§4、いつもの公園と宵闇の魔術師
[Fab-20.Mon/19:20]
話してみると、タクミは気さくな奴だった。道行く柄の悪い連中はタクミの姿を見るなり、軽くお辞儀したり挨拶したり、とにかくそこらの不良をみんなひっくるめて『悪い存在』という固定観念をブッ壊してくれる。
「子供同盟っつっても、俺らは倫理派……有り体に言えば穏健派だ。一番近い表現はマルキストだが、別にビラ配りしてる訳でもねーし怪しい宗教よろしく人捕まえて俺らの主張を聞かせている訳でもない。俺らの目的はそこじゃねぇ」
ケケケと怪しい笑い声をあげながら、タクミは缶コーヒーを一口飲んだ。カナタも同じく缶コーヒーを飲み、横で黙っているドミノはじっとタクミを見つめている。
「『ヴォルフ』の目的は……そうだな、自警だ。どっかでカツアゲがあってりゃ止める、強姦があってりゃ止める、でも過激派と警察のイタチごっこがあってりゃ逃げる。何のかんの言ったところで子供同盟には変わりないからな。
……でも、俺は、この街が好きなんだよ。だから守ってる。アイツらも同じ考えで俺についてきてくれてる」
過激派はデモ行進により政府への反旗を翻し、穏健派はビラ配り等の反対運動同盟者を集める水面下の戦いをしているが、タクミの『ヴォルフ』はそのどちらにも属さない気がした。ただ、この街で行われる犯罪を防ぐ為に、皆が一致団結して働きかけているという。
子供同盟のパイプに関しては高校の組織仲間を通じて詳しいカナタでさえも知らなかった『ヴォルフ』。だがそれも無理はない。子供同盟としての活動は異質で、恐らくセクトを結んで連合を結ぶ事なく独立した組織なのだろう。
「アンタも、そっちのお嬢ちゃんも、ピンチになったら『ヴォルフ』の人間を頼りな。俺らは常に、弱い奴の味方だ」
タクミはカナタとドミノを優しげな瞳で見つめ、缶コーヒーの中身を飲み干し、不燃物のゴミ箱に捨てて歩きだした。背中を向けたまま右手を軽く挙げ、タクミは去っていく。
「はぁ……悪い人ではぁ、なさそうですねぇ」
「……みたいだな」
ドミノはやはり険しい顔をしたまま去っていったタクミを見つめ続け、カナタは苦笑しながらコーヒーを飲み干す。
そして、ふと考え直す。
「ちょっと待て。アイツ、今、ドミノの事を『お嬢ちゃん』って言わなかったか?」
あっ、とドミノも声を漏らす。
確かにタクミの身長は一九〇弱ぐらいに対し、カナタは一六〇半ばでドミノは一五〇半ばで二人とも私服で、見ようによっては中学生のカップルに見えなくもない。というかタクミの身長がデカすぎる為に、そういう錯覚が起きるに違いない。
「……あの野郎、僕らを年下に見やがったな」
「……何やらぁ、カチンときますねぇ」
カナタやドミノが中学生の時は、一つ違いの高校生も大人に見えたものだ。そういう感覚の、いや、次元の違う存在に感じていた。自分も中学生にはそう見えているに違いないと思っていたが為に、プライドは砕かれた気がした。
「……帰るか」
「……そうですねぇ」
絡んできた円形ハゲを追っ払ってもらって、正義感の強い少年にも出会って、嬉しい気分になっていた筈なのに。何となく釈然としないまま、二人は二人は帰路についた。
[Fab-20.Mon/19:40]
すっかり日は暮れ、宵闇を街灯が照らす時刻。カナタとドミノは家の近くの公園の散歩道を歩いていた。
「ゲームセンターもぉ、なかなか面白いものなんですねぇ」
「だ・か・ら、今日の勝負が全てだと思うなよボケナス!僕の実力はあんなもんじゃねぇって事を次回思い知らせてやる!」
「はえぇ?もしかしてぇ、また今度も誘っていただけるのですかぁ?」
「やめられません、勝つまでは!」
二人は騒ぎながら歩く。周囲には他に人影はなく、街灯に映された影はたった二つだけだ。
叫び疲れたのか、ゼェゼェと肩で息を吐きながら、カナタはケータイで時間を確認する。既に七時半を回っていて、家にいる二人の居候が餓死していたらやだなーとか考える。円形ハゲに絡まれたせいですっかり遅くなって仕舞った。
「……カナタくん〜?聞いてますかぁ?」
「ん?あぁ、ごめん。ちょっと他の事考えてた。で、何?」
