1『『僕』は彼女が大好きで、彼女は僕が好きで『僕』が嫌いって話』
序章と共に連続で投稿です。
二話目以降はまた後日改めて投稿致します。
とりあえず、キャラが一人増えます。
序章ともによろしくお願い致します。
――僕の朝は、まずは愛しい人への挨拶から始まる。
時刻は朝八時過ぎ。
登校時刻まであと約二十分のこの時間帯は、どの時間帯よりも多くの生徒達が校門を通ぬけて校内に入って行き、また、校内にて朝練をしていた部活動生達も練習を終えて教室に向かって行く。
そんなどこにでもありそうな登校風景の中に、ほんの少しだけ他の学校では見られそうにない光景があった。
「知ちゃあーん! おはよー!」
「…………チッ」
校門前、僕は来るのを待っていた相手の姿を見かけると、直ぐ様彼女の下に駈け出した。
そして、両手をバッと広げて「今日も愛してるー!」と彼女に抱きつこうとした瞬間、彼女の眉間に深いシワが刻まれ、同時に華麗に横に移動され逃げられてしまった。目標物を失った僕の腕は、何も無い空中をスカッと通り越して、そのまま自分の腕を掴んだ。
「もぉー、逃げることないじゃんかよ、知ちゃん。ほら、「おはよう」は? お・は・よ・うー」
「おはよう、バイバイ、死ね」
僕の横を素通りし、コチラに振り向くこともなく彼女――知ちゃんはさっさと校門を通り抜ける。「照れ屋なんだからぁ」と、僕はニマニマとだらしなく笑いながら知ちゃんの後を追いかけて、その横に並ぶ。
「誰が照れ屋だって?」
「いやん。そんな強い目で僕を見ないでよ。君からの熱い思いに殺られちゃうよぉ」
「マジで殺ってやろうか」
ギッと、知ちゃんが強く睨んでくる。「てへ」と、ワザとうざい感じに舌を出しながら、僕は頭を軽く掻いた。
「だってほら、彼氏から「おはよう」って言われて素直に「おはよう」って返せない彼女とか、照れ屋さんというかツンデレさんというか、とにかく可愛いからグッジョブ!」
親指をたてながら僕が言えば、彼女は数秒程僕を睨み続けた後、「はぁ……」と額に手をやりながらため息をついた。
そんな僕らのやりとりを見ていた周りの生徒たちが、またかと言った風に笑ったり呆れたりしながら、僕らの横を通り過ぎていく。
一人の男子生徒の度が過ぎた朝の挨拶、それに対する冷たい女子生徒の対応――そこそこ目立つこの風景は、最初の頃は何事かと驚いている生徒達もいたけれども、最近ではもういつものことだと流されている。というか、最初の頃も驚いている人はいたけれども、関わらないが吉と思ったらしく、誰もが流していたのであまり変わりは無いと思われる。
校門前に立っている先生だって、最初は驚いていたが、ここ最近では「イチャイチャするのも程々にしろよ~」なんて苦笑いしながら流してくれている。
「……私は、貴方を彼氏だなんて思ってないから」
知ちゃんが、重苦しそうに言葉を吐き出した。スタスタと、どんどん足を早めて僕と距離を取ろうとしている彼女の後を僕もスタスタと足を早めて横に並びながら、「えー」と声を上げた。
「なに言ってるのさぁ。僕はれっきとした君の彼氏の『沖野昌義』ですよ? そんな悲しいこと言わないでよー」
「私の彼氏は〝沖野昌義〟だけよ」
「……僕が沖野昌義なんだけどなぁ」
彼女の言葉にしょんぼりと落ち込んでみながら僕が言えば、彼女はハッと小馬鹿にしたかのように鼻を鳴らした。
「〝今は〟、でしょ?」
「……――まぁね」
「ご明答」とニンマリと僕が笑えば、彼女は本日二度目となる深いため息をついたのだった。
どこにでもありそうな普通の公立高校に通う高校二年生。部活は帰宅部で、委員会は無所属。体育はそこまで得意じゃないけど、勉強は人並みよりは出来るし、明るく優しく、クラスの皆からは頼れる人間として人気がある。
それが今の僕、『沖野昌義』だ。
――……そう、『今の』、僕だ。
