ログ……RE:TRY
最初に気づいたのは、ただの違和感だった。
消えている。
そう思ったのは、三日前の深夜。
俺はいつも通り、画面をスクロールしていた。
SNS。掲示板。まとめサイト。
仕事柄、こういう“ログ”を漁るのは日常だった。
誰かの書いた文章。
誰かの残した記録。
それを集めて、並べて、意味を見つける。
それが俺の仕事で、趣味でもある。
だからこそ——
「……あれ?」
指が止まった。
違和感。
ほんの小さな。
でも、無視できない種類のやつだ。
さっきまで見ていたスレが、消えていた。
スクロールを戻す。
もう一度探す。
ない。
「……おかしいな」
更新する。
一覧が再読み込みされる。
それでも、ない。
さっきまで、確かにあった。
タイトルも覚えている。
——「時間が消えたんだが」
ふざけたタイトル。
よくある釣りスレ。
そう思って開いた。
中身も、最初は普通だった。
ただの妄言。
寝不足だとか、勘違いだとか、そんなレスが並んでいた。
でも——
途中から、空気が変わった。
書き込みの内容が、妙に具体的になっていった。
『気づいたら、1時間飛んでた』
『時計は進んでるのに、記憶がない』
『スマホの履歴もおかしい』
ここまでは、まあある。
よくある話だ。
だが、その先。
『彼女との会話が、途中から消えてる』
『LINEの履歴が一部だけない』
『でも俺は覚えてる』
「……」
そこで、引っかかった。
“記録が消えているのに、本人は覚えている”
これは、ただの勘違いでは説明がつかない。
記憶違いなら、記録とズレる。
だが、記録そのものが消える?
普通じゃない。
だから、少しだけ真面目に読んだ。
ログを保存しようとも思った。
でも——
「……消えた?」
そのスレ自体が、なくなっている。
まるごと。
跡形もなく。
削除されたのか?
いや、それにしては早すぎる。
スレはまだ立ってから数時間だった。
荒れてもいない。
通報される要素もなかった。
「……まあいいか」
小さく息を吐く。
気のせい。
そういうことにしておく。
ネットには、消えるものなんていくらでもある。
サーバーの問題。
管理側の削除。
投稿者の自演。
理由なんて、いくらでも作れる。
いちいち気にしていたら、キリがない。
そう思って、画面を閉じた。
その時は。
——その時は、本当にそれで終わるはずだった。
翌日。
同じ時間。
同じ場所。
同じように、画面を眺めていた時。
また、見つけた。
似たような投稿を。
『恋人が少しずつ他人になる』
「……は?」
思わず、声が出た。
タイトルの時点で、嫌な感じがした。
昨日のスレと、どこか似ている。
いや、似すぎている。
開く。
中身を見る。
やっぱりだ。
『昨日話したことを覚えてない』
『でも、他のことは普通に覚えてる』
『俺とのことだけ、少しずつ抜けてる』
スクロールする。
レスが続く。
『気のせいじゃね?』
『浮気だろ』
『病院行け』
テンプレみたいな反応。
でも、その中に。
ひとつだけ、異質なレスがあった。
『それ、時間が削られてるやつじゃない?』
「……」
指が止まる。
時間が、削られている。
昨日のスレと、繋がる。
偶然?
それとも——
さらに読み進める。
『俺も似たことあった』
『会話が消えるんだよ』
『記録も、記憶も』
『気づいたら、なかったことになる』
ぞわり、とした。
背筋に、嫌な感覚が走る。
これ、ただのネタじゃない。
書いてるやつの“温度”が違う。
作り話特有の誇張がない。
むしろ、淡々としている。
事実をそのまま並べているような。
「……」
スクショを撮る。
今度は、残しておく。
消える前に。
そう思った。
その直後だった。
画面が、一瞬だけ揺れた。
「……は?」
ノイズ。
ほんの一瞬。
だが、確かに見えた。
違和感。
そのまま、スレを見直す。
さっきのレス。
“時間が削られてるやつじゃない?”の書き込み。
それを——
探す。
ない。
「……は?」
さっき、確かにあった。
見た。
読んだ。
なのに——
消えている。
そのレスだけが。
「……おいおい」
笑いが漏れる。
乾いた、軽い笑い。
気持ち悪い。
偶然?
