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勇者を育てた魔王様

作者: ツキジ

勇者を育てた魔王様


 人類と魔族が対立して早幾年、人類は記念すべき百三十代目の王を迎え、魔族は五十五代目の魔王が誕生した。長い歴史の中、人類は勇者と称した若者を魔族が統括する領地に送り込み、魔王討伐を試みた。しかし、一度として人類の安寧をかけた魔王討伐は成功したことがない。

 魔王のほうも人類殲滅作戦を掲げて、十数代もの魔王が人類を滅ぼさんと脅威を奮った。豊かな山野を焦土にしたて、時には火山さえもマグマを噴いた。しかし、兎以上に性欲旺盛な人類は根強かった。


 勇者VS魔王の構図は勝敗のつかない戦いとなり、今ではぐだぐだである。めでたく五十五代目の魔王に就任したハレルヤは歴代魔王の中でも事なかれ主義として知られている。

 ハレルヤは人類に興味がなかったし、わざわざ人里に出向いて殺生するのも面倒だった。ハレルヤはできるだけ城から出たくないので、人類の調査は配下のものに任せきりである。それに今は国際社会の風潮に乗っ取って、魔族と人類の領域に位置する場所で交易が盛んに行われているのだった。大変、平和な世の中になったので、ハレルヤはこれ幸いとばかりに、ますます城に引きこもるようになっていった。


「しかし、そうはいいましても、魔王らしいことをしないと歴代魔王様から謗りを受けますぞ」

「そうだな……魔王らしいことをしないと示しがつかないし、ここいらで人類に災害を振りまかねばならないだろうな」


 重臣の進言にハレルヤは深いため息をついて、見事な黒髪をかきあげて指を通す。枝毛を発見したので、先を切って捨てる。


「魔族は古きを重んじる傾向にあるしな……私も三代前の魔王からせっつかれたところなのだ。けれど、この長い歴史を見よ。人類殲滅作戦など散々打ち立てられたではないか」

「それもそうでございましょうが。初代様は人類を恐怖のどん底に突き落とし、建国なされた」

「次代は一日に数千の人を屠り、地下のワイン蔵を生き血でいっぱいにしたし、三代目は名高い人体コレクターで、五十四代目は確か……侵略戦争を行い多くの人を奴隷にして功績をあげたのだった」


 玉座の間には初代からハレルヤまでの王の肖像画がずらりと掲げられている。艶やかな黒髪をくるくると弄りながら、残虐な行為を考える。できれば労力は使いたくない。ここ数百年の間に魔族はゆるやかに力を失い、ハレルヤにしては普通の人間と同じか、ちょっと長いくらいの寿命しか持たない超短命種の魔族である。


「恐れながら申し上げれば、ハレルヤ様には超短命種ならではの魔力がございます」

「それはそうだが」


 超短命種の特徴は魔力が尋常でないほど備わっていることだ。けれど、ハレルヤは内にくすぶる魔力をもって、人類を焼き払ってしまおうなどと考えてはいなかった。超短命種なのである。戦争の火種を起こしてしまえば、戦争の勝敗がつかないうちに死んでしまうことだってありうる。魔王は基本的に個人主義で、前魔王の書類など引き継がない。俺が俺の絶対王政だ! を合言葉に好き勝手やってきたとんでもない自己中心野郎の集まりだった。

 野郎といっても、ハレルヤは十代の可愛らしい少女だ。しかし、十代の少女と呼ぶには、彼女は少々老獪していた。だからこそ、魔王役も勤められるというものである。


「そういえば奴隷村は振興しているようではないか。マクロビオティックが流行だしてから、よい採算が取れているらしいな」

「そうですなぁ。玄米もなかなかイケるものです。魔王様は超短命種ゆえ、健康には気を遣って長生きしてもらわねば」


 前魔王がつれてきた人間達は魔王領の一画を与えられ、そこで農村をつくってヘルシーやら菜食などを魔族に広めた。今の流行はマクロビオティックである。奴隷としてつれてこられた人間だが、役立つこともあると習った一例だった。

