27. リザドール
その夜、エマは夢を見た。
何かとても大切な人と話をする夢。とても懐かしい気持ちになる、そんな夢だった。
けれど目を覚ますと、頭の片隅で余韻が残るのみで、それもすぐに現実の思考にかき消されてしまった。
朝日が窓に反射している。木々の隙間からは木漏れ日が差し込み、どこかで鳴いた鳥の声が澄んだ空気を揺らしている。
すっきりとした目覚めだった。
エマはベッドから出てのびをすると、自分の両手をまじまじと見た。昨晩魔法を使った手だ。
もちろん見た目にはなにも変わっていないが、それまでとは感覚がまるで違っていた。
手の内、体の中を廻る魔力の流れがわかるのだ。
それは今もくるくると忙しなく身体中をまわっていて、ぼんやりと熱を帯びていた。
魔法を使おうと意思をのせれば、それが昨晩のように発熱して、体の外でも操ることが出来るのだと、自然にわかった。
実際には、イメージ出来るようになったという方が正しいかもしれない。いずれにしても、大きな一歩に他ならなかった。
それは0が1に変わるほどの。
これを自在に操ることが出来るようになれば。
ようやく学園入学の希望が見え、エマは興奮気味に階下へ向かった。
「おはようございます。」
階段を降りると、キッチンでヒスイが朝食の支度を始めたところだった。
「おはようエマ。まだ寝ててもよかったのに。」
そう言ってヒスイはいつものようにエマの手伝い分のスペースをあけた。この頃朝食の手伝いは日課のようになっていたのだ。
「いえ、何をすればいいですか?」
「それじゃあ、卵の殻を剥いてくれる?まだ熱いから気を付けてね。」
「はい。」
器に入った6個の卵を剥きながら、朝食が3人分であることを察して、エマは小さく落胆した。
「キョウは、また出掛けてしまったんですね。」
「夜明け前にね。早ければ2、3日で帰ってくるって言ってたよ。」
「そう、なんですね。」
(せめて昨日のお礼だけでも伝えたかったな。)
気落ちするエマに、ヒスイは努めて明るい声で続けた。
「だからそれまでに魔法を上達させて、キョウを驚かせてあげよう?昨日、魔法が使えたこと、キョウから聞いてるよ。」
驚いてヒスイを見上げると、彼は悪戯っぽく人差し指をたてた。
もちろん心配性の母親のように一言付け加えるのも忘れずに。
「二人して夜更かしはいただけないけどね。」
「う、気をつけます。」
「うんうん。」
しゅんと反省するエマに、ヒスイは内心で自身の主人を思いうかべ、同じ言葉でもこうも違うかと腕を組んだ。
ちょうど朝食が出来上がる頃、レイが外から帰ってきた。
彼は基本外に出掛けていることが多く、それは食料や薪の調達だったり、宿場の補修や、熊や猪といった遭遇してしまったかつ攻撃性の高かった野生動物の狩り、そしてそれ以外、つまりほとんどは鍛練のためだった。
ちなみに運悪く遭遇し、かつ彼に襲いかかってしまった動物たちは血抜きから解体まで全て彼の手によって行われ、ヒスイに美味しく料理されては時々食卓に並んでいた。
残った毛皮などは町へ売りに出しているらしく、レイは町の住人にすっかり森に住む狩人だと認識されているそうだ。
もっとも今日は夜明け前からキョウを途中まで護衛し、見送ってきたらしい。
「そうだ、キョウから伝言、と、これを預かってる。」
朝食を終え、一息ついたタイミングでレイは小さな袋を手渡した。
エマはそれを両手で受け取ると、そっと中身を取り出してみた。
レイもヒスイも中は知らないようで、一緒に注視している。
それは一対の指輪だった、
白や透明にも見えるほど薄い銀色の、装飾のない小さくて細い指輪。サイズから考えると両手の小指にはめるものだろう、が、エマにはキョウが何を意図してこれを自分に与えたのかがわからなかった。
「リザドールだそうだ。」
エマが訊ねるより先に、レイがそう言った。
「リザドール。これが、私の。」
手に取って日の光で透かして見ると、より透き通るように見え、その様はどこかキョウの髪を連想させた。
エマはこの不思議な色合いがすっかり気に入って、小指にはめてみることにした。
が、ここで先ほどまで固まっていたヒスイから待ったがかかった。
「ちょっ、ちょっと待って。言いたいことは色々あるけど、ほんとに色々あるんだけど、どうして指輪!?」
「まあ、それは俺も思ったが…キョウなりに考えあってのことだろう。」
