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義兄妹の曖昧な関係

義兄妹の曖昧な関係

作者: みあ

 セレスタには秘密がある。

 それは誰にも言えなくて、だから誰も知らない。




 王都リクラスの住人に朝を告げるのは、他の町と変わらない神殿の鐘の音だ。

 ただし広大な王都すべてに一つの鐘で音は届かせることは難しく、王都においては中心部にある大神殿の他に東西南北に一つずつ設置された鐘も同時に鳴らされる。

 町の東に住んでいるセレスタが耳にするのは、だから東の鐘の音だ。彼女はいつも朝一番の鐘で目を覚まし、寝床から起きあがるとまずは身支度を整える。

 寝間着から着替えて顔を拭き、手早く丁寧に髪をくしけずってから後ろでまとめ、エプロンを付ける。

 部屋から出るときは誰に見られても大丈夫な格好で。

 それが、セレスタが自分で定めた決めごとだ。

 ベッドとチェストくらいしか家具のない部屋に姿見はないけれど、年頃の娘なので鏡くらい持っている。

 その手鏡を手に取りエプロンの端っこで埃を払うようにして拭ってから、セレスタはそれをのぞき込んだ。

 深い色をしたブラウンの髪、同色の瞳をした自分がそこにいる。少しはねていた前髪をさっと整え、笑顔を作る練習をして「そこそこ可愛いわよね」とセレスタは自分に言い聞かせた。

 それから部屋を出ると、すぐに朝食の準備だ。

 前日に用意した丸パンに、細かく刻んだ薫製肉と一緒に炒めた野菜を挟み、夜の残りの汁物を温める。それが朝の定番だ。

 本当のことを言えば、セレスタはもう少し手間暇をかけたものを作りたいと思っている。なぜならば、朝食は毎日遅くまで働いて帰ってくる兄に作ってあげることのできる唯一の食事なのだから。

 だけどその兄が朝からたくさんは食べられないから軽くでいいよと言うのだから仕方ない。

「もう、ちゃんとした料理だって作れるんだけどなあ」

 できたものを皿に乗せながらセレスタはついついぼやいてしまう。

 昼は職場で、夜はどこぞで食べて帰ってくるらしい兄は、きっとまだ自分の料理の腕を信用していない――セレスタはそう考えずにはいられないのだ。

 朝食の用意を調え終わる頃には気分を切り替えて、セレスタはそれから兄の部屋に向かう。

 三年前に兄が借りた家は古いけれど平屋の一軒家だ。

 とはいえさほど広くはなく、セレスタと兄の部屋が一つずつある他に、客間だとかそういうものは一切ない。だけど、二人で慎ましく暮らすくらいだからそれだけで充分事足りている。

