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29. 迷子


「と、いうか私…さっきリザドールなしで外に出てしまいました。」


手元に視線を落とすと、リザドールが控えめに陽光を反射している。


これがない状態で外に出ている間、望遠の魔女に見られてしまったのではないか。

気が気ではなかった。


しかし、2人は顔を見合せ、ヒスイが言った。


「敷地内だったら家の外に出ても大丈夫だよ。」


「え?」


「家の回りを囲む柵があるでしょ?あれより先が"外"。」


(き、聞いてない…)

拍子抜けしてその場にへたりと座り込む。


「ごめんね。キョウも僕らも誰も言ってなかったんだね。」


「いえ、それならよかった…です。」


申し訳ないついでに、ヒスイは人差し指を立てて提案した。


「せっかくだし、ちょっとその辺一緒に散策してみる?といっても森ばかりで面白いものもないけど。」


「マッシュポテトは…」


「後片づけもやんないとだから、ちょっと休憩も兼ねてってことで!ねっ。」


「ま、体力もつけないといけないしな。」


魅力的な誘いに胸を踊らせ、エマは二人に差し出された手を取った。



森の中は土の上を落ちた小枝や枯れ草が新旧混ざりあい重なっていて歩くたびに靴越しに心地よい感触があった。

土や草木からはよい香りがする。

木々のすき間から差し込む光も心地いい。



裸足で逃げ惑ったあの日と同じ森だとは思えなかった。


「いい天気だねー」


「午後からの練習も外でやった方がいいんじゃないか?その方が何かあっても対処しやすい。」


レイは先ほどのじゃがいもの一件もあって、エマが魔力の操作に慣れるまでは自分もサポートとして付き合う気でいた。


「そうだね、いい気分転換にもなりそう。エマもその方が…って、あれ、エマは!?」


先ほどまで一緒にいて話をしていたはずのエマの姿はそこにはなかった。知らぬうちにはぐれたのだ。




森の中を一歩一歩進むうち、体が自然の中に解けていく感覚があった。


なぜか外に出てからずっと"こっち"だ、という意識があった。

何かに操られている感覚はない。

ただ、この感覚の先に自分の目的があるような確信があるのだ。


「…こっちかな。」


ずっと、ひっかかっていたことがある。


まず、レイが時折家の近くで襲ってきた獣を返り討ちにしている事実。

キョウのかけた"邪な考えを持つものには侵入や知覚が出来ない"という目眩ましの魔法はなぜ獣には効かないのか?


獣達には人を襲うにしても当然そこに罪の意識などない。

だから邪な考えとは、それが当人にとって悪いことであると認識されていなければ、魔法の対象足り得ないのではないか?と。

罪の意識を感じるのは、人間だけだ。


だからこそ、ずっとひっかかっていたのだ。

と、すれば、あの男は?


あの男は、罪の意識など一切感じていない。

私情を抜きにしても、これだけは断言できる。

何度も傷つけられてきた自分にはあの男の性質は痛いほどよくわかっていた。


ではなぜ、あの男は罪の意識を持っていないにもかかわらず、私を図書館でみつけられなかったのだろう。


考えて、仮説をたててみた。


図書館と森、かけられているのが同じ眩ましの魔法でも、その性質は異なっているのではないだろうか。

具体的には、魔法の対称となる条件が、異なっているのでは、と。


以前キョウが言っていた。


「図書館にかけた"見つからない魔法"は、例えば本を傷つけたり盗んだりするような邪な気持ちを抱く人間が目的のものを見つけられないようにする魔法です。」


つまり、図書館における"邪な考え"とは何かを傷つけたり汚したり持ち出したりする"行為を行おうとする意思"だと定義付けられていたのではないか。


これならあの男も容易に制限の対称となる。

図書館で私を探していたのは私を連れさり、痛め付けるためだったからだ。


対して、森ではもっと広く、想定可能な限りの悪意を定義付けた結果、"当人が罪の意識を持つ行為を行おうとする意思"としたのではないか。


これならば、あの男には当てはまらない。

もしもあの男がこの森に身一つでやってきたら、きっと数日のうちに難なく私達を見つけ出すだろう。


それをしないのは、まだこの事実に気づかれていないからか、あるいはリスクに対して確証に欠けるのか。


そういう意味では未だこちらを知覚できていないらしい望遠の魔女には少なからず良心の呵責、罪の意識があると言うわけだ。

まだこちらの方が話が通じるかもしれない。


(なんてね。)



「あ…」



考えるより先に足が止まった。


十数メートル先で、こちらを見つめている獣がいる。

狼だ。


それも、あの日の狼だ。

なぜそう思ったのか、自分でもわからない。

だけどアイツは、あの日、群れの先頭にいた狼だ。


私はここに向かっていたのか。

どうしてわかったのだろう。


狼はこちらを睨み付けたまま、低く唸っている。

その口の端からは、だらりと涎が垂れていた。


不思議と恐怖はなかった。


足元、指先、髪の1本1本のすき間で、風が、魔力が、意思を宿して燻ってている。私の命令が下るのを今か今かと待つように。


どうも無意識に魔力を外に出してしまっていたようだ。

いけない、あんまり無茶しちゃだめだ。


「駄目だ、けど…」


じり、と狼が一歩距離をつめた。

その体制は低く、私を獲物に、狙いを定めたようだった。

一呼吸おいて、狼は駆け出した。

まっすぐ、私に向かって。


開いた右手を風を切るように素早く狼に向ける。


「ギャンッ」


私との距離を1m間近までつめたところで、狼は短い悲鳴をあげてどさりと足元に倒れた。


先ほどはじゃがいも。

今度はもっと小さくて丈夫な。

近くに赤い液体をまとった小石が転がっていた。


しゅる、


爪先から螺旋を描きながら波紋のように空気の波を広げる。


自分の魔力が薄まりながらも広く空間に溶け込んでいく。

遠くの空気や、その温度が直接肌を撫でるような感覚。

望めばこの森の全てを知覚できるような全能感があった。

勿論、そんな方法は知らないけれど。


やや間があって、空気の中に見知った温度が2つあった。

正確な距離はわからないが、方向はわかる。

ヒスイやレイから予想よりずっと離れてしまっていたことに気がついた。


早く戻らないと。

心配をかけてしまう。


駆け出す前、狼に体を覆うように周囲の木の葉を被せた。




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