「え、指輪ってだめなんですか?私これ、素敵だと思います。」
「指輪のリザドール自体は珍しくないんだけどね。男女間での贈り物っていうのがうん、まあ、エマが気に入ったなら、いいんだけど。」
ヒスイは自身を無理矢理 納得させて、気を取り直した。
自分がこの場で一番の常識人だという自負が、彼を突き動かしていた。
「次!そもそもエマにはリザドール必要ないでしょ!むしろ使うと魔力暴走する可能性だって…」
「えっ」
今度はエマがショックを受けて固まった。
ヒスイの授業を受けはじめてから、リザドールへの憧れが少なからず芽生えていたためだ。
「それについては伝言がある。エマにリザドール自体は必要ないが、学園に入学したら触媒体質であることを隠す必要がある。そこで、リザドールの逆の役割をもつリザドールを準備していたらしい。ついでに、”お守り”としての役割もあるから肌身離さないようにとのお達しだ。」
「ああ、そういうこと…。」
ヒスイは納得して、思案の姿勢に入った。
一人置いておかれたエマが、聞きずらそうに声をあげた。
「逆の役割って…?」
そういえば詳しく話していなかったなと反省し、ヒスイが口を開いた。
「そもそもリザドールが触媒って意味なんだ。魔法を使える人間には魔力が廻っているけれど、その全てを魔法に変換できるわけじゃない。まして、より精密な魔力操作を行おうとすると感覚に頼るだけではどうしたって限界があるんだ。これを見ててね。」
そう言ってヒスイはどこかからインクとつけペンを浮かせて食卓まで呼び寄せた。
インク瓶にペンを浸すと、一定量のインクが吸い上がる。
そしてそのまま手近な紙に、1本の線を引いた。
「こんな風に、自分の感覚だけである程度まっすぐな線を引くことは出来る。だけど、これは完全な直線ではない。」
エマはうなずく。
ヒスイは今度はどこからか運んできた物差しを手にした。
「だけどここで、物差しを使って線を引くと。」
先ほどの線の隣にまっすぐな線が並んだ。
「ここで魔法で物差しの役割をするのが、リザドールなんだ。魔力を魔法にする時、より正確なコントロールができるようにする補助器具。そして、魔力の魔法への無駄のない変換を可能にする、いわゆる"魔力効率"を高めるものなんだ。
インクだって、同じ直線でも物差しで線を引いた方が距離が短くなる分、使う量が少なくて済むしね。」
なるほど、と腑に落ちた反面それがなぜ自分に不要なのか、エマは余計にわからなくなった。
ヒスイは続ける。
「それでね、エマに必要がないって言ったのは、エマが物差しなしでもまっすぐな線を引ける体質だからなんだ。」
疑問符を浮かべたエマにヒスイがあわてて補足する。
「あくまでも例えの話。触媒体質は、身体そのものがリザドールみたいなものなんだ。だから、通常魔力効率が高い人間でも、リザドールを使って100ある魔力の60程度が限界だと言われている。一部別格な魔法使いもいるけどそれは置いておくとして、エマ。」
ヒスイはエマに目を合わせて真剣な顔で次の言葉を紡いだ。
「君たち触媒体質は100ある魔力の100を魔法に変えられるんだ。」
「それは…」
もしかしてとても異質なものなのではないか。
エマはここでようやく、自分やキョウの異質さの片鱗を知った気がした。
「もともとの魔力量にもよるけれど、普通に魔法を使用していたら、少なくとも学園の教師は気がつくはずだ。だけどそれはまずいんだ。君が、触媒体質の生徒が学園にいると公になれば、君を苦しめていた男にもその事が知られるかもしれない。」
エマの表情が強ばる。遠ざかった気でいた驚異が背後に付きまとっていたと気づいてしまったのだ。仕方のないことだった。
「そこで、このいわば"逆リザドール"の出番だ。」
レイがきっぱりと言った。
テーブルの上の指輪は先程よりも頼もしく輝いて見える。
「キョウからは、"お守り"の効果は保証するから、これをつけている間は家の外に出ても問題ないと聞いている。」
「外に…」
エマが思いがけない言葉に驚いていると、レイが彼にしては珍しく、優しく顔を綻ばせて言った。
「魔法が使えるようになったんだって?家の中だけでは訓練しづらいだろう。」
見ると、ヒスイも笑顔で頷いている。
自分の成長を喜んでくれる人がいる。
エマは心臓の辺りが熱くなるのを感じながら大きく頷いた。
「はい!」




