§9、魔術師と神殺槍
[Fab-20.Mon/20:55]
ゴグン、という、くぐもった金属質な悲鳴。
泥人形、ゴーレム=ドミノの拳と、ナタクの剣が交わった音だ。
瞬間、凄まじい衝撃波が大気を激しく揺れ動かし、ビリビリと木々や街灯を震わせる。傀儡仕様と隷従法師の髪がなびく程の『音』の嵐が吹き荒れ、常人なら鼓膜に鈍痛が走る様な事態にも拘わらず、二人の表情に変化は見られない。
愉悦と、殺意と、憎悪に充ち満ちた、恍惚なまでの笑顔。
「ゴーレム=ドミノ、負けはぁ赦しませんよぉ」
「ウキ、ウクク!その生意気な土くれ人形を叩っ斬れ、ナァタァクッ!」
六メートルを超える大きさに比例しない素早い動きで距離を取り、爆発する様な勢いで突進し、ぶつかり合う。ガォオン、ととてつもない爆音が轟く。ナタクは組み合ったまま剣を振りかざすが、ゴーレム=ドミノはそれを軽々と吹き飛ばす。
が、吹き飛ばされた際にナタクは錘頭刀で反撃する。重量のある一撃がゴーレム=ドミノを襲い、体勢もままならない内に吹き飛ばされる。
互いに押しも押されぬ強さを見せるナタクとゴーレム=ドミノ。機械仕掛けの巨身と、土作りの泥人形が。
人形使いの上下関係というのは、戦いの場に於いて示される訳ではない。その構造や動きの滑らかさなんて言う『技術力』を評価される。人形同士の戦いというのは強い弱いに関わらず、『それまで培った技術が功を結ぶ』という訳だ。
だからこそ、自分の人形に絶対の自信を持つ人形使いは、戦い自体に意味を見出さない。
「ウクキクク!あんまタラッタラしてやがったら、燃しちまいマスよぉ!」
ギュン、と距離を詰める隷従法師。その行動に驚きを隠せない傀儡仕様。
「……ゴーレム=ドミノォ!」
叫びと共に、ゴーレム=ドミノが進行方向に立ちはだかる。しかしそれさえも目に映っていないかの様に、傀儡仕様は走りながら叫ぶ。
「ナタク、退けろ!」
ズゴン、と横薙ぎに錘頭刀が飛来し、とっさに受け止めたゴーレム=ドミノは腕から衝撃に弾けた破片をバラ撒きながら、吹き飛ばされる。傀儡仕様を護る障害は、もはやどこにもいない。
「……従者を放って術者自らが攻めるなんてぇ、正気ですかぁ!?」
周囲を見渡し、ベンチにチョークで記号を描く。森羅万象の基礎となる『土』を操る彼女にとって、その場の全てが彼女の武器となる。地面から氷柱の様に尖った槍が飛び出すが、右手にスパナを握り締めながら疾走する隷従法師は難なく避ける。
その左手には、星砂を入れておく様な小さな小瓶を持っていて、それを傀儡仕様に向かって投げつける。彼女の横を過ぎ、数メートル後方に落ちた小瓶から、何かの金属を粉末状にしたものが飛び散る。
(一体、何のつもり――ッ)
意図の分からない行動に、ふと気付く。それはやや赤いが、まさしく砂金である。恐らく銅合金。銅は五行元素より『火』を抽出する効果があるとする赤の色彩の象徴であり、それに混ぜられた金は……、
(初期西洋錬金術の象徴ではぁ、確かぁ、太陽……!)
