなくなっていた。

 白い電気の光の下、部屋中に真っ赤な液体が飛び散っていたことがわかった。

床に、家具に、壁に、天井に、電気に、至るところにある赤は全て血液だった。血液の出処は、直ぐにわかった。自身の目の前で横たわっている母と男からだった。留まることを知らないのか、今も尚その身体からは沢山の血がドロドロと流れ出ていた。


『……あれ?』


 母に近寄って揺さぶる。返答が無いことを不思議に思いながら、返答が帰ってくることを期待して数回程揺さぶったところで、ようやく『俺』は現状の全てを把握することが出来た。

 いつの頃からか、母は『俺』を見なくなり始めた。死んだら後味が悪いからなのか、ご飯は用意してくれたが、用意してくれるだけだった。それまでは一緒に食べていたのに、一緒に食べようとしなくなった。

 いつの頃からか、母はなかなか家に帰らなくなってきた。母が『俺』の知らない外の世界で仕事をしていたことは知っていた。その昔、『俺』を愛する為に必要なことだと教わったことがあった。仕事が忙しくなっているのではと思った。疲れた母を癒してあげられたらと思って、母の帰りを待つ日々が何日も続いたりした。

 いつの頃からか、母が家に見知らぬ男を連れてくるようになった。男は母のことをとても厭らしい目で見ていた。『俺』はそんな男のことを一瞬で嫌いになった。男と家に帰ってきた母は、いつも『俺』のことになんて構わずに男と共に自分の部屋に入っていた。入らないようにと言いつけられていた為に、『俺』ですら入ったことのない部屋に簡単に入る男のことが本気で憎かった。

 そうして気づけば、男は家に居座るようになっていた。母がいないときも我がもの顔でずっと家にいて、居間のソファの上に寝っ転がりながら酒を片手にテレビを見ていた。今までそこのポジションは『俺』の場所だった。けれど、母から男の言うことを聞くようにと言われていたから、何も言えなかった。その頃から母はよく家に帰ってくるようになっていた。仕事から帰ってくると、やはり母は男と一緒に母の部屋に行った。母が帰ってくるようになったのは嬉しかったが、母がコチラを見ることは本格的に無くなり寂しくなった。

 そんなある日のことだった。その日、母の帰りはいつもより格段に遅かった。

 母の帰りが遅いことに、男は苛々していた。偶に、ゴミ箱を蹴飛ばすなどをして物に当たっていた。『俺』は部屋の隅で体育座りをしながら、その男の様子を忌々しく眺めていた。

 しばらくした後、男が『俺』の方にやってきて声を掛けてきた。男が『自分』に声をかけてくることはそれが初めてだったので、『俺』は身構えた。


『お前、こうやって見るとアイツにそっくりだよなぁ……』


 一瞬、男が指すアイツというのが誰のことかわからなかった。その後直ぐに、それが母のことを指しているのだと気づいた。


『身体は細いし、肌は白いし、髪もそこそこ長いし……女に見えなくもないな』


 ゾワリと、酷い寒気に襲われた。そこで『俺』は、『自分』に向けてくる男の目が母に向けているものと同じであることに気づいた。

 瞬間、『俺』はその場から逃げ出した。その後を、男が追ってきた。狭い部屋の中をぐるぐると逃げ回り、最終的にキッチンの隅に『俺』は追い詰められる形で男に捕まえられた。

『もう逃げられないぞ』と下品に笑う男から逃げようと、捕まえられても尚、『俺』は抵抗した。けれど、生まれて十数年、部屋の中から一度だって外に出たことのない『俺』のひ弱な力では男に敵う筈もなく、『俺』の抵抗は全て無駄に終わっていった。

 もう駄目だ、と本気で諦めかけたそのとき、『俺』は視界の隅にある物を見つけた。包丁だった。電気の光に反射して、ほんの一瞬だけ『俺』の視界の隅にてキラリと白く光った。

 殆ど反射的な行動だった。火事場の馬鹿力とでも言えばいいのだろうか。『俺』は体中に残っていた体力を全て使ってなんとか男から逃げると、包丁を手に取りそのままそれを男に向けて突き刺した。

 男の口から、数秒の間を空けた後、耳を劈くような叫び声が上がった。それが終わると同時に、今度は痛いという言葉がやはり耳を劈くかのような声で男の口から何度も何度も出てきた。

『俺』は再び男のことを刺した。刺された男はまた最初の様に叫び声を上げた。今度は叫びながら『俺』の下から逃げ出した。『俺』は男を追いかけた。さっきとは逆だった。

 逃げる男を追いかけては何度も刺した。何回刺したかわからなかった。気づいたときには、男は逃げなくなっており、うつ伏せの状態で床に倒れいてた。目から、鼻から、体中から流れ出ている血と一緒に止まることなく水が流れ出ていた。この時点ではまだ息はあった。

