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34. その本を開く時


絶え間なく降り注ぐ雨音が家中に反響していた。

雨はまだ勢いを増している。


階段を下りていくとキッチンに二人分の足が見えた。

先ほど同様レイとヒスイが揃っているようだ。

さらに数段下ると、エマの足音に反応してヒスイがキッチンから声をかけた。

「エマ、具合は悪くない?急に2階に上がっちゃったからどこか悪いんじゃないかって今レイと、も…」


言いかけてキョウの姿を認めるなり、二人はぎょっとした顔をした。

まだ城にいるはずの主人がいつのまにか帰宅していたうえ、全身ずぶ濡れなのだから無理もない。

しかしキョウ当人は全く気にした風もなく開口一番帰宅を告げた。


「ただいま帰りました。」


「…いやいやいや、」と、ヒスイは額をおさえ、その横でレイは半ば条件反射で「お帰り」と返した。

間もなくヒスイが声をあげる。


「なんでずぶ濡れなの!魔法は!?」


その問いに、キョウは窓に目をやり諦めた声色で静かに言った。


「...魔法はしばらく使えませんよ。この雨がやむまでは。」


「使えないって…まさか、」


「エマの特訓の成果も見たかったんですが、もう少ししてからですね。」

エマに視線を移すと、その小指に光るリザドールを確認した。

「あの、魔法が使えないって...?」


「”雨の魔女”か?」


レイの声だった。キョウが頷く。


「お陰でこのような有り様です。」


彼らは互いに顔を見合わせ、なにか思案していた。

エマが声をかけようとしたところで、ヒスイがあっと声をあげる。


「って、ことはお風呂沸かすのにも魔法使えないじゃない!あれ使うの久しぶりだから色々準備しないと...レイも手伝って!」


そう言って、ヒスイは慌ただしくその場を後にした。が、すぐに戻ってきて顔だけを見せると


「それまで暖炉にあたってて!エマ、拭くの手伝ってあげて。」


と言い残して去っていった。


返事をする間もなく取り残され呆気にとられているエマに再び笑いが込み上げてくるのをこらえて、キョウはエマの手を引いて暖炉へと向かった。


暖炉の前にはすでにヒスイかレイが用意してくれたらしいタオルが積まれていて、エマは暖炉の前に座ったキョウにも一枚手渡した。


「あの、服だけでも着替えた方がいいんじゃ...」


近づいて改めて、元々黒いシャツがもう一段黒くなるほど服も水を含んでいるのがわかり、エマは至極当然な提案をしたのだが、言い終わるより先にキョウの微笑みの奥に「面倒です」と顔に書いてあったので続きは飲み込んでしまった。

多分そもそも隠す気がないのだろうけれど、それを抜きにしてもキョウの表情はわかりやすい。

観念して雫が絨毯にじんわりと染み込み始めている毛先の辺りから吹き始める。


(ほんとうに長くて綺麗な髪…)

透けるように白くて、細くて、柔らかい。

キョウは前髪や根元を拭いているがその間にも十分な長さがあるため毛先が引っ張られることがない。


前方から当たる暖炉の乾燥した熱気とタオルをもってしても、お湯の準備が整うまでに一区切りつく気がしなかった。


ぱちぱちと時々薪がはぜる音と、くぐもった雨音以外聞こえない室内で、不意に黙っているのがもったいないような気になって エマは口を開いた


「 あの、"雨の魔女"って?」


先ほどレイが言っていたこの雨の原因だ。

"魔女"と言うからにはきっと13大の魔女のことなんだろうと見当がつくけれど。


「13大の魔女の第1席ですよ。 13代の魔女の中でも、2番目に名の知れた魔女です。その雨のおかげで我が国は飢饉や干ばつを逃れられているので、魔法を使わない国民にもよく知られているんです。」


確かに、図書館で読んだ歴史や特産品の本にも、水不足による不足やそれらしき記述は見たことがない。代わりに、"国の施策で予想された災害を回避"という記述が時々出てきた。

もしかしなくても、この事だったのだ。


「 あれ、我が国ってことはもしかして…この雨は国全体に降っているってことですか?それも、1人の人間の魔法で!」


だとしたらとんでもない魔力量だ。

国を覆うほどの魔力干渉、正直想像もつかない。

もしもそんな相手が敵になってしまったらと考えると、ぞっとする。そんな私の考えを読んでか、キョウが補足する。


「 安心してください。雨の魔女は、代々王家に絶対の忠誠を誓っている魔女です。それも最も強力な誓約魔法で。その代わりとして誰にも正体を明かさず、学園への入学も自由、加えて生活の保証に身分の自由をも約束されている特別な存在なのです。

だからなのか、雨の魔女に適性を持つものは決まって誰かに縛られるのが苦手で、自由を愛し、そしてこの国を愛する者と決まっているのです。」


そうか。魔女の資質にはそうした性格や考え方も含まれるのか。

いったいどうやってその適正をもつ人間を見つけ出しているんだろう。そして、他のそれぞれの魔女はどんな人間なのだろう。

持ち前の好奇心で、エマの思考が脇道へ逸れかけているところへ、キョウは何気ない声で続ける。


「ただ、今代の雨の魔女は少しいたずらがすぎますがね。」


「会ったことがあるんですか ?」


正体不明の雨の魔女だ。興味がわかないはずがなかった。

雨の魔女だけではない。魔法の習得を開始してわずかながら、エマはその研鑽の果てしなさ、そして魔法を使う上での制限と、同時に無限にも思える応用の可能性をまさに感じ始めているところだった。

