§10、イスカリオテと一つの決着
[Fab-20.Mon/20:30]
時は僅かに遡る。
「……あたいの攻撃を防ぐ程度で勝てるとか、本気で思ってんじゃねぇじゃんな、テメェ」
ギリ、と標的撃破は歯を食いしばり、立ち上がる。ダラリと人形が垂れ下がり、彼女自身がダメージに震えているのか、人形の首がカタカタと揺れる。まるで笑っている様に不気味に映える。
「呪術師が前に出るからだよ。らしくねぇな、もっと陰に隠れてコソコソ攻撃してりゃいいんだよ」
「……『奴』と、あの『クソ野郎』と同じ事を言ってんじゃねぇじゃんよテメェ!ブチ殺すぞ!」
ヒュン、と標的撃破は左手を振るう。が、一気に距離を詰めたタクミの大きな右手が、標的撃破の華奢な手首を掴む。
だが、攻撃を封じられて尚、標的撃破はニタリと不気味に笑う。いや、むしろ逆に、接近してきたタクミの背中に手を回し、自らの身体を密着させる様に固定する。二人の姿は奇しくも、社交ダンスの様だ。
「Un falcetto del dio di morte della distruzione e riproduzione(破壊と再生の死神の鎌)!」
何か――英語ではない何かを叫ぶと同時、人形が背中に何かがぶつかった様な動きで、跳ねた。いや、ゾン、と斬られた様な一撃が走った様だ。
「なん……!?」
「ハハッ、テメェ、暗号魔術って知ってるか?」
タクミはどうにか逃れようと足に氣を溜め、瞬歩を行おうとするが、標的撃破の足が絡みついている為に発動出来ないでいた。いくら魔力や氣を用いたトンデモ体術とは言え、縮地法も身体運用法の一種である為に、始動を抑えられれば実行出来ないのだ。
攻撃を封じたタクミは、完全に裏をかかれた。罠にハマったのだ。一拍後、ゾンと、タクミの背中に一撃。刃物で真っ二つにされる様な激痛が迸り、その表情が苦悶に歪む。
「グガッ、なん、だと……?」
「今のはカバラの樹を司る二二の道の力を借りた一撃じゃん。暗号化された文献から意味だけを抽出するだけで発動すっから、イタリア語でも関係なしって訳だ」
標的撃破を突き飛ばし、タクミは瞬歩で距離を取る。傷自体は思ったより浅いようだが、範囲が広い。人形の受けたダメージの面積を拡張する類感魔術により、広範囲に『切り傷』を受けた為だ。
「知っての通り、あたいの得意は呪いじゃん。こういった暗号魔術は苦手でね、どうも威力が上がらないんじゃん。そもそも『呪術師はコソコソ隠れながら戦う』って考えが気に喰わないから修行しただけじゃんよ。……ドイツもコイツも、人を馬鹿にしやがって」
ケッ、と荒んだ表情で唾を吐きながら、標的撃破は右手をタクミにかざす。
「さて、遊びは終わりじゃん。攻撃を封じたぐらいじゃ、《イスカリオテ》のあたいは倒れねぇよ」
「……《イスカリオテ》?あの、ローマ十字教のか?」
「使徒ナンバー9、《イスカリオテ》のアーダ=オルトラベッラ。アンタを殺す修道女様の名だ。覚えとけ。
Una picca di un serbatoio di un attacco e ritirata(進撃と後退の戦車の矛)」
バキン、と。タクミの周辺から、ガラスが割れる様な硬質的な音が響く。
「……ッ、足が、動かなっ!?」
「Una persona gi fatto di sacrificio ed il sollievo(犠牲と救済の吊し人)」
途端にタクミの身体が逆さまに宙に浮かぶ。ギョッとタクミは渋面を浮かべた。
(お、おいおい!魔術師ってのはこんな事も出来んのかよ!)