 そこでハレルヤは思いついた。


「ならば、私は人間の子どもを攫ってみよう。子どもを親から引き離すとは残酷な振る舞いではないか」

「おお! 非道でございますな! 名案にございます!」


 こうなれば早速実行に移さねばなるまい。ハレルヤは自ら一番近い人里に赴き、目についた子どもを攫ってきた。それが当時六歳のルーファスである。





 子どもは人間としては珍しく魔力を持っており、その瞳は魔力の煌きが見える深いブルーだった。燃えるような赤毛は柔らかくうねり、まろみのある頬を彩っている。しかし、貧しい村から攫った子どもはみすぼらしい格好をしており、垢でよごれたシャツの首周りや袖は擦り切れてしまっていた。拾った魔物の仔を膝にあげるように、子どもを膝にのせてハレルヤは玉座に座る。

 汚いなりをしていたけれど、小さくて弱い存在が気に入ったのだ。


「で、攫ってきたはいいがどうすればいいのだ?」

「ふむ。そこまでは考えていませんでしたな!」

「うむ。思いつきあったからな。綿密な計画を立てるべきであったか」


 膝に座る子どもは三つ目の臣下が恐ろしいのか、ハレルヤの胸にしがみついて震えている。腕の中に納まる柔らかい子どもは、歯を立てただけで噛み千切れそうだった。唇をかみ締めて泣くのを堪える子どもは、声を上げれば殺されると思っているのか攫ったときから一言も喋らない。


「食べるか奴隷村に送るか……どちらかでございましょうなぁ」

「食べるのは悪くないが……」


 食べると聞いてびくりと身体を縮こませた小さなものを安心させるように、赤い髪をなでてやる。何度もなでると子どもは恐る恐る顔をあげ、見下ろすハレルヤを初めてまともに視界にいれた。それに思わず笑みが零れる。


 汚れてはいるけど、可愛らしい顔をしているようだ。


 深い青色は人間が好む空と海を混ぜ合わせてできたようで、瞳の奥にきらめく魔力のかけらが、瞳を宝石のようにみせていた。人間が好みそうな美しい瞳である。人体コレクターの次代魔王のコレクションにも、これほど美しい目玉はない。


 人間の子どもを育てるのも悪くないかもしれない。


 ハレルヤを見て動かない子どもの額に、そっと唇を押し付けた。人間はこうやって愛情を示すと聞いていたのだ。


「決めた。子どもを攫って魔族の思い通りに育て上げる。これで人類も恐怖するだろう!」

「おおー! 攫われた子どもが魔族の仲間になるのですな! なんという絶望でございましょう! 身の毛がよだちますぞ!」


 ハレルヤは悪くない案に満足した。こうして五十五代目魔王は人間の子どもを攫い、好みに教育することにしたのであった。ひとつ、再度確認しおくべきことは、ただいまは平和な世の中なのである。人間も平和ボケしていたなら、魔族も平和ボケしていたのだった。

 こうやって魔王による子育てが始まったのであるが、まずハレルヤは第一の問題に直面した。攫ってきた子どもが頑として喋らないのである。


 なぜだ? なにが間違っているんだ!


 温かな風呂にいれ、身体にこびりついた垢はむけて、やわらかい肌になった。腕や背中、足にできていていくつもの擦り傷や打ち身は、ハレルヤ自身が薬をぬってやり、すっかり治ってしまった。けれど、子どもは与えられた部屋の片隅に蹲り、出された食事もろくに食べず、侍女に話しかけられても喋らず、三つ目の臣下にいたっては目を合わせようとしなかった。