そのうえで、13大の魔女という規格外の魔法使いの存在は敵味方関係なく、純粋に強い関心の対象となっていた。


「少し、縁が。」


エマのきらきらとした勢いに圧され、答えてからキョウは少し笑った。

ただそれ以上は話さず、敢えて濁した意図を汲んで、エマは追求したい気持ちをぐっとおさえ、質問を変えることにした。


「あの、それでどうして雨が降ったら魔法が使えなくなるんですか?」


そうですね、とキョウは少し思案し、言葉をまとめる。


「雨の魔女が降らせる雨は、魔法を使える者にとっては物体としての雨よりも、自身の魔力を乱す、つまり自身の魔力に干渉してくる実体をもたない雨の方が大きな意味をもっているのですよ。」


「実体をもたない雨?」


「ええ、雨の魔女が雨を降らせている間、それは屋根や傘で防げる水の雨とは別に、今この部屋の中にも"物体としての実体をもたない雨"が降り注いでいるのです。エマ、試しになにか魔法を使おうとしてみてくれますか。」


言われた通り、いつものように体を巡る魔力を探る。

けれど、その流れがぐちゃぐちゃで、あっち行ったりこっちへ行ったりして行き先が揃わず、全然言うことをきかない。

結局、体の外へ魔力を出すことすらできなかった。


「できない…です。」


キョウは静かに頷いた。


「こればかりは触媒体質であろうと、13代の魔女であろうと抗うことはできません。 ただし、13代の魔女の、一人一人が持つその特殊な魔法だけは、各々の13大の魔法に拮抗すると言われています。もちろん術者の技量などによって多少の差はありますが。」


それだけ、13大の魔女の魔法が強力だということなのだろう。


「それって…今望遠の魔女が 私たちを探そうとしたら場所がすぐに分かってしまうっていうことですか? 」


「いえ、ここを隠す魔法はすでにかけてあるものです。今 新たな魔法が使えないだけで魔法全てが影響を受けているわけではありません。」


そうか。そうでなければ今頃国中が大混乱になっているはずだ。

だけどそうはなっていない。

私達もみつかることはない。


(ああ、そうか。)


そして、それはきっとそういうことなのだ。


「エマ?」


黙ったままの私に振り返ったキョウは心配そうに私の顔を覗き込んだ。そこにいるのは、いつも通りのキョウだ。

私を正面から受け止めてくれる、優しいキョウだった。


(いけない、手が止まってた。)


エマははっとして首を振ると、再び好奇心に満ちた様子で疑問を投げた。


「でも、 そんなすごい魔法 を持っている 雨の魔女が2番目だなんて、1番目有名な魔女は 誰なんですか?」


きっと、もっと強い力を持っていたり、恐れられていたりするのだろうか。他にはどんな魔女がいるのか少しでも知りたかった。


「その魔女は第4席、便宜上 "ことわりの魔女"と呼ばれています。」


「便宜上って?」

ということは実際は違うのか。あるいは…


「第4席については、ほとんどその魔法についての文献が残っていないんですよ。」


「…それなのに1番有名なんですか?」


「私達が使っている数字、時間、単位、暦、料理や挨拶、ことわざ、社会の仕組み、その多く彼女がもたらしたものがもととなっています。

例えば、図書館を発明したのも第4席ですよ。」


「!」


つまり、普段当たり前に思っていたことの多くが第4席のもたらしたものだったということだ。

他の魔女とは異なる格の違いにやはり魔女の影響力の強さを思い知らされる。


「ただ、その魔法についてだけは一切謎で、一説では彼女は魔法が使えなかったなんて主張する研究者もいるくらいです。」


「えっ」


「あくまで一説です。なにしろなんの魔女かもわかっていないくらいですから。」


「それでも、第4席なのですね。」


「まあ彼女に限らず詳細が不明な魔女は少なくありません。国の機密事項だったり、文献がなかったり、あとは、知らない方がいい魔女も。」


「知らない方がいいって?」


「知ってしまうだけで身に危険が及びかねない魔女もいるのです。魔法でも同じように、知るためにある程度資格や資質が必要な、それ以外の者が扱うと危険なものがあります。」


「知るだけでも、ですか?」


「魔法の勉強にはどうしてもそう言った制約がつきまとうものです。だからこそ学園が存在しているのです。

なので、必要な資格を満たすまでは見つからないよう図書館などでも魔法の本には特に厳重に魔法をかけています。」


そうか。だから、あれだけ毎日色々な本を読んでいたのに魔法に関する本だけは"みつからなかった"のか。

資格があるかないかは、みつかって初めて知れることなのだ。


だったら、これを訊ける機会は今しかないかもしれない。


「あの、」


意を決してエマはその質問を口にした。




「知らない方がいいことの中には、キョウが13大の魔女だということも含まれていますか?」





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