第20話 夜の森と侵入者
* * *
夜、寮の自室で私は放課後のことを思い出し、頬を緩めた。そのとき、聞き慣れた声がかかる。
『楽しいことがあったようだね、リーゼリア』
《大精霊エリュシオン》だ。私は振り返り、自身と同じ白銀の髪を視界に写す。
「皆が私のために、歓迎会を開いてくれるんだって。それを聞いて、楽しみだなって思ったの」
『それは良かったね。最近のリーゼリアは毎日が楽しそうで、私も嬉しいよ』
《大精霊エリュシオン》とはいつも日課のように、その日の出来事を寝る前に話していた。何があったか、何が楽しかったか、そういう私が感じたことを一緒に共有する時間を《大精霊エリュシオン》は一日の最後として楽しみにしていた。
『勉強のほうはどうだい? 私もたまに授業を見ている時があるけど、つまらないと感じるものもあってね。魔術に関しては特にそうだ』
「勉強は特に問題ないよ。精霊であるエリュシオンからすると、人間が扱う詠唱付きの魔術は非効率に感じるんだよ。でもそれが人間にとっては当たり前だから」
無詠唱魔術を扱えるのはごく一部の魔術師だけで、その魔術師すらも無詠唱で魔術を行使できるのは得意魔術に限る。私のように元からの素質があり、《大精霊エリュシオン》のような大精霊クラスと契約することができれば、幅広く無詠唱魔術を扱えるようになるが、今の時代に私を除いて、そんな魔術師は存在しないだろう。
過信になるかもしれないが、そう言い切れる自信がある。だって、大精霊クラスでしかも聖霊王と契約してるんだよ? それに《七星の塔》ですら高位精霊との契約でいっぱいいっぱいなのだから。
『それもそうか。それより、今日も行くのかい?』
私は部屋着の上にローブを被り、顔を隠した。そしてエリュシオンの問いに答える。
「うん。多分、集めた数からして今日の夜だと思うから」
『リーゼリアがここに来た意味がとうとう発揮されるね』
「そうだね。でも、フラムさんや国王陛下の考え通り、私がここに来たのは正解だったみたい」
私はいつもと同じ寝る時間帯に部屋の明かりを消す。窓から差し込む月明かりだけが、その場を僅かに照らしていた。
窓を開けた私は夜風でローブが揺れるのを感じる。そして、認識阻害の魔術を自分にかけると、躊躇することなく一気に窓から飛び出した。
『ははっ、いつもリーゼリアは大胆だなぁ』
「勢いつけた方が逆に危なくないから」
自由落下で地面に落ちる前に私は浮遊の魔術で体を浮かす。そのまま夜空へと飛翔し、私は寮の周りを一周するように夜の空中散歩を楽しむ。
これが結構楽しいのだ。
月明かりは足元の空気を淡く照らし、夜空に道が引かれているように感じる。眼下には所々に学院に設置されている灯が星の群れのように散り、少し見上げた先にある雲の縁だけが白く浮かび上がっている。
視線の先にある学院は静かに月光を受け、昼とは異なる輪郭を夜に刻んでいた。空を歩いているという感覚より、月に近い場所から世界を眺めている感覚のほうが強かった。
だから、私はこの時間が好きだ。
寮の部屋の明かりが何ヶ所がまだ付いているが、日付が変わるのもあと少しだ。時期に全ての了解の明かりも消えることだろう。
『リーゼリア、東側だ』
「うん、分かってる」
この時間が好きだが、残念ながら今日はこの後に予定があるのだ。私は名残惜しい気持ちになりながら空中を移動していく。
ところで、学院の敷地内には小さな森のような木々が生茂る自然豊かな場所がある。私も昼間の明るいうちに何度か行ったことがあるが、木漏れ日に当たりながら過ごすその時間はとても意心地がいい。
けれど、その場所に真夜中とも言える時間帯で私は向かおうとしていた。学院の姿は少しずつ遠ざかり、月明かりに縁取られた木々の影が進路の先に浮かび上がった。
私は静かに森を見下ろした。
やがて、音もなくその場に降り立ち、私は森の中を見つめる。そして森から出られないように片手間で結界を張ると、静かに足を踏み入れた。
サク、サク、と私の足音と夜風に揺れる木々の音だけが夜に響く。木々から差し込める僅かな月明かりだけが足元を照らしている状況だ。
静かな森の中を一言も発することなく進んでいくと、視線の先に捉えたものに目を眇めた。
「───見つけた」
その声は風と木々の揺れる音によって、夜に消えていった。
* * *
深くフードを被った男は王立魔術学院 《ルミナリア》に位置する小さな森の中にいた。
「あとは、この術を完成させれば……」
男はこの一週間、とある魔術を発動させるために地道に学院内に仕掛けを施していた。学院を中心として五芒星を描くように魔術式が書かれた陣の札を各所に張り、丁寧にその存在を魔術で隠していた。
そして今日、最後の札をこの森の中に仕掛け、完成させることで魔術が発動する。夜な夜な人目を忍んで動いていたかいがあったというものだ。
男はフードの下でニヤリと笑い、最後の札に魔力を込める。
「これで、《鍵》の存在が明らかになる―――」
男はこの場所を含めた五箇所に仕掛けた札が共鳴するのを感じた。そのまま札は魔力で繋がり、学院を中心として大きな五芒星が描かれる。
―――そのはずだった。
「……は? なぜ、術が……」
共鳴していた札が突如として消えたのだ。そして描かれるはずだった五芒星も消え、男が持っていた札に込められていた魔力も幻のように消えてしまっていた。
目の前で起きている出来事に理解ができない男は酷く狼狽える。フードの下では顔面蒼白という言葉が似合うくらいだ。
「な、なにか問題があっただけだ。もう一度やれば……」
再び魔力を込めようとしたそのとき、男の背後でパキりと枝が折れる音が聞こえた。その音に男は勢いよく後ろを振り向いた。
