1.
「――おい。まさか、まだ寝ているのか?」
学園への登校時間になっても出てこないのを不審に思い、声をかけてから部屋のドアを開けた。
重厚なドアの向こうには、大量の服や箱で埋め尽くされた床が広がっていた。キャビネットにはコレクションと思しきものが乱雑に積まれており、一部は崩れ、床の山と同化している。その雪崩はベッドの上でも同様で、人のくつろぐスペースなど無いように見える。
相変わらず汚い部屋だ。
しかし、肝心な部屋の主の姿がどこにも見当たらない。雑多な部屋を見渡していると、ふと、机の上の封筒が目に入った。
その一角だけが、きれいに片付けられている。足元の荷物を蹴りながら机に近寄って、封筒からはみ出ているものを手に取った。
それは、一枚の写真だった。自分にも覚えがある、昔の思い出の――……。
ハッとして、舌打ちをする。
「――チッ。あのバカが……!」
それでもいらだちは抑えきれず、机を力任せに叩きつけた。
☆
――こんな噂がある。
ビル街に隠れた寂れた公園に、一匹の化け物が棲んでいる。その化け物は、貢物を捧げると、一つ、願い事をかなえてくれるという。
「……と、いうわけで、持ってきてみたんだけど。これでいいのか?」
午後五時。途中で店に寄って買ってきたスイカを、少年は、よく見えるよう持ち上げてみせた。
小さな公園だ。砂場やベンチ、あとはお粗末程度にブランコが設えてあるだけの、魅力のない公園。ただでさえ古い住宅や空きビルに囲まれていて人気がないというのに、おかげでより一層、打ち捨てられた印象を与えている。
しかも、木の林立する一角があって、そこが周囲からは死角になっていた。犯罪を行うにはもってこいの場所だが――、どうやら公園の端にあるそこが、彼の者の住処のようである。
木々の葉の隙間から、化け物がじっと目を凝らしている気配がした。
夕方になっても、未だじりじりと照り付ける太陽の下で、彼は待った。わずかでも日差しを避けようと、大きめのキャップのつばを下ろした。透き通りそうなほど白い肌にまとわりつく、湿度の高い空気が不快だった。
しかし、しばらく待っていても、次の反応が返ってこない。
「――あの……」
しびれを切らしてもう一度話しかけようとした時、はあ、と大きなため息が聞こえた。
「だめ。失格。そのスイカは普通のスイカだろ?」
「……は?」
彼は間抜けな声をもらした。普通でないスイカとは、一体どんなスイカなのか。
いや、それより、意外に若い声だった。しかも、流暢に人間の言葉を話している。
想定とは違う反応に驚いていると、ようやくそれは木陰から姿を現した。化け物の姿を見てとった彼は、さらに目を丸くした。
泥の塊のようなおどろおどろしさなどなく、巨大なクマのような怪物でもなく。
それはまるで――。
「――吸血鬼っ!?」
「お。よくわかったね?」
きょとんとしている化け物は、ほぼ人間と変わらぬ姿かたちをしていた。
きれいなアーモンド形の目は青色をしていて、黄味がかった金髪を赤いリボンで一つに縛っている。人間でいえば彼より少し上――、高校生くらいか。吸血鬼だと思ったのは、仰々しい赤と黒のマントが、以前見た映画の登場人物に似ていたからだ。
「それに、なんでここに来られたんだい? 若者向けに、モスキート音を発生させてるのに」
「モスキート音? ――ああ、これのことか」
そういえば、さっきから、蚊の羽音のような嫌な音がしていた。確か、若年者にしか聞こえない高周波音のことだったか。耳鳴りのようで気にはなるが、彼にはそんなことには構っていられない事情があった。
しかし、モスキート音とは。
「それは……吸血鬼だけに?」
「そう。吸血鬼だけに」
吸血鬼は、至極真面目な表情でうなずいた。
「だから、若者は入って来ないと思ってたんだけど。これが効かない人間には、いちいち催眠術を掛けなくちゃいけないんだよね」
どうやら吸血鬼は、人間を避けているらしい。このままでは追い払われるかもしれない、と思った彼は、急いで本題に入ることにした。
「それより、助けてほしいんだ。貢物をすれば、願い事をかなえてくれるんだろ?」