どれだけ暴れようと、空中で藻掻くだけで、動けない。一方で標的撃破は、ゆっくりと左手を振り上げ、磁力が反発する勢いで振り降ろされる。
「マズっ……!」
氣を凝縮してタクミの分身体が生み出されるのと、人形が叩きつけられる瞬間は同時だった。タイムラグの間にタクミの分身体が本体を蹴り飛ばして術式から逃れ、一拍後に飛来した類感魔術の一撃が分身体を粉砕した。
が、タクミ本体の落下点にタイミングを合わせる様に、標的撃破の槍の様な蹴りが脇腹に突き刺さる。
「ガグ、ッフ……!?」
地面を数度バウンドし、転げ回り、ようやく止まった時に勢いよく立ち上がる。ツツ、と口端や額から血が流れる。
「認めてやるじゃんよ。確かにテメェはあたいより強い。だけど、そのクソみてぇなフェアプレイ精神が無駄に邪魔してんじゃん。それとも女は殴らないフェミ野郎だってかぁ?」
「……まっさか。俺は女を殴らないんじゃなくて、『非力な』女を殴らないんだよ。極彩色は例外だ」
「……、まだンな寝ぼけた事言ってんのかテメェはァァァああア!」
標的撃破は人形の頭を鷲掴みにし、地面に叩きつける。ギクリと肩を震わせたタクミは瞬歩でその場を離脱し、しかし先程の二の舞になる事を警戒してか、接近ではなく中距離を保っている。難なく人形の二連撃をかわしたタクミは、しかし肩の震えを止められなかった。
何故なら、標的撃破が人形の頭を地面に擦りつけて削る様な勢いで、地面を舐める様な体勢の低さで突進してきたからだ。
タクミの戦術には、実は不得意分野というのが存在しない。だが、どれもこれも、下手をすれば相手を殺して仕舞う『必殺』である為に、一定以上の強さを持った相手にしか使えないのだ。
極彩色、と呼ばれていた魔術師と戦った際は、『必殺』程度では死なないとある意味で信頼していたからだ。
閑話休題。
「ちょちょちょっ!?すと、ストップ!」
ぐぎゃあ!と叫びながら、タクミは夜闇を疾走する。すぐ背後から《ガリゴリゴガガガガガガリ!》と聴きにしだにおぞましい破壊音を放ちながら、座標攻撃が空気を削る様な攻撃が断続的に続いているからだ。
「ハハッ!よく逃げ回るじゃん、赤頭!」
「誰が赤頭だ!いや、確かに染めてるんだけどさぁ!地毛が白くて悪いかチキショウ!」
尚も削りながらタクミを追い立て、標的撃破はニヤリと微笑む。
「さて、あたいがこうしたら、あんたはどうするじゃんよ気障野郎。……『時津カナタ』」
ギクッ、とタクミは表情を強ばらせ、標的撃破に振り向く。ゾガン、とすぐ目の前で『タクミに対する』最後の攻撃と共に、時間という相対概念が緩やかに流れ始めた。
魔術の発動から固着化、そして攻撃までに発生するタイムラグは、僅か一秒。
時津カナタは、未だ目覚めず――。
[Fab-20.Mon/20:32:37:15]
「クソッ」
パゴン、と一気にタクミは加速し、秒速七〇〇メートルオーバーという驚異的な速度で標的撃破の懐に潜り込みつつ、同時に分身体を形成した。
ニヤリと、標的撃破は不気味な笑顔を顔面に貼り付けた。
[Fab-20.Mon/20:32:37:30]
分身体をカナタの移動に向かわせ、本体は標的撃破の真下から打ち上げる様な凄まじい掌底を振るう。標的撃破は右手のパリングで軌道を見事に逸らし、反動を利用して肘を落とす。
[Fab-20.Mon/20:32:37:58]
ギョバ、と殺人的な肘がタクミの頬を掠めるが、首の動きだけで回避したタクミは、身体を右に半回転させながら、掌底。脇腹を狙った一撃をかわしきれない標的撃破は、初めて表情を歪めた。
気絶したカナタの身体を支えた分身体だが、瞬歩から瞬歩へ移行する際のタイムラグで動きが硬直し、魔術攻撃を回避しきれない。
[Fab-20.Mon/20:32:37:74]
「『時雨沢タクミ』!」
叫び、あろう事か標的撃破は左手に握った人形を盾として脇腹をガードする様に固めた。ギョッとタクミは驚愕に目を剥きながら、しかし慣性の法則に従ってタクミの掌底は止められない。
(あぁもう、破れかぶれだ!)
