§1、時津カナタと昼ご飯
[Fab-20.Mon/08:00]
「……………………………………………………………………、いやいや。有り得ねぇって」
寝癖の様なボサボサの黒髪少年・時津 彼方は、朝っぱらからコンビニの総菜コーナーにいて、その値段の高さに表情をひきつらせていた。
何というか、高い。日本は飽食の国とよく言うが、それにしたって高い。普段は夕飯の残りなり何なりを弁当として昼食をとっているカナタにしてみれば、コンビニ弁当やサンドイッチ、その他総菜の値段はとにかく愕然とさせてくれる。
何故、普段は弁当持参のカナタがコンビニにいて商品のサイズと値段の高さに愕然としているかというと、自前弁当が深夜のうちに同居人に食べられたからだ。目覚まし時計を一〇個以上使ってようやく起きる程に朝に弱いカナタは、前日に弁当を作っているのだが、それが食べられた以上はどうしようもない。とりあえず食べた同居人には、罰として小遣い削減の刑に処した訳だ。
こう言って仕舞えば何なのだが、カナタは一人の女性と一人の中学生を養っている。
弱冠一六歳にして最近、家計簿を付ける楽しさに目覚め始めたカナタは、とにかく清貧という言葉が好きになりつつある。が、女性は半分以上ニート化し、日中は家でゴロゴロダラダラとテレビを延々と観ていたりしているし、中学生の方は有名な私立中学に通っていて学費がかかるし身長一九〇強というデカい身体相応のエンゲル係数保持者だ。
何というか、高校一年生にして主婦然とした思考思想は自分でも引きたくなるくらい悲しくなってくるんですがー!と心中で叫び続けているくらい、やってられない。
ハァ、とカナタはため息を吐き、鞄を担ぎ直してコンビニを後にした。学校の学食を体験した事はないがコンビニ弁当よりは幾分かマシだろうし、最悪の場合は断食の覚悟だという表れだ。
駅に着き、改札を抜け、電車を待つ。日常的に慣れたプロセスで電車を待っていると、背後から声をかけられた。
「あぁっ。カナタくん発見〜」
間延びした、幼い感じの舌っ足らずな声。聞き慣れたとは言わないが聞き覚えがない訳ではない声に振り返ってみると、そこには金髪碧眼の少女がいた。
身長は一五〇半ば。金の髪はショートボブで、ツイストパーマをかけているのか髪が渦を巻く様に縦にカールしている。カナタの通う高校の女子の制服と金髪の組み合わせは珍しく、一度見れば二度と忘れられないくらい強烈な存在感を醸し出していた。
「おはよぉ、カナタくん〜」
「あぁ、パフェルファムか。おはよ」
ドミノ・パフェルファム。カナタのクラスメイトである。純フランス人であるドミノは、留学生という訳ではない。両親が仕事の関係で日本にやってきた際に生まれたという話を聞いた事がある、日本国籍の少女だ。しかもドミノは日本語以外の言葉を喋る事が出来ない中身と外見が激しく伴わない純和風な性格だったりする。
「あれ、パフェルファムも電車通学だっけ?」
「そうですよぉ。というかぁ、カナタくんはぁ、いつになったらドミノを名前で呼んでくれるのかなぁ?ドミノの名字はぁ、日本語読みではちょっと長いからぁ、やっぱり名前で呼んでほしいなぁとか思ってるんだけどぉ」
「え?あぁ、ごめん。言い慣れてないからさ」
カナタはドミノに謝りながら、頬を掻いた。
名前で呼んで欲しい、というドミノの言い分は、カナタに特別な感情を抱いているからではない。彼女は単に長い名字で呼ばれる事が好きではないらしいので、誰にでもそういう申し出をするのだ。その日本では奇抜すぎる外国産の容姿は一度見たら忘れられず、クラスメイトや教師のみならず、彼女との顔見知りは全校生徒が『ドミノ』と名前で呼ぶ程だ。
だが、親友すら名字で呼び、普段から知り合いの名前を呼ぶ事が殆どないカナタだけは、ドミノを『パフェルファム』と名字で呼ぶ。
「はいぃ。それじゃあぁ、ドミノの名前をぉ、呼んでみてぇ?」
「ドミノさん」
「……ん〜。『さん』はいらないんだけどぉ。やっぱりぃ、クラスメイトでぇ、同い年なんだからぁ、呼び捨ててほしいなぁ」
「……じゃあ、ドミノで」
「うんっ」
ご満悦、と言わんばかりに顔を綻ばせ、ドミノは何度も首を縦に振った。
[Fab-20.Mon/08:40]
「いや、ちょっと待ってくれないか真北。幼なじみの本質はツンデレだろ?」