「ですからぁ。またぁ、今度も誘って頂けるのですかぁ?」
「そりゃ、都合が合えばね。ドミノの都合と僕の財布事情が噛み合えば、また行こうか」
カナタは何気なく言ったつもりではあったが、普段から寄り道が出来ないドミノはパァと瞳を輝かせ、上目遣いにカナタを見つめる。
「その時もぉ、またぁ二人でですかぁ?大勢の方がぁきっと楽しいと思うんだけどぉ?」
「それもそうだなぁ、みんなで行くのも楽しいんかもな」
ケラケラと笑いながら、カナタは答え、考える。行くとするならチドリ・コータ・ツヅミ辺りか。いや、いっそクラスメイトを集められるだけ集めて行くのもいいかも知れない。
と、話しながら歩いていると、いつの間にか公園の出口が近くなってきた。カナタはそろそろかと思い、ドミノに向き直る。
「どうする?家まで送ろうか?」
「あ〜……いえぇ、ここまででいいですよぉ。流石にぃ、そこまで迷惑はぁかけられませんしぃ」
「そう?それじゃ、ここで。また明日な」
何故かは知らないが落胆するドミノに微笑み、公園の出口に向かおうとして、
そこに、二人の少女が立っている事に気付いた。
「あっはっは、やっぱあたいは運がいいじゃんな。索敵魔術を組む前に当たり引いちゃったじゃんよ!」
バンダナを頭に巻いた、欧州の雰囲気を漂わせる少女はゲラゲラとあまり上品ではない笑い声をあげ、右の口端を釣り上げてニタリと下卑た笑みを浮かべる。隣に佇む団子頭の少女は俯いたまま、無言で立っている。
どこかから、工具油の臭いが漂ってきた気がした。どうもこの空間には似つかわしくない臭いに、カナタは眉根を寄せて訝しむ。
「さてさて御立ち会いのお兄さん?悪いけどアンタはこっちの人間じゃあないじゃんな?どうぞそちらのお嬢ちゃんを置いてお引き取り願えんもんじゃん?」
「……待て。そこのバンダナ、お前だ。さっき何て言った?索敵……マジュツって言わなかったか?」
「あんん?何だいアンタ、魔術に興味でもあるんじゃん?悪いけど一般人は大人しく消えとくのが安全策じゃん」
「うるせぇ黙れ。確認するぞ、お前は魔術師なんだな?」
バンダナ少女は答えない。ニヤニヤと不気味な笑みを浮かべたまま、カナタとドミノを交互に見ている。ギョロリと二つの眼球が生きている様に蠢き、背筋をゾッと震わせた。
「大体さ、ちったぁ気が付くもんじゃん、普通。この辺にゃ誰もいない訳じゃん?あたいらの正体を知ってるなら分かるじゃんか、この辺りの空間がねじ曲がってるって事ぐらい」
言われて、ハッと気付く。辺りには誰もいない。半月前にも味わったこの感覚をカナタは知っている筈なのに、気が付かなかった。
「空間切断はここにはかけてないじゃんよ。半径五〇〇メートルを囲む様に展開していて、アンタらが円に入ったと同時に発動したからね。術式を解除しない限り、もうここから出る事は出来ないじゃん」
笑いながら。ひたすらに不気味な笑みを浮かべたまま、バンダナ少女はポーチから何かを取り出した。
人形劇に使う様な、十字に組まれた木のハンドルにピアノ線を付けて吊した、全長二〇センチぐらいの大きさの操り人形。材質は木なのか、精密に人の顔が彫られた人形は、ゴシックロリータ調の小さな服を着せられている。
「さぁ、そっちのお兄さん。アンタはいらないから帰っていいじゃんか。あたいらが用があんのは、そっちのお嬢ちゃんなんじゃんよ」
何だと、とカナタは隣に立つドミノに視線を向けて、息を呑んだ。
そこには、目だけで人を殺せるぐらいに尋常ならぬ殺気を放つ、カナタの知らないドミノがいた。
「……はぁ、ドミノに用ですかぁ?少しはぁ、身の程を弁えてぇ話さないとぉ……殺しますよぉ、貴女がた」
ピキュン、と甲高い音が空気を震わせる。それは、ドミノが高速でスカートのポケットから何かを取り出した風切り音だ。
ドミノの小さな右手には、白っぽい灰色のチョークが軽く握られていた。表面がやけにツヤツヤと光を反射しているところを見ると、絵画などで使われるオイルパステルの様だ。
だが、カナタにはそんな事はどうでもいい。問題は、
(……まさか、ドミノも、魔術師なのか?)