 これが最後だろうと、僕が包丁をその身体に降り下ろそうとしたそのときだった。

 部屋中に、酷く高く大きな叫び声が響き渡った。


『なにをやっているの!?』


 ドサリと、なにかが床に落ちる音も聞こえた。リビングのドアの前に、顔を真っ青にさせた母の姿を僕は見つけた。その足元には、母の仕事用の鞄が落ちていた。


『あ……あ……っ』


 心の底から待っていた相手の帰りに、途端『俺』の胸の中がぶわりと安堵に包まれた。

 俺は、母に向かって手を伸ばした。目に涙が溜まってり始め、目の前の景色がぼやけ出す中、ふらふらと母の方へと歩いていく。


『か、かあさ……かあさん……母さん……っ』


 怖かった。大の大人の男に襲われかけたのだ。『俺』じゃなくたって、誰だって怖いに決まってる。

 前みたいに抱きしめて欲しかった。頭をなでて欲しかった。怖かったねと、もう大丈夫だよと、言って欲しかった。

 母の温もりに、包まれたかった――……


 けれど、母の反応は『俺』の予想するものとは異なるものだった。


『ひ……っ! こ、こっちに来ないでっ!!』

『え……』


 何か恐ろしいものでも見たかのように、母が目を見開きその目に涙を浮かべながら身体全身を震わせていた。

 どうしたの、なにが怖いの、『俺』だよ、お母さんの息子の『俺』だよ――『俺』が近づく度に怯える母に、なんとか安心して貰いたい一心で、『俺』は母に必死に声をかけながら近づいた。


『来ないでよ! 来ないで頂戴ったらっ!!』


『え、あ、かあ、さん……??』


『俺』が近づく度に、母は逃げた。先ほど足元に落とした鞄を拾い、それを大きく『俺』に向かって振り回しながら、全力で『俺』を拒んだ。そして、その光景に『俺』がポカンと口を開けて動かなくなったのを見ると、慌てたように『俺』の横を通り過ぎてあの男の下へと駆け寄った。


『あなた!? 大丈夫っ!? ねぇっ!!』


『俺』は信じられなかった。

 母は顔を青ざめたまま男の身体を揺らし、男の名を目一杯呼んだ。けれど、男の口から返事が返ってくることはなかった。


『か、母さん……』


『近寄るなぁっ!!』

『っ!』


 母の語尾が荒くなったのを感じ、『俺』はビクっと肩をすくわせた。母は普段、とても綺麗な言葉使いをしていた。けれど、『俺』を叱るとき、『俺』に痛いことをするとき、そういうときは決まって言葉が荒くなった。

 なんで――……『俺』の頭のなかが、理解の出来ないたくさんの疑問で埋めつくされた。

『俺』は、男が『俺』にしてきたことを母に説明した。

 こんな光景、嘘だと信じていた。母は『俺』のことを誰よりも好きだと言ってくれた。誰よりも大事だと、誰よりも愛していると。だから、『俺』のことを信じてくれると……きっと、ちゃんと話せば、今すぐにでも『俺』の方に駆け寄ってきてくれるのだと、そう信じていた。


 でも、


『近寄るなって言ってるのがわからねぇのかっ、クソガキっ!』


『っ!』


 母に向かって一歩足を踏み出した瞬間、母が『俺』を強く睨んだ。今まで母に叱られたり怒られたりしたことはあったが、そのとき母に向けられた目は一度だって見たことの無

いものだった。それは『憎悪』と言ったものだった。


『あぁっ、どうすれば……っ、救急車、そうよっ! 救急車呼ばなくちゃ……ったく! "あの人の子供だったから"今まで育ててあげてたのに……っ! なんてことしてくれたのよっ!! この人殺しっ!!』


母の言葉に、『俺』の頭は一瞬で真っ白になった。『人殺し』と呼ばれたショックからだった。けれど、直ぐに『俺』の頭は復活して回転し始めた。


 ――今、お母さんはなんて言った……?

 ――〝あの人の子供だったから〟今まで育ててあげてた?

 ――〝あの人″って誰だ?


 子供とは母のお腹から生まれるものだ。けれど、そこに至るまでは母の存在だけでは子供は出来ないことを『俺』は知っている。

 じゃあ何が必要か。父だ。子供が生まれるには、一人の男と女、その子供の父と母になる人間が必要だ。『俺』には生まれつき父がいなかった。けど、それは『俺』が生まれた後の話で、生まれる前にはいた筈なのだ――つまり……つまり?