「いや、ちょっと考え直しなよカナタ。幼なじみは犬系であるべきってのか基本の筈だ」
HRの後の、授業開始前の一コマ。
カナタとその友人・真北 昂太は、何だかよく分からん会話を展開させていた。テーマは『幼なじみの良属性はツンデレか犬系か』について議論しているらしい。カナタはツンデレ派だがコータは犬系派らしく、平行線の意見が飛び交っている訳だが、全く興味のない人間――それも女の子――にしてみれば参加のしようもない。
そう、例えば、カナタの友人である癸 千鳥だとか、コータのナマ幼なじみでありカノジョでもある真鍋 鼓だとか。
「……暇ですね、あの二人は」
「そうねぇ。……って言うか、ふぅん、コータってば犬系の方がいいのかほほう」
「……真鍋さん、目が完全に据わってて怖いんですが?」
「そんな事ないよ?」
そんな影トーンを目の周りに入れた様な顔で言われても……、とよく訳の分からない事をのたうちまったチドリは、机に突っ伏しながらため息を吐いた。その視線の先にいるのは、今まさに『ツンデレ派の主張』を高々と語るカナタだ。
「いいか良く聞けぃ。幼なじみというのはツンデレであるべき、否、ツンデレでなくてはならない。姉妹より遠く友人より近いという微妙な距離感で活きる属性こそがツンデレであり、犬系ならば接点が少なくなりがちな後輩キャラに当てがった方が効率的である。
では何故、幼なじみ=ツンデレでなくてはならないのだろうか?それは二属性と主属性の混合にポイントが置かれる。
後輩キャラと違い友人ではなく、義妹キャラと違い家族ではない。この微妙な距離感と『これ以上は近くに行けない』焦燥感を抱くのが幼なじみ。近すぎず遠すぎず、決して動く事の出来ないポジションにいるのが幼なじみ!
話は変わるが、人間には個々の縄張り意識というものがある。自分の部屋では落ち着くが学校の教室ではソワソワする、しかし眠くもないのに通い慣れた身近な親友の部屋が何となく眠気を催す。これは『自分がどこまで自分(隙)を見せていいのか』という縄張り意識から生まれるものであり、信頼が必要になってくる。だが自分以上友人以下――例えば兄弟姉妹の部屋――ではどことなく緊張して仕舞う微妙な空気になる。
話を戻すが、幼なじみとはそういう縄張り意識の中庸と言えよう。意識が緩むギリギリのライン、即ち『自分が隙を見せられるギリギリの相手』と言い換えられる。ある意味では義妹より近しい存在であり実際は遠い……設定としては弱いのが幼なじみの欠点である。空気は味がしない、というのと同じだ。身近すぎるからこそ隙を見せられるが、動物は相手があまりにも隙だらけであれば逆に警戒して斬り込めなくなる。
だが、斬り込めないのであれば、態度で牽制すればいいだけの話(例:『またカップ麺で済ます気?……しょ、しょうがないわね、私が何か作ってあげるわよ』)。
相手が牽制を凌いだ場合は決して深追いせず速やかに戦略的撤退を謀り(例:『わ、私はおばさまからアンタの事を頼まれただけなんだからっ!』と誤魔化す)、牽制を許容してきた場合はすかさず情け容赦なく斬り込む(例:上目遣いで『ほ、本当、に……?本当に美味しい……?』)!普段は気丈な幼なじみの可愛い一面あるいは普段通りの逃げを用意する事で、ギャップを見せるもよし平行線を結ぶでもよしと、多数の選択肢を内包させる。二属性というのは弱さと強さを含有した最高峰の属性であり、遠近中庸という曖昧な関係性である幼なじみにこそふさわしいのである!」
カナタが長々と演説を終えた瞬間、いつの間に集まったのか『幼なじみツンデレ派』のクラスメイトの面々が、惜しみなく賛美の拍手を送る。中には『ジークカナタ、ジークカナタ!』と敬礼をする者まで現れる程に信仰されている。出来の悪い宗教か。
「……訂正します。あの二人が暇なんじゃなくて、このクラスの男子の方々が暇なんですね?」
「ていうか……時津くん、何か最近、壊れっぷりが増してないかしら?言わせてもらうけど……そこはかとなく、キモい」
と、今度は『幼なじみ犬系派』代表(いつの間にか二つの派閥に分かれてる)のコータが演説を語りだした。色んな人を惹きつけるムードメイカー的なカリスマ性を持つ二人だが、その方向性を頗る間違っている気がする。
(全く、何が楽しいのか……ん?)