「どこを見てんデスかぁアンタは!私を無視してんじゃねぇデスよぉ!」
銅合金の粉末に気を取られていた傀儡仕様の目の前に、鈍銀に輝くスパナが迫る。とっさの出来事に反応した傀儡仕様は、横ではなく後ろに飛び退いた。だが、一気に懐に入り込んだ隷従法師のミドルキックが間髪入れず襲う。両腕をクロスさせてガードするが、バランスを崩す様に後ろに弾き飛ばされた。
「西洋人の貴女には馴染みがないかも知れないんデスけどねぇ、中国神話ってな別名、火の神話って言われてる訳デスよ」
その言葉に、ギクリと背筋を震わせた傀儡仕様は、ジャリ、と金属の粉末が撒き散らされた場所に踏み込んだ。
瞬間、赤銅する様に地面が灼熱し、爆発。
「がばッ、ギ、――ッア!?」
「うく、ウックック!取り分け、青龍や白虎なんかはそれぞれ雷と土を司っちゃぁいるんデスが、盤古と言う三万六〇〇〇年かけて世界を創ったと言う巨人の虱である人間が司るものは火とされてるんデスよ。かつて空には九の太陽を司る九姉妹が存在し、赤弓と白矢の宝貝で八人の姉妹を射殺した。その八人の姉妹の血を浴びた一人の人間こそが火を扱う炎帝として君臨したって話なんデスけどねぇ、どうデスか、私の炎の味は?」
「が、ッハ!コフッ、ゴフッ!」
爆発自体の破壊力は大した事がないのか、傀儡仕様は吹き飛ばされる様に地面を転がる。煤まみれの顔には苦悶の表情を浮かべていて、呼吸が荒い。一過的な酸素欠乏症の状態なのだろう。
「中国には沢山の民族が存在し、また神話もそれだけ多く存在してんデスよ。だけど、人が火を司る存在という共通する話題があるんデスよね。そこを近代魔術の理論に当てはめて『人の司る火』の意味だけを抽出しちまえば、こんな事だって出来ちまうんですよ」
不気味な笑みを浮かべたまま、隷従法師は語る。一方で傀儡仕様は生まれたての鹿の様な動きで立ち上がりながら、チョークを構える。
両者の本質は、根本から違っていた。人形一つ取ってもそうだ。
古代より伝わった技術を極めようとした傀儡仕様と、近代に亘り理論確立された近代魔術を極めようとした隷従法師。
「さぁ、茶番は終わりデス。泣いて私に懇願しろ、命乞いをしろ、這い蹲って負けを認めろ!私との力の差を思い知り、ナンバーワンの座を私に寄越せ!……そうすれば、命まで取ろうとはしませんよ。私が受けた命はあくまでアンタが持ってる石を奪取する事なんデスから。殺しちまったら、ローマ十字教との協力関係が崩れちまうだけデスからねぇ」
ウクク、と不気味に嗤いながら、隷従法師は新たに小瓶を三つ取り出し、辺りに放る。カシャン、と傀儡仕様の周りで小瓶が砕け、金属の粉末が満遍なく散らばる。
(……ゴーレム=ドミノはナタクに抑えられてぇ、今の私にはぁ……状況を打開する方法が思い付きませんねぇ)
絶体絶命。人形使いとしてのスキルはともかく、魔術師としての強さでは隷従法師が格段に上だ。
しかも何より、石、と隷従法師は語った。その石とやらが何なのかは傀儡仕様には分からない。
「……石、とは、何なんですかぁ?」
「あぁん?……くくっ、まさかここに来て、出てくる言葉がそんなモンだとは思いませんデシたねぇ。持ってないのは分かってんデスよ、我らが金狂獣が求める石、眼球石をアンタが持ってると言う口実を餌に、私はやってきたんデスからねぇ」
隷従法師は、心底から嬉しそうに語る。
「今更そんなカビ臭ェ代物を集めたところで何が起きるとは思えやしないデスし、頭の堅い老人の慰みにでも使われるんじゃないんデスか?私が『人形使い最強の傀儡仕様が持ってる』って情報をリークしてみりゃ、笑えるぐらいアッサリと信じてくれましたよ」
曰く、彼女が所属している組織・狂金獣というのは、古来より『眼球石』という魔具を集める事を目的とした、中国の魔術組織であるらしい。道理でナタクという人形や炎帝の術式を扱う訳である。
眼球石。東洋では『眼』というのはあらゆる呪詛的意味を含み、情報を蓄積する端末機器の様な役割を担ってきたとされる。故に狂金獣は『人の眼と同じ働き』をする謎の石、眼球石の収集に尽力を尽くしてきたらしいが、眼の構成や役割が間違いだと現代的な訂正事もあって、呪詛的な意味は何もないので隷従法師は興味がないと言う。