そんなわけがない。
さっきのノイズ。
あれと同時だ。
消えた。
リアルタイムで。
「……マジかよ」
スマホを握る手に、力が入る。
これは。
ただのネットの不具合じゃない。
何かが——
起きている。
「……ありえないだろ」
呟く。
だが、否定する材料がない。
見たはずのものが消えている。
しかも、ピンポイントで。
偶然で片付けるには、不自然すぎる。
「……もう一回」
同じスレを、最初から読み直す。
今度は、慎重に。
一行ずつ、目で追う。
さっきと違う点はないか。
消えているものはないか。
確認する。
だが——
「……ない」
あのレスは、最初から存在していなかったかのように、消えている。
痕跡すらない。
レス番号も詰まっている。
削除された跡もない。
まるで——
“最初からなかった”みたいに。
「……気持ち悪いな」
背もたれに体を預ける。
天井を見る。
状況を整理する。
・スレが丸ごと消えた(昨日)
・レスが一部だけ消えた(今)
・どちらも、見た直後に起きている
「……共通点は?」
自然と、思考が回り始める。
こういう時、感情は邪魔だ。
必要なのは、整理。
そして仮説。
「……時間、か」
昨日のスレ。
今日のスレ。
どちらも、“時間の異常”を扱っている。
記憶の欠損。
記録の消失。
そして——
「……削られてる、ね」
さっきのレス。
消えた言葉。
それ自体が、現象を説明していた。
時間が削られている。
もし、それが本当なら。
「……じゃあ、なんで俺は覚えてる?」
そこが引っかかる。
記録は消える。
でも、記憶は残る?
いや。
昨日のスレ主は、“記憶も曖昧になる”と言っていた。
じゃあ、なぜ俺は。
こうして——
はっきりと覚えている?
「……」
嫌な予感がした。
思考の奥に、ひっかかる感覚。
まだ形にならないが、確実に何かがある。
その時。
通知音が鳴った。
ブブッ、と短く。
「……」
反射的に、画面を見る。
新着のメッセージ。
送り主は——
知らないアカウントだった。
《ログ、残してる人?》
「……は?」
眉をひそめる。
なんだこれ。
意味がわからない。
だが、その一文。
妙に引っかかる。
ログ、残してる人?
まるで——
こっちを見ているみたいな。
「……誰だよ」
小さく呟く。
プロフィールを見る。
何もない。
投稿ゼロ。
フォロワーゼロ。
作られたばかりのアカウント。
明らかに怪しい。
普通なら無視する。
関わらない方がいい。
でも——
「……」
指が止まらなかった。
返信を打つ。
《そうだけど》
送信。
数秒。
既読がつく。
すぐに返信が来た。
《じゃあ、まだ消えてないんだね》
「……は?」
意味がわからない。
何が?
何が消えてない?
思わず、打ち込む。
《何の話?》
既読。
少し間が空く。
その間。
妙な緊張が走る。
そして——
返信。
《君の“時間”》
「……」
背筋が冷える。
冗談じゃない。
こんなの。
笑えない。
「……誰だよ、お前」
小さく呟く。
画面を見つめる。
次のメッセージが来る。
《気づいてるでしょ》
指が止まる。
心臓の音が、やけに大きい。
《消えてる》
短い一文。
それだけで、十分だった。
「……」
呼吸が浅くなる。
否定できない。
見てしまったから。
さっき、確かに。
“消える瞬間”を。
「……何が起きてる」
思わず、送る。
《何が消えてる?》
すぐに既読。
だが、返信は来ない。
数秒。
十秒。
三十秒。
画面を見続ける。
そして——
ようやく、返ってきた。
《まだ軽い》
「……は?」
《そのうち、“人”になる》
言葉の意味を理解するのに、時間がかかった。
「……は?」
もう一度、声に出る。
人?
何を言っている?
頭がおかしいのか?
それとも——
「……ふざけんな」
打ち込む。
《意味わからない》
既読。
すぐに返信。
《じゃあ、確認して》
「……確認?」
《昨日の夜、誰と話した?》
その質問。
何気ないはずの一文。
なのに——
胸の奥が、ざわついた。
「……昨日?」
思い出そうとする。
昨日の夜。
何をしていた?
……。
……あれ?
「……」
思考が止まる。
記憶が、曖昧だ。
何をしていたか、はっきりしない。
仕事をしていた。
それは覚えている。
でも——
それ以外が、ぼやけている。
「……は?」
おかしい。
たった一日前のことだ。
普通、忘れるはずがない。
それなのに——
「……」
スマホを操作する。
通話履歴。
メッセージ履歴。
確認する。
スクロールする。
だが——
「……ない」
何もない。
昨日の夜のやり取りが、ごっそり抜けている。
空白。
ぽっかりと、穴が空いたみたいに。
「……嘘だろ」
喉が乾く。
もう一度、見る。
何度見ても、同じ。
ない。
存在しない。
でも——
違和感だけが残る。
確かに、誰かと話していた。
そんな感覚だけが、ぼんやりと残っている。
「……誰だよ」
呟く。
思い出せない。
顔も、声も、名前も。
何も。
ただ——
“いた”という事実だけが、残っている。
「……」
震える手で、画面を見る。
さっきの相手。
あのアカウント。
メッセージ欄。
そこに——
最後の一文が、追加されていた。
《それが“削除”》
息が止まる。
画面を見つめる。
視線が、離れない。
そして、気づく。
もう一つ。
小さな変化に。
「……?」
画面の上。
メッセージ欄の、相手の名前。