実を言うと、僕は『沖野昌義』という人間ではない。更に言うならば、『沖野昌義』になった人間――という言い方のほうがより正しい。
数日前のことだ。都内のとある団地にて、一人の少年の命がこの世から去った。
飛び降り自殺だった。遺体の直ぐ傍に建っていたマンションの一室が少年の自宅であったこと、そしてその部屋の窓が開いていたこと、その窓の位置が少年の遺体の場所を直ぐ真上から見れる位置だったこと、遺書は無かったものの、その他の情報から警察は少年の死は自らが行ったことだと推測した。
そして、その推測は正解だった。けど、一つだけ間違った推測があった。
警察は、少年は即死だった模様と情報を発表したが、本当のところ少年は即死じゃなかった。むしろ、なかなか死ねずに困りながら、虫の息になった状態でゆっくりゆっくりと、のんびりとしながらやってくる死を待っていたのだ。
少年には、父親がいなかった。いたのは母親だけだった。
その母親は水商売を生業にしていた。が、ある日、客である男の内の一人に本気で惚れ込んでしまい、その男と身体の関係まで結びつき、遂には子供まで手に入れた。けれど、男は子供がいると知った瞬間蒸発。裏切られたと思った母親は、その後に生まれた彼ソックリの少年を、彼の代わりに異様に愛すようになった。
少年は愛故に家に閉じ込められて育てられた。そうして、そんな母の異様な愛を『自分自身』に向けられているものなのだと信じていた為に、少年は母を愛し母だけを信用した。
けれど、あるとき少年は母の愛の正体を知ってしまった。自分を通して見知らぬ『男』の影を母は見ていたのだ。それに気づいた少年は、全てに絶望して命を投げ捨ててしまった。
だが、死が少年の前に現れることは無かった。そこへ一人の神様が通りかかったからだ。
神様は、気まぐれに少年を生き返らせた。けど、少年をそのまま少年として生き返らせはせず、新しい人生を少年に与えた。
実は、この少年とほぼ同時刻に、彼とは別の少年の命が他者に奪われる形でこの世から去っていたのだ。神様は、その少年が残り歩む筈だった人生の全てを彼に与えた。
そうして与えられた新しい名前は『沖野昌義』。
そう……この飛び降り自殺をしてしまった少年こそが僕の正体であり、前世なのである。
「でも、なんだかんだ言いつつ、知ちゃんも結構僕のこと好きだよね~」
「節穴すぎて使い物になってないみたいだから、その目抉ってあげましょうか?」
ニヤニヤと僕が笑いながら言えば、知ちゃんが汚いものでも見るかのような目つきだけをコチラに向けてきた。
知ちゃんこと、『日和知』は、僕が今最も愛おしく思っている相手である。それこそ、前世で愛していた母親への想いと同じくらいにだ。好きで好きで、仕方ない相手。
彼女との出会いは、僕が死に『沖野昌義』となった翌日の昼休みの出来事だった。
『沖野昌義』になりきりながら、クラスの友人たちと、下ネタ談議とか言うのを僕が体験しているときだった。「ちょっと来て」と、いきなりなんの前触れもなく、彼女は僕の下にやってきた。
まるで人をも殺せるかのような、冷たく鋭い彼女からの視線を身で感じながら、僕は彼女に無理矢理引っ張られる形で呆然としている友人達の元を後にする事となった。
そうして連れて行かれたのは、屋上に通じるドアのある薄暗い踊り場。ドアに取り付けられた曇ガラスからの陽の光だけが唯一狭い範囲で踊り場の床を照らしており、その光の中を沢山の細かいホコリ達がキラキラと舞っていた。実際、ちょっと咳き込みかけたのはここだけの話である。
彼女は、僕が『沖野昌義』でないことに薄々気づいていた。だから、こんな薄暗く誰も近寄りたがらない場所に僕を連れてきて、正体を問い質して来た。
彼女が、僕のことに気づいた理由は二つ。