「うむ、非常にまずい状況だな……なぜ、子どもは脅えているのだ。私は優しく接しているつもりだが」

「私達もおいしい食事を作っているつもりなのですが」

「アボゾの煮付けや揚げ物は子どもに人気のはずですがなぁ」


 三人は首を傾げて何がいけなかったのか話し合う。けれど、結論ではなかった。では、奴隷村にいって助言を貰おうではないか。そう決めたハレルヤは噴火の兆しが見え始めた火山の調査がてら、奴隷村に赴き、子どもを育てる若い母親に意見を求めた。


「まぁ、魔王様ったら。それじゃ、人間の子どもは脅えてしまいますよ」

「そうなのだろうか」

「だって、食事だってその……姿あげなんでしょう? 人間は魔族の食べ物を好みませんから」

「ほう? では何をやればいいのだ」

「柔らかいパンに、具沢山のスープ、ベーコンやハム、卵もいいでしょう。それにミルクね」

「なんだ、君たちが食べているようなものを出せばいいのか。それにしてもミルク? 私は出せないのだが」


 若い母親の乳房にしゃぶりついている赤子を見て、ハレルヤは眉を少しばかりよせた。いくら魔族でも乳を自由自在に出せるものではないし、それができるのは淫魔くらいなものである。


 あるいは、私が子どもを産むかだけど、それはちょっと無理があるしな……。


 悩むハレルヤに若い母親は笑みを浮かべ、若い魔王に助言をする。


「いいえ、魔王様。牛の乳で充分でございますよ」

「ほう……なるほど」


 若い母親に教えられたとおり、焼きたてのやわらかいパンを用意し、野菜がたくさん入ったスープに、カリカリのベーコンとミルクを出してみた。すると、匂いにつられて子どもがやってきて、おそるおそるといった様子でパンを一口かじった。一口たべるとお腹がすいていたのだろう。詰め込むように食事を平らげていく。


「ああ……よかった。君が食べないから心配していたんだ。ベッドでも眠っていないんだろう?」


 ミルクを飲み干した子どもの口元をナプキンで拭ってやると、ハレルヤは緊張した様子の子どもの赤い髪をなでる。手入れされた柔らかな髪は指先に絡むことなく、するりするりと流れていく。何度も髪を指ですいてやり、身体を固くした子どもの額に唇を押し当てる。

 温かく柔らかい子どもは優しい匂いがした。


「私はハレルヤだ。魔王をしている」

「……っ!」

「なんだ、私を知っているのか。有名になったものだな。君の名前はなんだ?」

「……」


 子どもの眼には恐怖の色が映っており、それを素早く読み取ったハレルヤは困ったように小首を傾げた。魔族の子どもであれば、一度投げ飛ばせば無邪気にもう一度と強請ってくるのだが、壊れやすい人間を投げるわけにはいかない。


「……時間だな。いかねば。また明日、会いに来よう」


 ハレルヤはやる気はないが魔王なので、すべきことは山のようにあった。調べた火山ではフレイアドラゴンが住み着いており、卵の孵化のために大地のエネルギーを取り込んでいるところだった。希少種であり英知を誇るドラゴンを駆除はできないので、火山を噴火させないぎりぎりの範囲で条約を締結させた。

 忙しかったけれど、子どもの様子は一日に一度は見るようにしている。子どもが食事を取るようになり、日増しに健やかに、肉付きがよくなっていく様子を見るのは、ハレルヤに癒しを与える。


「君は相変わらず喋ろうとしないんだな。私が恐ろしいのか? まぁ、そうか。君を愛しいご両親から離したのは私だし、恨むのも無理はなかろう」


 今日も応えてくれないだろうと思いながら、ハレルヤは子どもに話しかける。すると、意外なことに子どもは口を開いたのだった。


「……ぼ、に……ぼくには、おやはいません」


 初めて聞いた子どもの声はかすれており、久しぶりに喋ったのだとわかる。親がいない。その事実にハレルヤは顔をしかめ、だから一人で畑を耕していたのかと納得した。よろよろと桑を奮う姿は、見るからにして子どもには重労働であった。