「失われた文献や誤伝した伝承なんかのせいで、今や眼球石という石がどんな形・どんな意味を持っているかはまさしく謎とされちまってんデスよ。デスから、もしかしたら……という淡い希望を抱き続けている頭の堅い老人共は『それッポイ物』を伝統に則って集めてる訳デスよ。うくく、古臭ェ風習に踊らされてる老人は信心深いから簡単に騙される。こうして傀儡仕様と戦える大儀を与えてくれたんデスから、一応の感謝はしてんデスけどね」
夢想主義者、と隷従法師は嘲笑う。口元には歪んだ笑みを浮かべ、ただし双眸だけは不気味に爛々と暗い光を宿していた。
「私はねぇ、近代魔術を極めて、ナンバーワンの座が欲しいんデスよ。そして狂金獣のトップに立ち、世界に知らしめる。実際、近年は西洋文化が東洋を侵食し始めているし、だからって東洋魔術の一位を取る為には安倍清明の陰陽道を超えなくちゃなんない。馬鹿らしいデシょ?そんな巨大強大な組織を超えられるたぁ思っちゃいないし、かと言って何もせず廃れるのを見てる程、国も捨てちゃいないデス。これでも仏教徒デスからねぇ」
「……つまりぃ、他組織に主張出来る知名度が欲しい、とぉ……そういう、事ですかぁ?」
「半分、正解。私はねぇ、傀儡仕様。宗教防御を必要としない近代魔術を一般に広め、国単位で最大の魔術組織を創るんデスよ。知ってますよね、中国の人口は一一億人。あの最大宗派であるローマ十字教だって世界各国に六億人、しかし実際に皆が魔術を使える訳ではなく、魔術師と呼ばれる存在はたかが1%程度しかいないんデスよ」
傀儡仕様はゾッとした。その、夢物語の様に壮大な計画に、ではない。それを信じて疑わない、彼女の病的なまでの一途性に、だ。
もしそうなった場合、世界中の組織間のバランスは大きく揺らぎ、下手をすれば世界を掌握する事になりかねない。質ではなく量。如何に最強クラスの魔術師がいたところで、人海戦術にはなすすべなんかないだろう。
それを理解したからこそ、傀儡仕様は口を開く。
「……貴女はぁ、生粋の馬鹿なんじゃないんですかぁ?」
「……あ?」
「一一億の魔術師によるぅ、最大の組織を作る?そんな自己満足のぉ塊みたいな考えはぁ、今すぐドブにでも捨てた方がぁいいですねぇ。……どこの誰が好き好んでぇ、こんな世界にぃ、生きたいと思うと言うんですかぁ?」
フラフラと身体を揺らしながら、ただ淡々と語る。予期せぬ言葉に、隷従法師は思わず押し黙り、聞き入っていた。
「平和を望む者がぁ戦うのも一つのぉ道理ぃ……その考えを否定する気はぁありません〜。ですがぁ、関係のない者にぃこんな世界をぉ強要するぅ貴女の自己満足にはぁ全く共感を抱けません〜。知らない方がぁ幸せなんですよぉ、普通の方々はぁ、普通に友人と笑ってぇ、普通に生活するぅ……その方がぁ遙かに幸せだと思いますがぁ?この世界を知った瞬間にぃ後戻りが出来なくなると言うのならぁ、誰もが笑って暮らせる世界をぉ私達が陰ながらぁ作ってあげると言うのがぁ魔術師なんですよぉ!決して個人の感情の為にぃ多くの人のぉ平和な人生をぉブチ壊していい理由になんかぁなる筈がないんですよぉ!!」
全身傷だらけで、軽い火傷もして、満身創痍ながらも。
傀儡仕様・ドミノは叫ぶ。
「99%の一般人はぁ、普通に学校に通ってぇ、普通に働いてぇ、帰りに寄り道してぇ……ゲームセンターに行ったりアイスやクレープを食べたりぃ、笑ったり怒ったりぃ……そんなぁ、本当に普通の方々に対しぃ、どうして貴女はそんな事が言えるんですかぁ!?1%の魔術師だって、信念や執念があってぇ、諦めなくちゃいけないものをぉ諦めきれなくてぇ、裏の世界に足を踏み入れる覚悟がある者をぉ魔術師と言うんですよぉ!決して、貴女のくだらない思想の為にぃ、面白半分に巻き込むべきではないのですよぉ!」
「……黙れ」