 ダイニングテーブルを横切って、セレスタは兄の部屋の扉をどんどんと叩いた。

「おにーちゃーん。朝だよー。おっきろー」

 どんどんどどどん。

 反応があるまで扉を遠慮なく叩くのもまた、セレスタの日課だ。

「あーいぃ」

 しばらくしてから今ようやく起きたばかりのような間の抜けた声で反応があった。

 扉の前で待ちかまえていると、ややして兄の部屋の扉が開く。そして中から眠そうにあくびをしながら出てきたのは、当然ながら兄だ。

 ぼさぼさの金髪を揺らすように首を回して、兄はいつものようにへにゃりと笑う。縁の太い眼鏡の奥の青い瞳が優しく妹を見た。

「おはよー、セリィ」

 言いながら兄は――ヴィーは、セレスタの頭にぽんと手を置いた。

「おはよーおにーちゃん」

 応じながらセレスタはとびきりの笑顔を見せる。

 朝から誰に見られても大丈夫なように身支度を整えるのは、全てこの兄のためだ。

 髪の毛の色も、瞳の色も――そして、顔立ちさえも違うヴィーはセレスタの兄だけど、実のところ本当の兄ではない。赤の他人で、セレスタの恩人で、そして好きな人。

 好きな人の前では常に可愛い自分でありたいとセレスタは思っている。

 だから朝のうちからあまり気が抜けないのだ。

「ご飯の用意、できてるよ!」

「ありがとー」

 元気よく告げるセレスタにヴィーはのんびりと応じ、身を翻してお茶の用意をはじめる妹を見ながら自分の席に腰を下ろした。

 温かいお茶を淹れると、セレスタもまた席に着く。

「じゃあ食べようか」

 ゆったりとした口調で言う兄にセレスタはうなずいて、二人はまず食事前の祈りのために手を合わせた。




 セレスタが天涯孤独の身の上になった経緯を聞けば、誰しもが痛ましそうな顔をする。

 三年前、東の国境近くの町が隣国の侵攻にあったのだ。

 それはかねてよりいつかはあると予想はされていたことであり――だけど、それは予想以上の規模で起こった。

 国境の要として、隣国に睨みを効かせるために置かれた辺境伯は急襲を鎮圧するつもりで軍を率いたのだが、あらかじめ町に紛れ込んでいた者たちが内部でも騒ぎを起こした。

 最低限の守りしか置かれていなかった町はたやすく陥落し、外と内とを敵に挟まれることになった辺境軍も最後には指導者を亡くすほどの被害を受けた。

 セレスタは襲撃のその生き残りで、ヴィーは襲撃者たちにおびえ町の片隅に隠れていた彼女を保護してくれた兵士だった。

 生き残った住人を探して徘徊していた隣国の兵たちを打ち払ったロウァーレン王国軍――辺境伯からの知らせを受けて駆けつけた軍の、元兵士。

 隣国の侵攻も突然で、町の混乱に惑わされた辺境軍の壊走までも早かったけれど、急ぎ駆けつけてくれた王国軍が敵を押し戻すのもまた早かった。

 王国の正規軍には困難な状況を簡単に打ち破れる優秀な軍人が大勢所属していたからだ。誰にも見つからないように隠れていた幼いセレスタには何がどうなったというような詳細はいまでもよくわかっていないけれど、聞きかじったところでは精鋭を送り込み敵と同じように内部から敵兵を打ち崩したらしい。

 その作戦に参加したヴィーは残党を探しているところだったそうだ。その渦中で迫り来る恐怖に震えるセレスタを見つけ、警戒し何も話さない生き残りの少女を優しく抱きしめてくれた。それだけで、セレスタがヴィーに好意を抱きはじめるには充分で、落ち着いた時にはすっかり懐いてしまっていた。

 年のそう離れていない娘を情を移したらしいヴィーは、セレスタの兄となってくれたのだ。

「僕はやりたいことを見つけたんだ」

 そういう彼は栄光の職である王国軍を辞した。

 戦いで家族を亡くした少女と過ごすのに、戦いの渦中に身を置く軍にはいられないというのがその理由だった。

 すべてはセレスタが身内を亡くし、落ち込みから抜け出せないうちに決まっていた。気持ちが落ち着いてヴィーに懐き、彼に対してほのかな恋心を自覚する頃には、何もかもが全て整った状態だった。

 セレスタは喜ばしいようなそうでもないような心地で、それらのことを聞いたのを覚えている。

 幼いながらも好きな人の側にいられるのは嬉しくて、でもそのために彼が安定した職を辞したことは忍びなくて。

 そんな必要はなかったと言いたくても、軍を辞めてまで自分の保護者となると言ってくれた人にすぐにはそうは言いがたくて。

 セレスタははじめに彼をいい人だと判断した時に――ヴィーが敵兵ではなく自国の王国軍の一員だと知った時に、告げるべきことを口にしなかったことを後悔した。

 自分が敵兵から逃れるために市井に紛れ込み、護衛と離ればなれになった辺境伯の娘だと。両親共に敵の刃に倒れたと聞いたが、一応は別の地に親族はいるのだということを。

 貴方が赤の他人を養う決意をする必要はなかったのだと……そういうことを、天涯孤独になった娘のために仕事を辞めた人には言えなかった。

「僕は軍には向いていない。今回そう悟ったんだ」

 軍を率いていたさる貴族の屋敷で雇ってもらうんだと晴れやかに語る人が「君を守るにはそれで充分だ」と続けてくれたのだから、悲しみを和らげてくれた初恋に浮き足だったセレスタはつい口を噤んでしまった。