議論する二人を横目で見つめていたチドリはふと何かに気付き、辺りをキョロキョロと見渡してみる。その様子を訝しむツヅミ。
「どうしたの、チドリちゃん?」
「あ、いえ……大した事ではないのですが……」
チドリの視線はクラスメイトの女子に移ろっているのだが、その皆の視線が、カナタとコータに集約している気がする。……いや、気がする、ではなく確信がある。二人に集まっている。
その旨を訊ねてみるとツヅミは、その事か、と呟いた。
「まぁ、あの二人……特に時津くんのフラグ発生率は異常だからね。……あ、ホラ、あれ見てみて」
「あれ?」
ツヅミがクイッ、と顎で指し示したのは教室の後ろのドアに歩いている一人の少女だ。前髪で目元を隠した大人しそうなクラスメイトは、朝のHR後、担任から回収する様頼まれていたプリントの束を重たそうに胸に抱えている。
「あの人は……クラス一大人しい、音無 霞さん?」
「日本史の宿題プリントを職員室に持って行こうとしてるみたいだけど……」
両手で抱える様にプリントの束を持っているので、教室の引き戸を開けられないでいる。誰かに頼もうと辺りを見渡してもカナタとコータを取り巻いている為に視線は合わず、そもそも引っ込み思案な音無に話しかけられるとは、チドリは思わない。
「仕方ないですね、ここは私が――」
「ストップ、チドリちゃん」
立ち上がろうとしたチドリのサイドテールを、ツヅミはにこやかに掴んで止めた。グゴキッ、とチドリの頭が後ろに引っ張られて首からイヤな音が響く。
「ンなっ……何をするんですか!く、首が何だか大変な音を放ちましたよ!?」
「放っといても大丈夫だよ。ホラ」
ツヅミの指さす方を見てみるが、相変わらず音無が四苦八苦しているだけ。そのすぐ横に男子生徒らがいるというのに気が利かない、とチドリは考えて、『すぐ横の男子生徒ら』の中にカナタが混ざっている事に気付いた。心底から楽しそうに、コータの演説を聞いている。
カナタは友人連中と楽しそうに笑い合いながら、何の脈絡もなく唐突に、後ろを振り返る事なく後ろ手に引き戸を開けた。
「……、あ」
音無はカナタを見上げるがそこには背中しか見えず、顔すら見えない。目を覆い隠す前髪をサラリと揺らし、俯いたまま音無は小走りに廊下を駆けていった。
心なしか、僅かに覗く顔が赤かった気がする。
「( Д ) ゜ ゜」
「チドリちゃん。顔のデッサン狂ってる」
愕然とするチドリと呆れたため息を吐くツヅミを余所に、当のカナタは話題に挙がっている事も知らずに真剣な表情で議論を続けていた。
[Fab-20.Mon/10:55]
三・四時間目は選択授業であり、美術室に移動したカナタは黙々と彫刻のデッサンを描いている。選択授業は美術・音楽・書道の三つがありカナタは美術を選択していた。余談だが、コータとツヅミは音楽、チドリは書道と分かれて仕舞った為にこの場にはいない。
シャカシャカという鉛筆とキャンパスの擦過音が美術室中に響く。生徒の小声会話が聞こえてくる事はあるものの、基本的には静寂の空間。
(……こんなもんかな)
ふう、とカナタは一区切りのため息を吐きながら、何気なく隣の生徒のキャンパスを覗き、息を呑む。
第一印象は、写真、だ。陰影の技術や正確な円線など、兎に角技術が人間離れしている。鉛筆描きの筈なのにこれはないだろう、と言いたくなってくる。勿論いい意味でだ。
思わず魅入って仕舞ったカナタの視線に気付いたのか、描いていた女生徒がカナタを横目で見た。気配だけで気付いたカナタは、その生徒に目を向ける。
その女生徒は、ドミノ・パフェルファムだった。
「(パフェ……もとい、ドミノだったのか)」
「(はいぃ。でもぉ、大した物ではないのでぇ、見つめられちゃうとぉ、恥ずかしいかもぉ)」
はにかんだ笑みを浮かべるドミノ。これで大した物ではないと言われると反応のしようもなくなる訳だが、カナタはドミノが美術部である事を思い出し、なるほど大した事ではないのだろうと思う。
もう一度、カナタはドミノのデッサンを見直す。まるでモノクロ写真の様に正確無比なそれは、とても精密で、何度でも息を呑んで仕舞う。
或いは。それは本当に、写真だったのかも知れない。
カナタがそう考えた瞬間、授業終了のチャイムが鳴り響き、
「起立気を付け礼!」
バタバタと皆が急いで片付けを始めた。先生はその大雑把さを許容しているのか、何も言わない。というか、カナタにはどうしてそこまで急ぐのかが分からな――いや、分かって仕舞った。
「ぬかった、学食か!」
普段の昼食は自作弁当だから授業終了を急ぐ必要はなかったが、今日は違う。学食戦争に参加しなくてはならないのだ。
チクショオ、とカナタは心中で悪態吐くが、時既に遅し。美術室にいた生徒の大半はゴッソリいなくなっていて、未だ片付けが済んでいないカナタは致命的なタイムロスを強いられている。
一瞬の油断が全てを水泡に返して仕舞うのが世の常。たかが学食のくせに何を人生悟らせてんだチクショオ、とカナタは顔をしかめた。