3.
時期外れのひまわり畑は、どうにもうら寂しい場所だった。
広大な敷地にびっしりと植えられたひまわりは、圧巻の一言だ。が、あの鮮やかな黄色を知っているだけに、全体的に茶色に沈んだ花の様子は、司の胸に虚しさを呼び起こした。
「司―、あったよー」
間延びした声で呼ぶのは、例の吸血鬼だ。マントの端を振って、畑の真ん中の位置から司に合図を送っている。
「嘘だろ……。もう、見つけたのか?」
司たちが探しているのは、写真に写っていたひまわりそのものだ。この何十、何百あるかわからない花の中から、たった一つの花を探すという。そんな干し草の山から針を探すような難題を、吸血鬼はあっという間にクリアしたらしい。
半信半疑で近寄った司は、写真と目の前のひまわりの花を見比べてみた。しかし、何度見直しても、まったく同一だと断言するほどの自信は持てなかった。
「ん? もしかして疑ってる? よく見てよ。どこからどう見てもこれだろ? その後ろの三つの花の位置関係、背後に見える民家と木の位置。何より、種の数が同じだろう」
「――その、種の数って?」
公園でも言っていた。ひまわりの種の数が違う、と。それは一体どういうことなのか。
訝しげな司に向かって、吸血鬼が胸を張った。
「ひまわりの種はね、人間の言うフィボナッチ数列で表せるんだよ」
吸血鬼は、その場から三つのひまわりを選んで説明した。
彼が言うには、ひまわりの種の並びを左回りの渦として見ていくと、一番小さいひまわりには二十一列、右回りの渦として見ると三十四列あるという。中間の大きさのものだと、左回りが三十四列で、右回りが五十五列。一番大きいものになると、左回りが五十五列、右回りが八十九列あるらしい。
二十一と三十四を足せば五十五になり、三十四と五十五を足せば八十九になる。そのような並びの数字を、フィボナッチ数列と呼ぶそうだ。
「だから、この一番大きいひまわりは、左回り五十五列と、右回り八十九列のはずなんだ」
「そ、そうなのか……」
理由は分かったが、それをすぐに見抜けたのはどういうことだろう。
吸血鬼の能力なのだろうか。人間とは違って、視力がめちゃくちゃいいのかもしれない。
「つまりだね。右回りと左回り、どちらがどのくらい多いか数えていけば、このひまわりに隠された謎が判明して――」
「――あ、見つけた」
吸血鬼が講釈を垂れている間に、司は一つの種を見つけて引っこ抜いた。得意げに人差し指を振っていた吸血鬼が、仰天して目を剥いた。
「う、嘘だろ! 今の時間で、全部数えたっていうのかい!?」
「いや、そんなことしなくても、自然じゃない変な種が混ざっているってことなら、ざっと見ればわかるんじゃないかなって」
そう思って目を凝らしたら、接合の跡がある種を見つけたのだ。一度半分に割ってから、再び接着剤でくっつけた痕跡のようだ。
わざわざ張り合わせたということは、中身に仕掛けがあるのかもしれない。どうやって割ろうかと考えていたら、地団駄を踏んでいた吸血鬼が、パキッと手で割ってくれた。
「さ、サンキュ……」
「これくらい、吸血鬼だからできる!」
よくわからないが、何か張り合われている。恨めしげにひまわりと司を交互に見ている吸血鬼が気になったが、優先順位は種の方が上だ。司は種を開いて、中から出てきた折りたたまれた紙を、慎重に爪の先で開いていく。
「――でも、これが残ってるってことは、あいつ、気づかなかったのか……?」
状況から考えて、沙耶の仕業に違いない。しかし、この細工に気づいたのは司が最初のようだ。これはどういうことなのか。
「そんなのいいから! ね、何だった、何だった!?」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
司は吸血鬼に見えないよう、さりげなく体をずらした。そして、少しだけ開いて中を見て――青ざめた。
「――っ。うそ、だろ……?」
「――え!? なんてなんて!?」
覗き込もうとした吸血鬼の目の前で、手紙をぐしゃりと握りつぶす。「わっ!?」と声を上げた吸血鬼の姿は、もう目に入らなかった。
――今すぐ、彼女たちを連れ戻さなければ。
「ちょ……っ、どこ行くんだよ!?」
いきなり踵を返した司に向かって、吸血鬼が手を伸ばす。しかし司は、その腕を払いのけた。
「うるさい! それどころじゃないんだ。あいつ……っ、こんなの、誘拐だ! 見つかる前に、なんとかしないと――!」
「…………」
司の言葉は支離滅裂だった。完全に、頭に血が上っている。
吸血鬼は仕方なく口を開け――、司の腕に、かみついた。
「――ぎゃあっ!?」
「――おや……?」
牙を突き立てた吸血鬼は、一瞬、目をぱちくりさせた。それから、司が振りかぶったもう片方の腕を、ふわりと後ろに飛んで避ける。
「な、な、な……、何するんだ!?」
「何って、ちょっと血ぃもらっちゃった。君、血の気が多いみたいだから」
可愛らしく両手を組み合わせ、こてんと首をかしげてみせる。
司はおそるおそる腕を見た。血は止まっているようだが、しっかりと二つのキバの跡がある。司はカッとして怒鳴りつけた。
「ふざけるな! 血は、依頼が終わった後って言っただろ! ――ていうか、ほんとに吸血鬼だったのかよ!」
「なんだ。信じてなかったのかい? まあいいじゃないか。ちゃんと気を遣ってあげたんだから。そこ、肘窩っていってね。献血とか採血とかする時に針を刺す場所だよ。首とか手首から吸っちゃうと、日常生活に支障があるだろ?」
「……っ、そういう問題じゃない!」
「あれ、もうちょっと飲んだ方がよかったかな?」
吸血鬼はぺろりと舌なめずりをした。司はぎょっとして後ずさる。
「まあ、いいや。とにかく、血はもらっちゃったから、対価として行きたいところに連れて行ってあげるよ。今、どこへ行こうとしてたんだい?」
「……っ」
「言いたくないのかい? なら、交渉しようか。――実は、不自然な種はもう一つあった」
「――えっ?」
司が目を見開くと、吸血鬼は爪の長い指で、ひまわりの種を目の前につまんで見せた。
「このひまわり、種は二つ、多かったんだよ。そして、この種の中身はこれだ」
そこには、司の持っている手紙と同じ筆跡で、こう書いてあった。
――『私は、あなたと幸せになりたい』。
「……!」
司の顔から、表情が抜け落ちた。頭の整理がつかないのだろう。だらんと腕を落とし、口を半開きにして文字を見つめている。
吸血鬼は笑って、ばさりとマントを広げてみせた。
夕日が落ち、群青色が空を覆いつくしかけた逢魔が時。古くから生きてきた化け物が口を開き、鋭く伸びた牙を見せる。
「――さあ、種明かしをしてもらおうか。種だけに! ……お嬢さん?」