「まおうさま、ぼくをどうするの、ですか?」

「……そうだな。君はどうしたい?」

「……まおうさま、まおうさまは、ぼくのおやをころしました」

「そうか。ありえぬ話ではない」


 子どもの告白にハレルヤは頷く。先代と代替わりをしたとき、ハレルヤは魔族の領土の端で戦闘を繰り広げたからである。激しい魔力のぶつかり合いに、近隣の人間の村が巻き込まれたと聞いたから、恐らくそのときに子どもの親は死んだのだろう。


「ぼくは、まおうをたおすと、ちかったのです」


 子どもの言葉に目を僅かにみはり、そしてハレルヤは軽く了承した。


「ならば私を殺さねばならぬな。では、君がひとり立ちするまで私は君の面倒をみよう。魔王を倒せるよう剣も魔術も教えてやろう。君は勇者となるのだな。では小さき勇者、名前はなんだ?」

「……ルーファス」

「ルーファス。素敵な名前だ。私の名前より立派ではないか。では期待しているよ、私をいつか殺す勇者」


 そっとルーファスの額に赤い唇を押し付けて、ハレルヤは彼をベッドにいれた。

 初めてルーファスが喋った日、彼がハレルヤに攫われて丁度三ヶ月がたっていた。





 充分な食事と温かな寝床を与えられ、教育を施されて四年がたった。ルーファスは十歳の誕生日を迎え、魔王からは新しい剣と盾を貰った。魔族に攫われたとは思えないほど、ルーファスは優しく扱われ、魔族から愛され、ときには厳しくしつけられた。

 おかしなことに、人間の村ではないがしろにされ、食うものもままならなかったのに、魔族は残酷そうな姿をして酷く優しい。両親に愛されたことが朧になっていくなか、寂しさと疲労が募る毎日から連れ出したのは美しい人だった。

 美しい人はハレルヤと名乗り、魔王だと微笑んだ。魔王……それはルーファスの村を潰した恐ろしい魔物だと思っていたのに、実際の魔王はルーファスの成長を喜ぶ少女だった。

 今も剣の練習を終えたルーファスの元へとやってきた少女は、黒い艶やかな髪をなびかせて風を気持ち良さそうに受けている。きらきらと彼女の周りの空気が光るのは、少女からにじみ出た絶大な魔力のかけらが煌くからだ。


「ルーファス、君の剣の師匠が腕を褒めていた。なかなか筋がよく将来が楽しみだそうだ」

「ハレルヤ様……ありがとうございます」

「ほら、瞳を見せてごらん」


 見上げるルーファスの目を覗きこむ魔王、ハレルヤの瞳はルビーを溶かしたように赤い。その光彩の奥には魔力が銀河のようにちらつき、その煌きをみるたびにルーファスは甘く痺れるようだった。三つ目の臣下がいうには、魔力のあるものは膨大なハレルヤの魔力にあてられてしまうらしい。なかには強すぎて蕩けるように酔ってしまう輩がいるとも聞いた。

 魔族を魅了するほどの素晴らしい魔力を秘めたハレルヤ。だからこそ、彼女は魔王になれたのだろう。


「魔力も安定してきたようだな。そろそろ魔術の勉強を始めるとしようか」

「……魔術……お聞きしたいのですがハレルヤ様、僕の魔術であなたを殺すことはできるでしょうか?」

「できないだろうな。私と君の魔力の差は到底埋められるものではない。けれど……うまく使えば私の動きを止められるかもしれないぞ」

「では、小賢しく立ち回ることにします」

「そうしなさい」


 赤い瞳がすっと細くなり、ルーファスの額にキスを落とした。笑っているのだろう。


 嫌いじゃない、ハレルヤ様のことも魔族も。


 だけど、父さんと母さんを殺したのは目の前の魔王なのだ。ルーファスは両親が死んだ頃から毎晩のように夢を見ていた。死んだ両親が焼かれ苦しみながら、ルーファスに魔王を殺せと叫ぶのだ。城での生活に馴れていくほど、夢は苛烈になり、今では両親のみならず村の面々が魔王への復讐を慟哭する。