(『あの人』とはもしかして、『俺』の父親のことを指すのではないのだろうか……)

(もしかして、いや、もしかしなくとも……)


 ――『俺』は母に愛されて育てられたわけではなかった……?


『俺』自身を見て愛してくれていたのではない。『俺』の中にある、『昔の男』の面影を通して、母は『俺』を愛していたのだ。


 そう理解した途端、周りの音が一切聞こえなくなった。

床に横たわる男の名を呼び続ける母。それに反応することなく、はたまたは反応することが出来ずに、ただ床の上で横たわっている男。その光景だけが、しっかりと『俺』の目の中に映りこんだ。

『俺』は、ボンヤリとその光景を眺め続けながら、手の中の包丁を握りなおした。


 そして――……


『あーあ……』


 溜息が言葉となって口から出てきた。

 殺した。『俺』が。目の前の人間達を、憎かった男を、愛しかった母を、この『俺』が死体に変えたのだ。

 俺は手の中の包丁を見た。灰色だった刃物は、ドス黒い赤に色を変えていた。その色は『俺』の手までも一緒に覆っており、まるで包丁と自分の手が一体化してしまったかのように見えた。


『は……ははっ……ははは……あはははははははははははははははははっ!!!!』


 殺した、殺したっ! 『俺』が殺した! 『俺』が全部殺したっ!!


『俺』は包丁を床に投げ捨てて、大声で笑った。

 ガラガラと、自分の中で色々なものが崩れ始めて行った。

『俺』の世界は母だった。母だけが全てだった。母だけを信じていた。母だけを愛していた。それが『俺』を否定した。そしてそれを、『俺』が壊したのだ。

 何か生ぬるいものが頬を伝って床に落ちていった。涙だった。ボロボロと目から出ては、ボトボトとか床に落ちていった。

 もはや、何が面白いのかも悲しいのかもわからなかった。なんだか全てがおかしかった。おかしくって、笑っては泣いた。


『……もう嫌だ』


 ふいに、そんな言葉が口から出てきた。なんの意識もせずに漏れ出た言葉は、そのまま止まることを知らず、ずっと『嫌だ、嫌だ』と『俺』に連呼させた。やっぱり、何が嫌なのかもよくわからなかった。

『嫌だ、嫌だ』とブツブツ呟きながら、『俺』はふらふらとその場から離れた。唐突にこの場から逃げたい衝動に駆られた。そこにあるものを、もう何も見たくなかった。この場所じゃなけれなばどこでもいい。ここじゃないどこかに行きたかった。

 ふと、布と布の間に『外』が見えた。真っ暗な『外』だった。『俺』は『外』に向かって、ふらふらと歩き始めた。

 閉じられていた布を開ける。シャッと音を立てて開いた布の先には、冷たい透明のガラスがあった。窓だった。『外』は、その先に広がっていた。

『俺』は窓の鍵を外して開けた。ふわりと、生ぬるい風が緩やかに『俺』の頬を撫でながら部屋の中に入ってきた。空を見上げると、雲だらけの夜空が見えた。時折、雲の隙間から黄色くて丸いものがほんの少しの間だけ姿を表した。大きな満月だった。


(綺麗だなぁ……)


『俺』は窓から外に出てベランダに足を踏み入れた。裸足だったので、足元が冷たく感じられた。

 ベランダの淵に手をついた。身体を前のめりにさせて淵に体重をかけながら、『俺』は満月に手を伸ばした。届くはずないことはわかっていた。でも、届いたら良いのにと思った。あんなに綺麗なんだ。触れてみたくなるじゃないか。

 届かない届かない届かない届かない――どれだけ手を伸ばしても届かない。どれだけ願っても、思っても、


 母に『俺』の思いが届くことはなかった。


『俺』は目の前の届かないものに向かって、必死に手を伸ばし続けた。もっと距離を近づけようとして、『俺』はベランダの淵に足をかけた。もっと、もっと、と手を伸ばし続け――……


『あ』


 間抜けな声があがった。もっと前へと身体を進めていく内に、気づいたらベランダから外に身を出していた。

 重力に従って、身体が下に落ちていった。それでも、『俺』は月に向かって手を伸ばした。どんどん月との距離が開いていく。届きたくって近づこうとした筈なのに、どんどん離れていった。

 電気のついていない部屋がいくつも『俺』の横を通り過ぎていった。それと同時に、地面に向かって落下していく自分の姿が映り、それが自分の目の中に映り込む。


(結局、届かないのか)


 そんな思いが浮かんだ直後、ゴキリと何か嫌な音が自身の中で響きわたり、ようやく落下が終わったのだった。


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