日常が崩壊する、この感覚。それが何よりも嫌いなカナタにしてみれば、怖い。魔術師である友人の殺気よりも、友人が魔術師である事実の方が。
カナタの友人に、癸チドリという少女がいる。彼女は五行四聖の流れを汲む魔術師――つまり陰陽師である。詳しい事はカナタにも分からないが、彼女は魔術師でありながら、カナタと交友関係にある。
しかし、ドミノは違う。ドミノは何の変哲もない友人であり、日常であり、パーマをかけて一束一束が小さく縦にカールしている、全体的にボリュームを持った金色の髪で、でも口調は舌っ足らずで語尾は常に間延びしている様な、ちょっとおかしな少女でありながらもカナタの友人である。
チドリとドミノ。この二人の『友人』は、同じ位置にありながらも全く前提の異なった存在である。『魔術師』の顔をして目の前の二人を睨み付けているドミノを前に、しかしカナタは未だに信じられない。
恐るべきは、もしかすると、ドミノの日常に対する浸透力かも知れない。
「あぁ、先に挨拶でもしとこうじゃんか。あたいの名は標的撃破、こっちの中国人は隷従法師じゃん。あたいらの標的は、石像使いのアンタなんだけど、何か異論はあるんじゃん?」
「異論と言いますかぁ、意見ですねぇ。単刀直入に言えばぁ、そうですねぇ……失せろ貴様ら、とぉ言ったところでしょうかぁ」
極めて平静に、努めて冷静に呟くドミノはにっこりと可愛らしく微笑んでいるが、双眸の奥に潜む光は友好的な輝きを一切含んでいない。普段は誰に対してもほんわかした雰囲気で接するドミノがそういう表情をしているという事実自体が、カナタにはどうしても慣れない。
「……う、うくく」
不意に、声が聞こえた。いや、これは笑い声だ。どこから聞こえたのかと発生源を探ってみると、バンダナ少女の隣に立ったまま俯いていた団子頭少女だった。
「うぅ、ッくくくかきかこけくかかかかかかかかかかぁ!よう、やくッ!ようやく会えたデスよ傀儡仕様!わた、わたたわた私がナンバーワンだと証明する時が遂に遂に遂に巡ってきたァァァああア!」
爬虫類の様に両眼を見開き、鮫の様に犬歯を剥き出しに唾液を垂らさんばかりに口をクパァと開き、狂喜に焼け爛れた双眸をドミノに向け、団子頭少女・隷従法師は叫ぶ。
「私の望むままに敵の首を捻り千切れ、ナァタァァァァァァック!」
瞬間、地面が揺れた。規模の小さな地震ほどの揺れに、ドミノとバンダナ少女・標的撃破は耐えきれずにその場に尻餅をつき、カナタは何とかその場に踏みとどまる。
「六つの宝剣で敵を斬り伏せろ、断ち尽くせ、叩き潰せッ、ナタク!」
隷従法師の叫びに呼応する様に、背後の地面が隆起する。地面から生える様に飛び出した巨大な黒い影は人の形を保ちながら、どこか異形らしさを兼ね備えている。
何せ、現れた黒い影には、六本の腕のシルエットが映し出されているのだから。
巨大な影は、手にした剣を振り上げる。六本の腕にそれぞれ持った様々な形の剣は太く、斬れ味はあまりよくはなさそうだ。
「っ痛ぇじゃん。オイ、隷従法師!やるならやると先に言っとくじゃんよ!」
「うっくくくく!潰せ潰せ潰せぇ!挽き肉になるといいデスよぉ、傀儡仕様ゥゥゥううウ!」
打ち合わせにない事態なのか、標的撃破は非難の声をあげるが、隷従法師には聞こえていない。どうも一種のトランス状態に陥っているらしく、周りに気が回っていない様だ。
(って、冷静に分析してる場合じゃねぇ……!このままじゃ、あの化け物に叩き潰されちまう……!!)
巨大な黒い影は未だ半身しか出てきてはいないが、それでも三メートルに届いているだろう巨体。明らかにバランスの悪い身体つきに拘わらず、動き自体は鈍重でありながらも、動作として見れば滑らかである。
そして、恐らく。影の可動範囲には、カナタとドミノは巻き込まれているだろう。
思いもよらない出来事に狼狽するカナタだが、横合いから聞こえてきた声に振り返る。
「……あはぁ。心配しないで下さいぃ。カナタくんはぁ、ドミノがぁ必ずぅ、守りますからぁ」
聞き慣れた、間延びした穏やかな声が聞こえてきた瞬間、
《パキュン》と、あまりの高速に残像を残さんばかりの動きをしたドミノのチョークを持った手と、
『ナタク』と呼ばれる影の、六つの腕のうちの一つを振り下ろす動作は、ほぼ同時に行われた。
振り下ろされる、黒い影の持つ剣……形状から察するに柳葉剣と呼ばれる中国刀は地面を抉らんばかりに二人に迫り来る。加速度をつけ、肉を叩き潰し骨を粉々に砕く一撃は、しかし。
突如として地面から生えてきた巨大な二本の腕に白刃取りの様に掴まれ、止められた。
「……は、はぁっ、な、にが……!?」
死ぬ事を覚悟していたカナタには、目の前の事象が信じられない。
巨大な影の振るう巨大な剣を受け止めた巨大な腕。現実離れし過ぎにも、程があるだろうと内心で毒づく。
「……うくく。まぁ、このくらいはしてもらわないと、こちらとしても困る訳デスがねぇ。でなければ、私が最強を名乗る意味がないデス」
隷従法師は首を傾けて不気味に嘲笑い、ドミノはナタクに見向きもせずに真っ直ぐに『敵』二人を見据え、不敵に微笑う。
「不意打ちとはぁ躾がなってませんねぇ」
「うく、余計なお世話デスよ、カバラの、石像使い!」
二人は、笑い続ける。