 大丈夫だ。僕はちゃんと魔王を憎んでいる。だから、ハレルヤ様だって殺してみせる。


 今はその力がないだけで。

 でも何故だろう。ハレルヤに刃を向けると震えて身体が動かないのだ。寝込みを襲いもしたし、食事のときにフォークを喉に突きたてようともした。けれど、ハレルヤが微笑みを浮かべているのを見ると、ルーファスはナイフもフォークも床に落としてしまう。そして青白くなったルーファスを抱きしめてキスをするハレルヤの胸に頬をよせて、殺せなかったことを安堵するのだ。




 場内に灯りがともり、月が顔をだして雲を照らしだすころ、ハレルヤはルーファスの部屋を訪ねるのが常だ。ドアをノックして一声かけて中に入ると、頼り無い灯りの元で魔術書を読んでいるルーファスの横顔が見えた。頬のまるみがとれ、大きく零れ落ちそうだった瞳はやや切れ長になっている。赤く燃えるような髪は柔らかな曲線を描いて肩にかかっており、長い手足は彼の体躯のよさをあらわしている。

 小汚い子どもが大きくなったものだと感心しながら、ハレルヤはルーファスのそばへと移動した。


「ルーファス、君に話があるのだ。ああ、いいよ、そんなに畏まらなくても。君は臣下ではないと何度言えばわかるのだ?」

「そうはいわれましても、俺はハレルヤ様に養ってもらっている身ですから」

「それもそうだが……まぁ、いい。明日で君を攫ってから十年がたつな」


 一人掛けのソファから立ち上がろうとするのを制して、ハレルヤは肘掛に腰を降ろし、子どもから青年へと変りつつあるルーファスを見下ろした。人間の肌は傷つきやすいので、そっと指先で頬をなで、すっと通った鼻梁をなぞる。


 もう、子どもではなくなった……なくなったしまった。


 成長した喜びと一抹の寂しさを覚える。腕に納まる小さきものは、ハレルヤの身長をとっくに追い越し、弱弱しい身体はしなやかな筋肉に覆われている。


 いつからだろう? ルーファスを見ると胸が切なくなる……私は魔王なのに、人間に思いいれることになるとは。


 人間に捉われた魔王は滑稽である。自嘲したハレルヤはそっとルーファスの額に唇を押し付けた。


「……ハレルヤ様? どうかしたのですか?」

「ああ、君は十六になるだろう。成人しても可笑しくない年齢だから、ひとつ……聞きたいことがあってな」

「なんでしょう? 明日の献立とか、プレゼントとか、そんな気遣いはいりませんよ」

「うむ。それに近いがそうではない。ルーファスはまだ、私を殺す気か?」

「……なんで、そんなことを尋ねるのです」


 きゅっと眉間にしわを寄せたルーファスを宥めるように、髪をすいてやる。この指で燃えるような髪をなでてやるのが好きだった。


「答えろ、君は私が憎くてしかたなく、その手で殺したい。そう願っているのか?」


 肘掛に座るハレルヤを見上げるルーファスの瞳が揺れる。そして、あえぐように口をはくはくしたあと、返事は搾り出された。


「もちろん、です」

「偽りはないのだな?」

「……ありません」

「そうか……では、ルーファス……君を人類の領土へと送ろう。身を立てる金と身を守る剣を新たに与える。明日の朝に旅立つがいい」

「……どういう、意味です? 俺を、捨てるのですか?」


 突然の言葉に目を見開いたルーファスに力なく首をふる。

 そうではない。けれど、そうするほかなかった。人類と魔族は一時期は友好関係にあったものの、今は一触即発の険悪な雰囲気になっている。十年の間に変った情勢は、魔王の側に人間を置くことを良しとしなくなったのだ。その人間が魔王の命を狙っているのならばなおさら、ルーファスは魔族からの反発を受けることになる。