さっきまで表示されていたはずのユーザー名が——
消えていた。
「……は?」
何も表示されていない。
空白。
ただの空欄。
名前が、ない。
存在していたはずの“誰か”が——
消えている。
「……おい」
指でタップする。
プロフィールを開こうとする。
反応しない。
リンクが死んでいる。
まるで——
最初から存在していなかったみたいに。
「……嘘だろ」
呼吸が乱れる。
理解が追いつかない。
でも——
確実に言えることがある。
これは、偶然じゃない。
ただのバグでもない。
「……削られてる」
呟く。
現実が。
時間が。
そして——
人が。
「……人が、消える?」
自分の声が、やけに遠く聞こえた。
ありえない。
そんなこと。
現実で起きるわけがない。
わかっている。
わかっているのに——
否定できない。
目の前で、起きているからだ。
「……」
深く息を吸う。
落ち着け。
整理しろ。
いつも通りに。
感情を切り離して、事実だけを見る。
・スレが消えた
・レスが消えた
・会話の履歴が消えた
・記憶が曖昧になった
・人の“存在”が消えた
「……」
ここまで来ると、もう偶然では説明できない。
ひとつの現象として、成立している。
「……削除」
さっきの言葉を、口に出す。
妙にしっくりくる。
“消える”じゃない。
“削られている”。
その方が、正確だ。
必要な部分だけ、切り取るみたいに。
「……なんで」
誰に向けたものでもない問いが、漏れる。
理由がわからない。
法則も、目的も。
ただ、起きている。
それだけだ。
だが——
「……共通点はある」
ぽつりと呟く。
あるはずだ。
こういう現象には、必ずパターンがある。
そうでなければ、こんな風に“揃わない”。
昨日のスレ。
今日のスレ。
そして、さっきのやり取り。
「……全部、繋がってる」
指が、自然と動く。
新しいメモを開く。
タイトルを打つ。
《削除現象ログ》
「……よし」
小さく頷く。
やることは決まった。
記録する。
すべて。
消える前に。
「……」
キーボードを叩く。
今日見たこと。
消えたスレ。
消えたレス。
謎のアカウント。
そして——
“昨日の記憶の欠損”。
思い出せる範囲で、全部書く。
言葉にする。
形にする。
そうすれば——
「……残るはずだ」
そう信じるしかない。
記録は、消えない。
少なくとも——
見ている限りは。
「……」
その時だった。
ふと、気づく。
メモの中の、一行に。
「……?」
さっき打ったはずの文章。
《昨日の夜、誰かと話していた気がする》
その一文が。
画面の中で——
“途中から、消えていく”。
「……は?」
目の前で。
リアルタイムで。
文字が、削られていく。
左から。
順番に。
ゆっくりと。
《昨日の夜、誰かと話し——》
そこまでで、止まる。
それ以上は、存在しない。
「……おい」
慌てて打ち直す。
同じ文章を。
《昨日の夜、誰かと話していた気がする》
確定する。
保存する。
だが——
また、消える。
同じように。
同じ位置で。
《昨日の夜、誰かと話し——》
「……ふざけんなよ」
声が低くなる。
これは。
ただの削除じゃない。
“書かせない”ようにしている。
その部分だけを。
「……なんだよ、それ」
苛立ちが滲む。
だが同時に、理解もする。
これは——
都合のいい消去じゃない。
むしろ逆だ。
“都合の悪い部分”が消されている。
「……つまり」
思考が繋がる。
ゆっくりと。
だが、確実に。
「……何かがいる」
呟く。
この現象には、意思がある。
ランダムじゃない。
選択されている。
削る場所を。
消す対象を。
「……誰だよ」
問いかける。
返事はない。
当然だ。
でも——
その代わりに。
スマホが、震えた。
ブブッ、と短く。
「……」
画面を見る。
通知。
新着メッセージ。
送り主は——
表示されていない。
名前がない。
アイコンもない。
ただの空白。
それでも、メッセージは届いている。
開く。
そこにあったのは。
たった一行。
《記録してると、気づかれるよ》
「……」
息が止まる。
画面を見つめる。
指が動かない。
逃げた方がいい。
関わらない方がいい。
頭ではわかっている。
でも——
「……」
視線が、逸らせない。
もう、引き返せないところまで来ている。
消えている。
何かが。
確実に。
そしてそれは——
これからも続く。
「……」
ゆっくりと、息を吐く。
覚悟を決める。
逃げない。
目を逸らさない。
「……全部、見る」
小さく、呟く。
「全部、記録する」
それが——
今できる、唯一の抵抗だ。
スマホを握る。
画面の光が、暗い部屋を照らす。
その光の中で。
俺は、打ち込む。
《これは、記録だ》
指が止まる。
そして、続ける。
《消える前に残す》
送信。
その瞬間。
画面が、ほんの一瞬だけ揺れた。
ノイズ。
微かな、違和感。
だが、今度は消えなかった。
文字は、そのまま残っている。
「……」
小さく、息を吐く。
成功したのか。
それとも——
まだ、見逃されているだけか。
わからない。
だが、ひとつだけ確かなことがある。
これは、もうただの偶然じゃない。
そして——
この現象には、名前がある。
「……RE:TRY」
どこかで見た言葉が、頭に浮かぶ。
理由はわからない。
でも、なぜか確信していた。
これが——
すべての始まりだと。
ログは、ここから始まる。