一つは、彼女が元『沖野昌義』の恋人だったから。僕が踊り場に連れられてきたときに、彼女のことを苗字にさん付けで呼んでしまったのも、その理由の一つとして付け加えられるかもしれない。恋人同士の二人なのだ。普通は苗字にさん付けなんかではなく、下の名前、それか最低限苗字を呼び捨てとかそんなものの筈である。流石に、その失態だけは、僕の方でもどうにも上手く隠すことが出来ず、僕は自分の正体をバラすこととなった。
そして二つめ――これが、結構肝心だったりする。
彼女は、『沖野昌義』がその日学校に来れないことを知っていた。彼女は、既に彼が物言わぬ屍になっていたことを知っていたのである。それは何故か。答えは簡単だ。彼女こそが、『沖野昌義』を殺した張本人だからだ。
つまり彼女は、元『沖野昌義』の恋人であり、そして彼を殺した本人でもあったのだ。
彼女は僕の正体を露見させてきたが、僕は彼女が『沖野昌義』を殺した人間であることを露見させた。つまり、お互いにお互いの秘密を知ってしまったということである。
僕に自身のしたことがバレた彼女は、自分を警察にでも突き出すのかと訊いてきたが、今、現時点で僕が『沖野昌義』として生きている以上そんなことは不可能。だけど、代わりに僕は彼女にあることを頼んだ。
——これからも、『沖野昌義』の恋人でいて欲しい
……僕は『沖野昌義』として、新たな人生謳歌したいと思っているし、そうするつもりでもある。だからこそ、彼女のような僕にとって不安定要素になりかねないものは出来る限り排除したい。でも、だからって無闇やたらと命を奪うようなマネはしたくない。
彼女と『沖野昌義』が恋人だったとことを知っている人間がどれくらいいるかわからない。けれど、いきなり二人が別れたら不審がる人がいるかもしれない可能性は確かに存在している筈なのだ。だから、そんな人々に不審を抱かせない為にも『僕』と彼女は恋人のままでいた方が効率が良い。
それに何より、僕が彼女に惚れたのだ。
彼女は『沖野昌義』のことを本当に愛していた。そして殺した今も尚、彼のことを愛している。
それは、『沖野昌義』のフリをしている僕を見る彼女の目つきが物語からわかる。
貴方が『彼』のフリをするのは許さない――あの目からはそんな僕への怒りがひしひしと伝わってくるのだ。殺した動機はどうあれ、ここまで誰かを本気で思う彼女の『愛』の形――僕はそれに惚れたのである。
――僕もそんな『愛』を向けられたい
――彼女からの一途な『愛』が、欲しい
――彼女ならば、僕の『夢』を叶えられるかもしれない
以降、僕はずっと彼女に猛アタックを続ける日々を送っている。
「だって、そうだろ?」
僕はにやけたままの顔で言った。
「本当に僕のことが嫌いなら、裏門から入ったり登校する時間をズラしたりして、僕に会わないように対策を練れば良い。なのにそれをしないで毎日律儀に僕からのラブコールを受け取ってくれるってことはさ、」
グイっと彼女の耳元に顔を近づける。急に近づいて来たからか、目を丸くした彼女の横顔が目に入る。
僕は口に手を当てて内緒話をするかのような体制を作ると、小声でその耳に言葉を届けた。
「結構満更でもないって思ってくれてるってことじゃないの?」
次の瞬間、ドゴォン!! と激しい音と共に、地面に自分の顔がめり込んだ。直前に頭に感じた感触から察するに、どうやら彼女に学生鞄で思いっきり殴られた模様である。
「死ね」
短い言葉を残して知ちゃんが去って行く。
あまりに激しい音だったからか、周りの生徒達からの何事かという視線を食らったが、そこにいたのが僕と彼女だった為、直ぐにまた元のように登校して行った。
僕は顔をあげると、小さく舌打ちをした。
「……スパッツか」
地面にめり込む寸前、チラリと見えた彼女のスカートの中。
なんだかそれが僕に対する彼女の防御の固さに見え、先はまだまだ長いなぁ、と思った。