「捨てるのではない。帰すのだ。もともと君がいるべき場所ではなかった」

「勝手……じゃないですか。ハレルヤ様が俺を連れてきたんですよ、そのあなたが、俺の居場所を否定するんですか……!」

「すまない。魔族というのは勝手な生き物でな。君はもろい人間だから、守れないのだ」

「……俺が弱いからですか……」

「そうだ。だから、旅立ちなさい、ルーファス。そして……生きていて欲しい。私はこれから残虐非道な魔王とならねばならん」


 そっとハレルヤはルーファスの頬に頬をよせ、深い青色の瞳に宿る星を見つめた。すると、ルーファスの指がハレルヤの頬をなぞり、耳の形をはい、首筋を辿る。さらりと指がうなじの髪をかきわけた。ばさりと本が絨毯に落ち、二人の影が重なる。が、唇はぎりぎりのところで触れていなかった。


「……ハレルヤ様……どうしていつも額にキスをするのです」

「なんだ知らなかったのか? 君を愛しているからだよ、ルーファス」


 そういうや否や、ハレルヤの果実のように赤い唇が、少しだけ乾燥した唇にのみこまれた。柔らかく触れ合ったと思えば、舌先で舐められ、吸われる。けれど、ルーファスの舌は決して唇の中へ入ろうとはしなかった。


「あなたを殺しにくる」

「ああ、楽しみに待つとしよう」


 翌日、ルーファスを隠して城から連れ出し、二人は背を向けた。

 ルーファスが十六歳の話である。



 三年後、魔王の住む城は炎があがっていた。新たに立てられた勇者は誰も寄せ付けない剣技とすべてをなぎ払う魔術を駆使し、人類の領土を着実に広げていったのである。しかし、驚いたことに勇者は魔族を率先して殺すことはなかった。それを聞いてハレルヤは甘いやつだと笑った。だが、対するハレルヤも容赦なく土地を焼き払おうとも、むやみに人間を傷つけることは無かった。とくに小さな子どもがいる村には寛容ですらあったといえよう。

 ハレルヤは玉座に座って黒い髪を指先ですく。長く美しかった髪はかろうじて白いうなじを隠しており、その短さは戦前にたつ兵士さながらだった。人類は魔族の先陣を切る細い少女のことを死神と呼ぶが、正解は魔王である。


 玉座に背中を預け目を閉じると、炎が勢いを増す音と、焦げる匂いが一層強くなった。この三年間、人類からの一方的な侵略を受け、魔族は蜂起し、ハレルヤは超短命種に秘められた魔力を解放するはめになった。面倒なことは嫌いだったし、戦争だって起こすつもりがなかったというのに、逆らう術もなく運命に巻き込まれた。


 そろそろだな。


 まぶたの裏には一人の青年が玉座の間へ歩いてくるのが映る。すらっと均整のとれた体躯に、世界に数本しかないミスリルの剣を腰にさげている。頬から顎にかけてのラインが青年を鋭くみせている。炎よりも赤い髪はゆるやかに波うち、対照的な瞳の色は海と空を混ぜ合わせたようなブルー。その瞳をよく覗けば星の輝きに気づくだろう。

 会いたかったような、会いたくなかったような。

 子どもを拾ったときはただの遊びだったのに、子どもと過ごした十年はかけがえの無いものだった。温かく柔らかい存在は、同時にハレルヤの心の柔らかいところになってしまった。まさか魔王が勇者を育ててるなど聞いて呆れる。五十四代目までの歴代魔王たちに頭があがらない事態を招いてしまった。


 青年は扉の向こうにきたようだ。

 もうこの城にはハレルヤと青年しかいない。勇者が城を目指していることはわかっていたので、ハレルヤは城のもの全員に暇をだしたのだ。三つ目の臣下は奴隷村の村民をつれて果ての地へ慰安旅行にいくといっていたので、呑気なものである。