「ええ? そんな噂になってるの? でも、さっきも言ったけど、それ、ただのスイカだろ。僕が探しているのは、人間の血がたっぷり詰まったブラッドメロンなんだよね」
「ブ……ブラッドメロン!? そんな不気味なものがあるのか!?」
血が詰まったスイカだなんておぞましいもの、一度も聞いたことがない。
「いや、まだないけど?」
吸血鬼はこともなげに言い切った。
「でも、きっと今からできるんだよ。だって、スイカは砂漠のなけなしの水分をかき集めて、あんな大きな水の塊になるんだ。これからもっと進化していけば、水の代わりに地面に浸みこんだ血だけを集めたスイカができるに違いない! 僕はその進化のスピードを速めるために、日夜、情報収集と実験に励んでいるんだよ!」
砂場を指さしてうっとりとしている吸血鬼に、彼は冷えた視線を送った。
「……なんでそんなことをする必要があるんだよ。普通に映画みたく、血を飲んだらいいじゃないか」
「今の時代、下手に血を吸っていたら、傷害罪とかでつかまっちゃうんだよ。最近は特に厳しくて、女性の肩をつかんだだけでヘンタイ扱いだ」
それはそうだろう。彼は心の中でうなずく。
「じゃあ、今まではどうしてたんだ?」
「そりゃ、献血ルームで隙を見て、取りたての血をこっそりいただいたりとかさ」
「へえ? それこそ、窃盗罪とかでつかまるんじゃないか?」
「あっ! だ、誰にも言わないでくれよ、秘密なんだから!」
吸血鬼は難しい顔をして人差し指を口元にあてた。次いで、誰もいない公園へ鋭い視線を投げまくる。
「……ふう。誰にも聞かれてないな……。――よし。とにかく、ただのスイカじゃ栄養にならないんだよね。だからはい、帰った帰った!」
吸血鬼に追い払われそうになり、彼は慌てた。このまま帰るわけにはいかない。どうしても、願いをかなえてもらわねば。
「じゃ……じゃあ、俺の血をやる! ちゃんと加減してくれるならな!」
「えっ、いいの!? やった! ――あ、でもなあ。僕、男の血より、女の子の血の方が好きなんだよねえ」
「~~~っ、わかった! じゃあ、姉が無事見つかったら、そいつの血をやるよ!」
声を絞り出すようにしてそう言うと、吸血鬼は諸手を挙げて喜んだ。そうして当然のような仕草でスイカを奪い、バリバリとむさぼり始める。
「……スイカも、食べるんだ……」
「うん。のどが渇いたからね!」
完食まで、わずか三分。貴族然とした見かけと裏腹に、豪快な食べ方である。
吸血鬼は口の周りについたスイカの汁をぺろりとなめとると、「それで?」と続きを促した。
「無事見つかったらってことは、そのお姉さんを探してほしいってことでいいのかな?」
「! そ、そうなんだ!」
彼は、気を取り直して説明を始めた。
姉の名は、日堂朔。金持ちの子弟が通う芙蓉学園中等部の二年生だ。彼は、その弟で日堂司。朔とは一卵性の双子で、親でも見分けがつかないくらいうり二つの容姿をしている。
「へえ。君にそっくりなら、相当な美人なんだろうねえ」
うきうきしている吸血鬼に対し、司は鼻を鳴らした。
「実は、友人のお嬢様も行方不明なんだ」
姉の失踪に気が付いたのは今朝のこと。友人である沙耶との連絡が途絶えたのは、それより少し遅れて昼前のことだった。
「ふうん。失踪した原因は?」
「わからない。沙耶が先月引っ越して、寂しくなったからかもしれない。――机の上に、この写真があったんだ」
司が差し出すそれには、ひまわり畑が写っていた。しかし、花自体は枯れている。花びらに囲まれた真ん中の部分に種がびっしり詰まっていて、そのいくつかがアップになっているものだった。
「……ここ、小学生のころ、よく三人で連れて行ってもらったひまわり畑なんだ。行き先の手掛かりかと思って、持ってきたんだけど――」
吸血鬼は、その写真をじっと凝視した。
「――このひまわり、ちょっとおかしいね」
「えっ?」
「種が多すぎる」
司は改めて写真を見てみたが、どのひまわりのことを言っているのかわからない。
「まあ、実際に見てみようじゃないか!」
問い返す暇もなかった。司は吸血鬼に引っ張られるようにして公園を出たかと思うと、気が付いたら電車の中で彼と肩を並べていた。