第一話 味噌汁の匂い
家に帰ると、味噌汁の匂いがした。
「あ、おかえり」
キッチンから顔だけ出して、結衣が笑う。
「ただいま。……今日、ちょっと疲れた」
スーツの上着を脱ぎ、ハンガーにかける。
襟元が少しくたびれている。
そのままソファに沈む。
天井が近い。
壁紙の角が少し浮いている。
もうずっとそのままだ。
「今日残業?」
「うん。人足りなくてさ」
「辞めないでよ?」
「辞めないよ」
靴下を脱いで丸め、テーブルの下に軽く蹴る。
今の会社に入って十八年。
給料は月十六万。
二十五日に振り込まれて、すぐに消える。
「ご飯できたよ」
テーブルには、もやし炒めと味噌汁。
透明なパックに入った惣菜。
赤い値引きシールが斜めに貼られている。
「今日これ安かったんだよ」
「またもやしか」
「文句言わない」
向かい合って座る。
テーブルは小さい。
足がときどきぶつかる。
味噌汁を飲む。熱い。
「ちゃんと貯金しないとな」
「してるよ。少しずつ」
「俺の給料がな……」
「別にいいよ。私も働いてるし」
結衣はそう言って、もやしを箸でまとめる。
テレビがついている。音は小さい。
「ねえ」
「ん?」
「式、どうする?」
「式?」
「結婚式。やるなら考えないと」
「身内だけでよくないか?」
「それ、ドレス代削ろうとしてない?」
「してない。……たぶん」
「たぶんって何」
結衣が笑う。
直人もつられて笑う。
「今日さ」
直人は惣菜をつまみながら言う。
「会社、なんかバタバタしてた」
「どういうこと?」
「上が慌ただしかった。業績、あんまり良くないらしい」
結衣の箸が止まる。
「大丈夫なの?」
「まあ、そういう話はたまに出るし」
もやしを口に入れる。
「でも今回は?」
「大丈夫じゃね?」
味噌汁を飲む。
「毎年なんか言ってるし」
テレビの中では、誰かが真剣な顔をしている。
結衣が直人を見る。
それから小さく笑った。
……そっか。じゃあ大丈夫だよね」
「うん」
もやしを口に入れる。
うまい。
結衣が、少し間を置いた。
「……私、もっと稼げるようになれたらよかったね」
「何が」
「なんでもない」
テレビの音だけが流れた。
「お風呂、先入る?」
「どうぞ」
浴室のドアが閉まる音。
テレビの音だけが残る。
直人はソファに横になる。
天井を見る。
何も考えていない。
目を閉じる。