 三年が経ちもう少しであの頃のヴィーに追いつきそうな年齢になった今では、あの時言うべきだったのだと思うけれど。

 ――きっと親族に頼めば若者の一人くらい軍に戻すことはできたのだろうから。

 だけど真実を言えないまま、時はただ過ぎていった。

 三年の間にセレスタはいろいろなことを知った。市井の暮らしのこと、家事をこなすこと、人々の――特にヴィーの優しさについて。

 もちろん、すべてがセレスタに優しいばかりではなかった。優しいのと同じ分だけ、あるいはそれ以上に厳しいことだって、両親を亡くしたときから知っている。

 その厳しさやつらさを打ち消してあまりある愛情を与えてくれている人に不誠実な自分が心苦しくてどうにかしたいと想うのに、時が経てば経つほど真実を口にしにくくなっていく。

 最初に。

 彼の献身がそれほどではないうちに。

 そして想いが育ってしまう前に、言っておくべきだったのだ。

 難しい背景を持つ思春期の女の子を若くして養う苦労を、彼にさせないうちに。

 ヴィーは何でもない顔をして日々遅くまで働いている。そして時折セレスタに、それが幸せなのだと口にしてくれる。

 眼鏡の奥の瞳を優しくゆるませて親愛の情の籠もった声でそう言ってもらえることが、セレスタの幸せだ。

 「幸せ」だと口にする彼の幸せを本当は食いつぶしていると感じているのに、そう思う自分が浅ましい。だけど、今はまだその幸せから手を離せる気がしなかった。

 きっといつか、そうせざるを得ない日が来るのだろうけど。




「ごちそうさま、おいしかったよ」

 用意した朝食を食べ終えたヴィーはそう言って立ち上がり、仕事に向かう準備のために部屋に戻っていく。

 彼の目を気にするセレスタとは違い、ヴィーは妹の前で取り繕うことなどない。平気で起き抜けの寝間着姿で食事を終えてから、ようやく身支度をするのだから。

 自室に引っ込んだあとに着替えて出てくるヴィーは、だらしなかった様子がちょっとの時間で見違えるようにぱりっとした姿になる。

 支給されたというお仕着せの服は、下町ではあまり見ない上質な作り。腰に剣を下げた姿は立派なようでいて、優しい眼鏡の青年にはあまり似合っていない感もあった。

 貴族の秘書兼護衛をしているのだとヴィーは言うが、守秘義務でもあるのか詳しい内情は妹にも明かさない。

 軍人をしていたくらいの腕があることと、よほど目が悪いのか一緒に住む妹の前でも頑なに外そうとしない眼鏡の下の素顔が整っていそうなこと、それを自分が知っているだけで充分だとセレスタは思う。

 ヴィーが優しくて素敵な人だということなんて、他の人が知っていなくたっていいんだから。

「じゃあ、行ってくるね」

 玄関前で告げる兄にセレスタは駆け寄って、「行ってらっしゃい」と口にした。

 それからぎゅっと彼の両手を握りしめて見上げる。

「お仕事がんばってね! おにーちゃん、大好きだよ!」

 起き抜けの時よりきりっとしていたはずの顔をへにゃりと微笑ませて、ヴィーの手がセレスタの頭に降ってくる。

「うん、兄はセリィの為に頑張ってくる!」

 ぐしゃぐしゃと容赦なく妹の髪をかき乱すだけかき乱してから意気揚々と出かける兄を見送るまでがこの家に住み始めた直後から毎日のように続く二人の日課だ。

 ほとんど最初から親密度が高くて、だからこそそれ以上には発展しそうにないと自覚しつつあるセレスタはため息をついた。

「もうそろそろ、潮時なのかなあ」

 ぽつんと呟いたところで、すぐに決別するような勇気はないのだけど――セレスタはふうともう一度息を吐いて気を取り直すと、家のことをするために身を翻した。

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― 新着の感想 ―
[一言] 義兄弟ではなく義兄妹じゃないですかね 実は主人公が男などんでん返し系かと思いながら最後まで読んで ソコが気にかかって物語にいまいち入り込めなくてもったいない事してしまいました
[一言]  はじめまして!  セレスタが健気でとても可愛かったです。見えないところでしっかり身支度整えちゃうところとか、とてもいいですよね!  兄になってくれたヴィーが好きで、ちゃんと言わなきゃと思っ…
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