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第二話 封筒

会社に着いたとき、神谷直人はいつも通りパソコンの電源を入れた。


古い蛍光灯。

七人だけの事務所。

社長の机は部屋の奥にあるが、仕切りはない。


特別な朝ではなかった。


「神谷くん、ちょっといいか」


振り向くと、社長が立っている。


「はい」


奥の応接室に入る。

戸が閉まる。


小さなテーブル。

向かい合う椅子。

時計の秒針がやけに大きい。


社長は立ったまま、少し笑った。


「まあな……最近ちょっと厳しくてな。仕事も減ってるし、数字もなかなか伸びん」


直人はうなずく。


業績の話は、これまでも何度か聞いてきた。

今回もその延長だと思っていた。


「神谷くん」


社長は視線を落とす。


「お前が頑張ってくれてたのは分かってる。十八年だもんな」


息を、浅く吸った。


「本当に申し訳ないんだがな」


一拍。


「来月いっぱいで、辞めてもらわないといけない」


空気が止まる。


「……え」


「区切らせてくれ」


はっきりしていた。


頭の中が白くなる。


「社長……俺、ここしか……」

「結婚も決まってて……式の話もしてて……」

「給料下がってもいいです。なんでもやります。残らせてもらえませんか」


社長は黙って聞き、ゆっくり首を横に振る。


「守れるなら守りたい。だがな、これ以上は無理だ」


白い封筒がテーブルに置かれる。


「長いことやってくれたしな。大した額じゃないが、感謝の気持ちだ」


直人は封筒を両手で持つ。


「……ありがとうございます」


「来月末まで、よろしく頼む」


席に戻り、椅子に座る。


画面には朝の見積書が開いたままだ。

カーソルが点滅している。


数字を打ち込もうとする。

指が動かない。


何を書いていたのかも思い出せない。


十八年。


その数字だけが、どこかに引っかかっている。


電話の音も、キーボードの音も遠い。


何も考えられない。


ただ、画面を見ていた。


――それからの記憶が、ほとんどない。



気づけば、駅のホームに立っていた。


夕方の風が頬に当たる。


ベンチに腰を下ろしている自分に、少し遅れて気づく。


電車が一本、通り過ぎる。

乗らない。


また一本、通り過ぎる。

それでも動けない。


どうやって会社を出たのか、思い出せない。


鞄の中に、封筒がある。


封筒を取り出す。

厚みはある。


十八年だ。

多少は――。


封を切る。


一万円札が十枚。


十万円。


十八年で、十万。


怒りより先に、力が抜けた。


家賃二ヶ月分にもならない。

式の費用なんて、遠い。


だが、ゼロではない。

十万ある。


どうにか、しないと。


ホームの壁に貼られたポスターが目に入る。


【会社に頼らない収入を】

【少額から始める資産形成セミナー】


"会社に頼らない"。


頼っていた。

十八年、何も疑わずに。


少額。

十万。


知識もない。

転職活動もしたことがない。

何から始めればいいのかも分からない。


だが、このままでは終わる。


どうにか、しないと。

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