「そう簡単にぃ黙るとでも思いますかぁ?黙る訳がないでしょぉ!そんなたいそうな思惑があるのならぁ、他人に勝手に期待して仮託してぇ無茶を進める前にぃ、まずぅ、自分自身がその全てを背負って戦うべきでしょぉ!貴女が一一億もの期待と覚悟を全て背負ってぇ、全ての人を踏み越えて先に進めると言うのならぁ否定はしませんしぃ、喜んで私は倒れてあげます。ですがぁ、もしほんの少しでもぉその重圧を畏れるのであればぁ、私は絶対にぃ貴女に倒される訳にはいきません!ここでぇ貴女の下らない夢をぉブチ壊してやりますぅ!」
「……黙れ、っつってんだろうがテメェ!」
轟、と凄まじい音が空気を巻き込んで燃え盛ると同時に、爆破。砂塵や土塊を構わず満遍なく粉砕し、巻き上げ、爆炎と爆風と爆撃が一気にドミノを三方から叩きつける、
寸前で、ドミノは走り出していた。チョークもろとも拳を握り締め、傷だらけの素足を全力で奮い立たせ、距離の空いた隷従法師へ向かって、一気に爆発的な加速を見せる。
「うぁあああああッ!」
出鱈目な、それこそ格闘技の『か』の字も知らない様な女子高生の右の一閃。間合いも足運びも体重移動もてんでバラバラで大雑把なその一連の動きは、稚拙の一言に尽きる。
当然ながら、人形使いという後衛技術と同時に、炎使いという前衛技術も修得した隷従法師にしてみれば、特に注意も留意もなく迎撃出来る。
ただし、人形はゴーレムを抑える為に使っているし、炎は近距離では自らを巻き込む為に使えない。そういう点だけを見れば、ドミノの無謀な特攻は、実に理にかなっていると言える。
「クソッ、ナメたクチ利いてんじゃねぇってんデスよ傀儡仕様ゥゥゥううウ!」
ギョバッ、と空間を裂く様に、夜闇に鈍い銀の閃光煌めく。スパナでの一撃。背格好がほぼ変わらない二人の間で、この差は致命的過ぎた。ドミノのひ弱な拳は空を切り、隷従法師の力強い一撃はその右腕を斬り落とす様に叩く。金属の棒に体重も乗った一撃は、ゴギン、と不気味な音を放つ。
「ぐ、……ッア!?」
息を呑む暇もなく、隷従法師の左足が高速でドミノの脇腹に叩き込まれ、吹き飛ばされる。中国拳法の中には脚技に特化した型も存在するので、その破壊力は図らずもがな、だ。
「……チッ、ネムてぇ事言ってんじゃないデスよアンタ。何をどう語ったところで、弱い奴が語る正義なんざ詭弁でしかないってなもんデス。大体、いくら人形使いだからってこれは弱すぎデシょう。かつて最強と畏れられた傀儡仕様も、一般人に紛れ込んでる内に弱体しちまったってんデスか?ったく、そこらの女子高生と変わらない右拳なんざ、私が喰らう筈がないデスよ」
「だったら、特殊部隊だったらいいのか?」
――ッハ、と呼吸する間もなく、ゴズッ、と激しい音と共に、隷従法師が横薙ぎに吹き飛ばされた。
右手に迸る激痛に悶絶していたドミノが顔を上げると、つい今し方に隷従法師がいた場所には、横から突き出された『右の拳』が存在していた。
辿ってみると、ボサボサの黒髪の少年が、そこにいた。
「か……ナ、た……く、……ん?」
「悪い、あのバンダナ女に手間取っちまって、遅れた。……何だって時雨沢がいたのかは全く分かんないんだけど、アイツなんでいたんだろうな。何か気絶してたけど」
「はぁ?」
「いや、こっちの話。それは後で話すけど、今はアイツをどうにかすんのが先決だな」
カナタはボロボロの服の袖で額を拭い、さっき殴り飛ばした隷従法師を見据える。何が起きたのか分からない、という表情を浮かべている。
「おま、え……標的撃破はどうしたんデスか……?」
「バンダナ女か?向こうで寝てる。倒せたのは僕一人の力じゃないからデカい顔は出来ないけど……まぁいいや。そんな事より、話は聞いてたっつぅかあんな馬鹿デカい声で話してたら嫌でも聞こえた」
カナタは、まるでそれが当然であるかの様に、拳を握り締めて隷従法師と対峙する。双眸には一切の迷いがなく、もはや会話のやりとりは必要ないと、言外に語る様に。
「さて……そのつまんねぇ神様が作ったくっだらねぇ理想、この僕がブッ殺してやるから、覚悟はしとけよ」
一方通行に告げるその佇まいは神を殺す槍にふさわしく、ただ曇りなく隷従法師を見据える双眸は真っ直ぐで、
「僕の槍は、そう甘くねぇぞ」
左手には、黒光りする大きな自動拳銃が握られていた。