「夜の散歩って、いつもと違った景色で美しく感じませんか?」
そこにはローブを被った15歳程度に見える少女がいた。一切感情を感じない平坦な声は不気味なほど、この森の中でよく響いた。
男はいつから少女がそこにいたのか、なぜここにいるのか、疑問ばかりが浮かび上がり、上手く言葉を発せない。けれど少女は関係なく言葉を紡ぐ。
「特に、月明かりが微かに差し込むこの場所は」
少女の口元だけが僅かに見えるも、笑っているはずなのに変わらず冷たい声色に男は薄らと寒気がする。それに加え、ただの少女がこの時間にこんな場所にいるはずがないという即座に導き出した答えにも男の冷静さを奪っていく。
「……い、いつからそこに……」
「さあ、いつからでしょう。でも、あなたがコソコソと何かをしているときから、私はここにいますよ」
その言葉に男は目の前にいる少女が自分の目的を知って、この場所にいることに気づいた。ただの散歩ではない。目的を持って、少女はこの場にいる。
それが分かると先程までの慌てぶりから一転、男はスっと冷静さを取り戻した。
本来ならば、まだ騒ぎを起こすタイミングではない。学院の生徒にも危害を加えずに様子見ということで抑えるつもりだった。
しかし、そんなことを考えていては目の前の少女を対処することなどできない。
(たまたま居合わせた訳じゃない。この少女には、何かある)
警戒を滲ませた男の態度に少女は肩を竦ませた。
「……まあ、警戒されるのは当然ですよね。それよりも、あなたの目的は一体なんですか? 学院内で、随分と好き勝手しようとしていたみたいですが」
少女はそう言うと、男が持っている札と全く同じものを懐から取り出して見せた。その数は4つで、それを見た男はフードで見えなくとも酷く狼狽えているのがわかった。
「……そ、それをどこで……。いや、なんでお前がそれを持っている……っ!」
「驚きました? 一週間かけて、地道に仕掛けていたようですしね」
少女は4枚の札を宙へ投げ捨てると、簡単な火の魔術でそれを燃やし消した。炭も風に乗って消え、その場には何も残らない。
「あなたが発動させようとした魔術は、私のダミーによって発動したように見えていただけ。だから、何も起きなかったでしょう?」
「ダミーだと? あれはただの学生ごときが模倣できるものではない! それに札を隠すことだって、並の魔術師には見破れないようになっているはずだ!」
その言葉に少女はクスクスと笑う。
「ただの学生ごとき、ですか。随分とまあ、お粗末な魔術ですね。ただの学生ごときに、見破られるなんて」
「っ、貴様ァ……!」
「何をそんなに怒っているんですか? 事実を言ったまでですよ」
少女の態度と言葉に男は持っていた札をぐしゃりと握りつぶした。
* * *
ローブを着た謎の少女として登場した私は驚くほど滑らかに言葉を発し、相手を苛立たせていた。けれど、わざと相手を苛立たせるように発言しているのだ。
だって、誰だって面倒ごとが起きるのは嫌でしょ? それに大切な友達が危険に晒されるかもしれない事実も嫌だ。
目の前の男も私の言葉で苛立っているようだが、私だって苛立っていた。
「それを握りつぶすほど、私はあなたに不愉快な態度を取ってしまっているということですね。では、あなたがしようとしていたことに対して、私も不愉快に感じていたので、これでおあいこです」
パチンと手を合わせ、私はローブ下で薄く笑う。
「中々に面倒だったんですよ。仕掛けられた札を一枚一枚回収しながら、あなたにそれを気付かれないようにするのは。札だって、お手本そっくりに私が作り直して、わざわざあなたが魔術を発動させた時に成功したと錯覚させるために札に残っていた魔力を元に再現するのは」
私はそれを思い出し、疲れたように息を吐く。
実際、私は回収した札をダミーの札と入れ替え、また同じように札の存在を隠蔽した訳だが、一気に回収すると誤作動を起こす可能性があり、一枚一枚回収するしかなかったのだ。無効化の魔術により、札の効力を無効化するのは簡単だったが、それ以上に元と同じように作り直す方が大変だった。
生徒会での手伝いの後、私は夜な夜な寮を抜け出して影で色々動いていたのだ。是非とも誰か私を褒めて欲しいくらいだ。
それはそうと、私は件の男に視線を移した。
「―――そういえばこの魔術、珍しいものですよね」
「……っ」
「ルシエル王国では、私は見たことがありません」
男が発動させようとしていた魔術は私としても実物を目にするのは初めてのものであった。ただ本を読み、その存在は知っていた。
「これは隣の国、アルスフィア帝国に古くから伝わる魔術ですね。対象を探し出すための魔術で、対象が見つかれば共鳴し、封印もしくは抹殺の魔術が発動するもの。けれど、私が知っているものとは少し術式が違っていました」
ちらりと私は男を見るが、俯いて手を強く握りしめているだけでこちらを見ようともしない。その様子に私は呆れる。
「まあ、術自体はあまり興味がないので、詳しく読み取ることはしませんでしたが」
私はそこで言葉を止め、真っ直ぐに男を見つめた。男は私の真意を理解したのか、ギリッと歯を噛み締めながら、私を睨み返してきた。
その姿は今に私を殺さんとする勢いだ。けれど、私だって易々とここで下がるわけにはいかなった。
護衛として学院に潜入している私は、護衛としての役割を果たさなければならい。
私は言葉の続きを告げた。
「―――あなたはその魔術で、いったい誰を狙っているんですか?」
夜の森に私のその言葉はよく響き、空気を重くした。
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