同時に、ギョリ、とカナタの背後斜め右辺りの空間が捩れ、歪む。どうやら力という精神的エネルギーが疑似物理的エネルギーへと移行し、完全に固着した様だ。
[Fab-20.Mon/20:32:37:89]
パグゥ、という衝撃。標的撃破の脇腹を穿った一撃は、人形にガードされて尚、貫いて標的撃破の内臓に直接ダメージを与えた。木彫りの人形は衝撃に耐えきれず、粉々に砕けて『似た形』という機能を失う。
だが、失う寸前のデータにより、一秒後には、タクミによる一撃が自身に拡張されて返る事だろう。
カナタに駆け寄った分身体は、動けない。チッ、と表情を歪めて舌打ちし、気絶したカナタの腹部を蹴り飛ばした。
[Fab-20.Mon/20:32:38:00]
全ての時が、バーナーの炎が氷を溶かす様に、流れ始める。
「カブッ、ひっ。――ガァッ!!」
身体をくの字に曲げて、標的撃破はタクミの骨法術の掌底を受け、トラックにノンブレーキで轢かれた様に、吹き飛ばされる。五メートルは飛び、グチャグチャに砕けて役目を失った人形が、彼女の手から放れて宙を舞う。
一方で、カナタの頭蓋を粉砕せんと言わんばかりの一撃は、タクミの蹴りで強制的に移動させられ、かわした。
だが、動きから動きへ生じる体重移動のタイムラグ……特に本体タクミに関しては、無茶な体勢からの攻撃から移動という動きが、出来ないでいた。そのラグ、凡そ一秒弱。
(……ったく、つくづく、損な性分だな)
タクミは両腕を前で交差させ、氣を密集させる。一拍後、先程の一撃とは比べ物にならない一撃が、タクミを襲った。
[Fab-20.Mon/20:33]
「ぐっ……痛ててて……。な、何が……?」
腹を押さえながら、ユラリとした動きで、カナタは起きあがる。記憶を振り返ると……標的撃破に馬乗りになって殴りつけた辺りで、途切れている。多分、強烈な一撃を背中に受けたにも拘わらず、溜めの一撃を打った事で酸欠に陥り、気絶したのだろう。
「……あ〜、クソ……頭はガンガンするし身体は痛ぇし、何が起こってんだ」
気絶する前のダメージと、何故か別枠な気がする腹部のダメージ。痛みに耐えながら、カナタが視線を巡らせてみると、二人の人間が倒れていた。標的撃破と時雨沢タクミだ。
「……待て。何だって時雨沢が?」
状況が掴めない。ガクガクと震える膝を拳で殴りながらカナタは立ち上がり、ゆっくりと近付いてみる。
現状把握に努めてみる。と言っても、見た感じではタクミと標的撃破が相打ちになったのではなかろうか、と言う憶測しか浮かばない。それ以外に現状を理解出来る奴がいるのであれば、そいつは頭のネジがどっかぶっ飛んでいるのだろうと本気で思う。
(……とりあえず、どうするよ?このまま放ったらかしのままドミノの方に行って、標的撃破が目覚めたら時雨沢が危険だよな。縛っとくか……でも紐も縄もねぇしな)
さてどう動こうかと、カナタは考えてみる。と言ってもあまり蓄積したダメージのせいで正常に頭が働かない現状で、いい案が浮かぶ筈もない。
と、カナタが考えていると、不意に視界の端で何かが動いた。時雨沢か、とカナタがそちらを見てみると、動いたのは標的撃破だった。
「がぐッ、ぁ、はぁ……」
咥内を切ったのか内臓に深刻なダメージを負ったのかは分からないが、標的撃破は焦点の合わない双眸を地面に向けたまま、口から血の混じった唾液をダラダラと滝の様に流し、ゾンビの様な動きで立ち上がった。その光景を見ていたカナタは思わず顔をしかめる。
タクミの攻撃は、一撃一撃が敵を『必殺』する。先程の一撃は幾分かは手加減していたのだろうが(タクミがわざわざ体重の乗らない打ち上げを行ったのはその為だろう)、それでも常人は立ち上がれない筈である。ましてやカナタとの一戦で疲弊しきっていれば尚更だ。
だが、彼女はとっさの内に類感魔術の術式を組み立ていたのだ。自らの『服』から『身を守る鎧』という意味を汲み取って強化し、同時に自身を『人形に似た形』として人形にダメージを移す術式を。お陰で、ダメージの半分は緩和出来た。
だが、その事情を知らないカナタにしてみれば、瀕死ながらも立ち上がる標的撃破が、不死身の存在に見えてならない。
「時、づ……が、なタ……!!」
ギョリ、と不気味な動きで、標的撃破の焦点の合わない双眸がカナタを睨む。攻撃の要である人形を失い、立ち上がるだけで激痛が迸る身体を奮い、口端からはダラダラと唾液混じりの血だか血の混じった唾液だかを垂らし、それでも何かに執着し執心する様に、標的撃破は一歩ずつ踏み締める様な動きでカナタに歩み寄る。
非道く滑稽で、無様な姿だった。少なくとも、カナタが敵として認めた『アーダ=オルトラベッラ』の威圧感は、欠片もなかった。
「……もう、動くな。眠ってろ。……僕が殺した訳じゃないけど、お前の神様の命令は、もう死んだんだぞ?」
「ヴ……る、さぃ……!あだ……ぁたイは、い……ズガ、り……おて、の、修道士ダ。負けバ……ぞん、在、じだ、い……」
ギリ、と。犬歯を剥き出しに標的撃破は歯を食いしばり、最後の力を振り絞る様な勢いで走り出した。その捨て身の特攻すら力なく感じるのだが、堅く握られた左の拳だけは、残る全ての力が注がれていた気がした。
対するカナタも、余力はあまりない。とは言っても、標的撃破……アーダ程、ダメージを受けている訳ではないので、まだ動ける。
そして、カナタの槍は、神すらも殺す。
一閃。今のアーダからは思いもよらない速度の拳が、カナタの顔面を狙う。だが、カナタはあっさりと右手のパリングでアーダの渾身の一撃を弾く。
そして、カナタの槍は、神すらも殺す。
決して、殺したくない相手だとしても。
「……ったく、つくづく損な性分だ」
言葉と共に、一閃。