只、酒を注ぐ
村の近所にある小高い山、その山頂へとやってくる。
車を駐車場に止めると、自分は自動車のトランクルームから60リットルの青色のバケツ、ひしゃく、掃除道具、それと日本酒の一升瓶、最後にお猪口を2つ取り出した。
「おじいさん、あそこの休憩所で待ってるから、はやめに、ね」
「ああ。すまないね」
かぶった麦藁帽のへりを少し持ち上げて、孫娘が指示した場所を確認する。
バス停の標識と一緒に、自販機3台が外側に置かれた12畳ほどのプレハブ小屋がある。
窓や扉はついているが、中の冷房のために今は閉められているようだ。
中に誰かがいるという気配はない、そもそも夏の暑いところで、こういうふうに来る人は少ないのだろう。
よいしょっと、といいながら自分は荷物をバケツの中に入れ、目的地へと歩きだした。
ふぅ、と一息入れたのは、とある墓石の前。
まわりは蝉の声が聞こえ、人通りはない。
「ばあさんや、今年も来てやったぞ」
と宙であった蛇口から水を入れ、バケツの中はかなり満たされている。
それでもひしゃくや入れても大丈夫なモノだけはバケツの中に、おちょこ2つはもう片方の手にもっていた。
玉石に囲まれ、自分のところの家名が彫られた墓石の前に、バケツ、それとほかのいくつかを置く。
日本酒は少し離れたところにあるベンチへ、お猪口は日本酒の上へかぶせるようにして置いた。
「さて、まずは掃除からだな……」
1年ぶりにやってくるばあさんのところには、雑草も生え、墓石にも汚れがついていた。
そのあたりを炎天下で30分、適当に抜いたりして片付ける。
「こんなものだな」
最初に来た時よりも幾分か増し、といったところではあるが、それでも自分としては満足できる状態にはなっていた。
抜いた雑草類は通路の敷石のところに置き、帰るときにまとめて片付けようと考える。
まあ忘れた時には忘れた時だ。
「ほら、ばあさん。約束の今年の酒だ。今年は灘五郷から持ってきたぞ」
毎年1本、かならず妻と飲み交わす。
それが生きている間からの約束だ。
だからばあさんが向こうの世界に行ってしまったからといって止めるわけにはいかない。
当然のことではあるが、墓石にそのまま日本酒をかけるのはさすがに避けたい。
そこでおちょこに入れて、それぞれで飲み交わすことにした。
「ばあさんも、そっちでしっかりと飲んでいるか」
言いながらも、2合瓶のスクリューキャップを開けて、墓石の前に置いたお猪口へと注ぎ入れる。
すぐ横には自分用のものも置き、それにも注いだ。
入れ終わるとすぐに日本酒のふたを閉める。
「じゃあ、乾杯」
自分の分の、向かって右側にあるお猪口に手を添えて、すこしだけ目線より高く掲げると、中身を一気に飲み干した。
ふぅ、と言ってお猪口の中を見る。
何もないはずなのに、ただ彼女の雰囲気が残っている。
「……どうだ、旨いだろう。知り合いに頼んで伊丹の酒蔵から取り寄せたんだ」
確かにおいしい、こればかりは自分だけで飲んでもよかったかもしれないと思うほどだ。
だが約束は約束だ。
「そっちはどうなんだ、もう生まれ変わったりしたのか、そうであればさみしい限りではあるんだがな……」
酒の力も借りて、いろいろと思いを吐露する。
風がふわりと周りを踊り、歩きぬけていった。
再び歩いて休憩所まで戻る。
「あれ。もういいの?」
「ああ、挨拶は終わったし、したいことも終わった。まだ自分の旅は続きそうだって伝えておいた」
「ふぅん」
スマホを出してゲームでもしていたのだろう。
最近の若者といえばそうらしいが、先祖への敬意というものがないような気がする。
「じゃあ帰るけども、やり残したことは?」
「いや、大丈夫だ」
遺したことはある。
だが、それを遂げるのは、どうやらまだまだ先になりそうだ。
「おじいちゃんも大変だね。おばあちゃんももう死んで何年も経つっていうのに、まだまだ頑張る気?」
「ああ、ばあさんと約束をしたもんだからな。約束を守る男として、有名だったんだぞ」
自分は思ったよりも話洗えるようだ。
入れ歯になった歯も、皺も深く刻み込まれている顔も。
すっかりと変わってしまった世界も。
それでもなお、人生という旅はまだまだ続いていく。
ばあさんのところに行くのがいつになるのかは、神様がきっと決めてくれる。
それまでの間、この人生を続けていくことになるだろう。
旅の終着がいつになるのか、それはいまだに見通せなかった。