「ハレルヤ様、約束を果たしにきました」


 低く落ち着いた声にゆっくり目をあけると、そこにはまなうらで見た青年がたっていた。


「ようこそ、ルーファス」


 微笑みを浮かべて十九歳になった子ども……ルーファスを迎える。おかしなことに胸は歓喜でふるえ、ルーファスの名前は甘くハレルヤに響く。目の前の青年はもう子どもではない、とっくに男になっていた。玉座に立てかけていた剣をとり、ハレルヤは見上げるルーファスへ足を踏み出す。


「よくここまで来たな。君は確か十九歳になったのだろう」

「はい。成人の儀も済ませ、陛下からは勇者の称号を賜りました」

「そうか……君も立派になったようで嬉しいよ。何か贈り物をしたいが……もう何も残っていないのでな」


 ハレルヤは剣の範囲外に来ると足をとめ、ルーファスを見上げた。


「では……私からねだってもいいですか?」

「ふむ。構わないが。君は僕だったり俺だったりと一人称がめまぐるしく変っていたが、今は私というのか」

「……ハレルヤ様……状況がわかっておられますか? 私……俺はあなたを殺しにきたんですよ」

「けれど、やはり、私の魔力に君は適いそうにもないな」


 規格外の魔力を持つハレルヤの言葉が悔しかったのか、しかめっ面をしたルーファスは舌打ちをする。ここまで来たのも奇跡のようだった。なぜなら魔族はルーファスを襲うことなく道を明け渡しのだから。何故、とは聞かなくてもわかる。目の前の少女……いや美しく成長した女性が指示したのだろう。短く切りそろえられた黒髪は艶やかで、ほっそりした首からは色香が漂う。けれど、女性は無自覚に微笑を浮かべ、驚くほどの寛容さでルーファスを包み込んでしまう。

 魔族なのにどんな人間よりも純粋だった。彼女を愛してしまった。


「では、聞こうか?」

「……キスを、キスをください、ハレルヤ様」

「……よかろう」


 あっけにとられるほど鷹揚に頷いたハレルヤは、簡単に距離をつめてルーファスへと腕をのばした。肩先に手を置き、少し背伸びをして自然と屈んだルーファスの額にキスを贈る。そして、赤く熟れたくちびるがルーファスの唇と重ねられる。何度もついばむように唇は重ねられ、少しずつ濡れていく。誰も見ていない玉座の間で二人の口付けは深くなっていき、喘ぎ声にも似た小さな声が溶けていく。

 ルーファスは頭の芯をとかしそうなくらい、柔らかく甘いハレルヤを貪りながら、剣の柄を握りこんだ。ハレルヤはそれを承知していたが、今までと同じように抵抗することなく、ただただルーファスの口付けに酔う。抵抗したら弱い人間はすぐに死んでしまうから。そして、ルーファスになら殺されても構わないと思えるほど、ハレルヤはルーファスを慈しんでいたのだ。

 


 それから数年後、魔王が住んでいた城は炎になぶられ崩落し、植物に侵食されて廃墟と化している。

 五十五代目魔王ハレルヤと勇者ルーファスの行方を知るものは誰もいない。城の一番奥の玉座には美しい遺体が二つあるとも言われているし、魔王と勇者は魔術によって消し飛んだとも噂されている。また二人は恋仲にあり、勇者と魔王は名を変えて生きているとも言われている。


 今、戦禍から復興中の魔族と人類の間ではあるものが流行っている。それは恋の物語であった。特に好まれてベストセラー入りを果たしたのは、魔王と勇者の愛しくも哀しい恋に物語である。世はまた、平和の息吹をあげていた。

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[良い点] 良かった点?何でしょう? ただ面白かったから“面白い”のが良かった点ですかね。 あぁ、あと曖昧endも良かったかも。その後を只今想像中です。 どうなったのかを想像するのも楽しいです。 […
[一言] よかったです! 二人が幸せ?そうなら なんでもいいです(笑)
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