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祈る少女  作者: 退
幸福を夢見る少女
2/2

01

 教会の朝は早い。

 私は教会が運営している孤児院の子供だけど、人出が足りない教会のお手伝いをさせてもらっているから、孤児院の起床時間ではなく、修道院の起床時間に合わせて起きるようにしている。

 そんな私の朝は、日が昇る頃に起きて、冬だろうと関係なく真水で身を清めることから始まる。

 清めが終われば、次は教会の掃除だ。懺悔室はもちろん。聖堂や講堂、窓ガラス、燭台の一つにいたるまで磨き上げる。何より忘れてはならないのが聖母様の像を清めることだ。聖母様とは、この国で崇められている神様のことだ。この国では、人は、神の胎から生まれたとされていることから、神の姿は女神の形をしているのである。

 聖母様のお名前はユレイリィア。慈母、という意味を持っている。

 聖書の教えによると、ユレイリィアはもともと人間だったが、天から遣わされ地上に舞い降りた天子に見初められ、ユレイリィアもまた、天子を愛し、二人は子をなした。

 しかし、天界の者と人間が交わることは罪とされており、掟を破った二人に神はそれを良しとはせず、天子を天界から追放し、二人の間に生まれた子を取り上げた。あまりの仕打ちに天子は神への復讐を誓ったが、ユレイリィアはそんな天子を諌めた。神の罰によって子を産めぬ体になってしまったが、ユレイリィアは神を憎むことはせず、ただひたすらに祈りを捧げた。会うことの許されない、取り上げられてしまった自分の子供の幸せを。そして何より、神の御心を気遣い、安穏を祈り続けた。何日も、何ヶ月も、何年も。死の淵でさえ、祈った。

 その信心深さと祈りを聞いて、神は掟をやぶった天子とユレイリィアを赦すことにした。天子は天界に戻ることができ、ユレイリィアは神の赦しを得て天上に召されたのだそうだ。その時に神から与えられた名前がユレイリィア。どんなに辛い仕打ちを受けても神を憎むことはせず、我が子を思い続けた、慈愛の母。

 だから、ユレイリィアの像は取り上げられた赤子を腕に抱きしめて、片手を天に伸ばして神へと祈りを捧げる姿をしているのである。

 足元の部分を雑巾で磨きながら、今日も聖書の一文を心の中で唱える。

 ーー憎むことは、不幸なことである。ーー

 憎しみは、不幸しか生まない。憎しみによって、不幸になるのは自身だけでなく周りの人間もである。

 ありきたりで捻りもない、つまらない言葉。だけど、私はこの言葉が好きだった。

 憎しみは不幸の元。

 まさに、その通りだと思う。

 だって、私の前世は周りを憎み、勝手に絶望して不幸になってしまったのだから。

 だから、私はこの一文を戒めとして日々を送っている。

 誰も恨まず、誰も憎まず。全てを赦し、全てを呑み込んで。

 一通り像を磨いたところで、聖堂内に鐘が鳴り響く。

 教会に備え付けられている鐘の音だ。この鐘は、朝と昼と夕方に一度ずつ鳴る仕組みになっている。

 朝に鳴る鐘の意味は、様々だ。門兵ならば、街の門を開ける時間で、市場なら売り出しが始まる。

 教会での朝の鐘は、礼拝の時間を意味する。

 ああ、しまった。掃除に集中しすぎて、修道服に着替えるのを忘れていた。

 思わず項垂れる。今着ているのは、掃除で汚れても構わない服だから、どう頑張っても礼拝に着ていい服ではなかった。今から急いで着替えなければ。それとも、事情を話して許可をもらったほうがいいのだろうか。

 悩んでいると、ギィ、と扉の軋む音がして、聖堂の中へと誰かが入ってきた。

 悪戯が見つかった子供のように、勢いよく顔を上げる。身を隠す余裕さえもなかった。

「……しっ、シスター様。そのっ、これはっ…」

 慌てて言い訳を口にしようとするのを、一切の乱れも見えない佇まいのシスター様が優しげな微笑みで静す。

「リアンナ、気にすることはありませんよ。貴女は一生懸命掃除をしていたのですからね。一度の着替え忘れぐらい、きっと神も許してくださることでしょう」

 クスクスと笑い混じりの言葉に、思わず顔が熱くなった。先ほどまでは、掃除に集中していたから、自分がどれほど汚れた格好をしているのか自覚がなかったぶん、よけいに恥ずかしい。

 黙りこくって俯く私に、シスター様は言う。

 お疲れ様でした、と。労わるように頭を撫でるのも忘れない。

 彼女の掌は魔法のようだと思う。暖かい掌に撫でられれば、私の疲れや迷いや憂は晴れてくれる。それによって、私がどれほど救われたことだろう。例えそれが、一時の安楽だったとしても。

「その格好のままで今日は構いません。さあ、神への祈りを始めましょうか」

「はい、シスター様」

 昨日とは違う、白のベールがシスター様の歩みによって揺れ動く。朝の陽光に照らされて、聖書に載っていた天子様のようだと思った。

「礼拝が終わったら、図書館へお使いをお願いしますね」

「えっ…!で、でも、今日は子供達の…」

 とんでもない申し出に、声が上擦った。

 ドクドクと、心臓が高鳴る。それは、期待からだったけれど、快く受け入れるわけにはいかなかった。

 今日は、隣の地区にある教会から神父様が訪れる日だからだ。

 普段ならば、シスター様が子供達の面倒を一手に引き受けてくださり、その他の雑用を私がこなすという役割分担だが、今日は事情が違う。

 どういった理由で来るのかは知らないが、神父様を持て成すために、シスター様は孤児院に行くことができない。だから、私が雑務と、子供の世話をしないとダメなのだ。

 私の戸惑い様に、シスター様は可笑しそうに笑みを浮かべる。コロコロと笑う様は、まるで淑やかな貴族の女性のようで、彼女の教養の高さが滲み出ている。

「ふふ。ですから、礼拝が終わったら、なのです」

 指摘され、あっ!とシスター様の言わんとしていることを察する。

 孤児院での起床と、礼拝の終わる時間には少しの空きがある。

 それこそ、中央地区にある図書館に行って用事を済ましてから戻るぐらいには。

 シスター様が言いたいのは、長居はできないけれど、子供達が起き出すまでの時間は好きにしていいということで……。

 理解した途端、体が震えた。

 歓喜に、体が素直に反応を示す。

「あっ、ありがとうございます!シスター様!!」

「私には、貴女が何を言っているのかわかりません。だって、私は貴女に雑用を頼んだのですからね」

 ふふ、ともう一度綺麗な笑みを浮かべて、シスター様は片手に抱えていた聖書を開いた。

「聖なる慈母神、ユレイリィアの名によって、主の御心のままに、お導きください」

「主の御心のままに、お導きください」

シスター様に続くようにして、祈りの言葉を口にする。

ステンドグラスによって装飾のなされた陽光が、聖堂内を鮮やかに照らしていた。

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