15. 無自覚
「どういうこと?」
「…というか、お前も気にならなかったか。エマの言葉遣いや振る舞い。」
思い返すと、確かに彼女には良くも悪くも"子供らしさ"がなかった。それは恐らく大人に甘えられずに育ってきた彼女の生い立ちが原因だったが、改めて言われてみればそれだけでは説明のつかない違和感はあった。
まるで、厳格な両親のもと育てられた良家の子息のような大人との接し方。あるいは、行儀見習いに他家にメイドとして仕える下級貴族のような。しかしそれらは彼女の境遇とは縁遠いもののはずだ。
思案するヒスイに、レイは重ねて問いかける。
「 ただの平民にしては…というか、あの歳の子供にしては"まとも"すぎやしないか?」
「それって、あの子が何か嘘を吐いてるか疑ってるってこと?」
「いや、それも違う。だから困惑してるんだ。」
そんな話の最中に、ふと窓の外が陰った。まもなく十字格子の窓にぱたぱたと雨粒が当たりだす。
「降ってきたね。」
キョウは例によって外に出て、何らかの魔法でこの場所を隠しつつ見回りをしているはずだ。
本来ならばそれは自分達のどちらかの役割なのだが、3人しかいない生活で忖度せず適材適所に割り振った結果、レイが食材調達や大工の真似事、ヒスイが家事全般となると、どう考え直してもこうなってしまったのだった。
雨が降り始めてものの数分で玄関の扉が開いた。キョウだ。
背後では風に煽られてざあざあと音をたてながら雨粒の線が揺れていた。
「…ただいま帰りました。」
傘も持たずに出ていったわりに、キョウの身体は全く濡れていない。魔法を使ったのだろう。
「お帰り。今日も眩ましの魔法かけてきたの?」
「いえ、 それはすでに 一通りかけたので、今はこの家と森に例の守護を。これで少なくとも邪な目的で 近づくものは この家にたどり着くどころか認識することもできなくなるはずです 。」
「お得意のアレだね。」
キョウは静かに頷くと、肩にかかった髪を背中へ流した。
ただでさえ腰よりも長い髪が、湿気を含んでまとわりついて鬱陶しいらしい。
汗を流してきます、と部屋を後にしようとするキョウを、ヒスイがはっとして呼び止めた。
「あ、ちょっと待って。伝えておきたいことがあるんだけど、いい?エマのこと。」
「…ええ、どうぞ。」
これだ。エマの名前を出した途端、明らかに気が変わって話を聞く体勢に入った。
これまでのキョウであれば、間違いなく後にするか、手短な報告にとどまらせただろうに、あの少女が関わるとそれがこうも変わるとは。
人への興味のようなものが芽生えたのだろうか、ならば対象が限定的であっても、ヒスイには良い変化に思えた。
これまでが人間味に欠けすぎていたのだ。
「…というわけで。一通り入学試験に必要な知識や考え方はそれと言わずに確かめたんだが、歴史も科学も言語学も礼儀作法に至るまで何の問題もなかった。強いていうなら、問題演習の経験が不足しているが、それも3ヶ月あれば問題ないと思う。」
「そうですか。よい知らせでなによりです。」
「それだけ!?もっと驚かない?」
ヒスイが珍しく突っかかる。
それほど、改めて聞くと異常なことだったのだ。
学園に入学するとなると、幼い頃から様々な教育を受けてきた貴族の子息であっても、家庭教師をつけて学園入学のための勉強を何年間も行うものなのだ。
それが、これまで学校にも通ったことがない 平民の彼女がすでに学園入学、下手をすれば在学数年レベルにあるとレイは話したのだ。こんなことは通常では考えられない。
まったく、人に興味が出てきたと思った矢先にこれだ。
ヒスイのもどかしさを知ってか知らずか、キョウは付け加えた。
「驚いていますよ。ただ、その反面で納得してもいますが。」
「納得?」
キョウは言葉を選びながら、あるいは考えながら、言った。
「おそらく彼女は幼い頃に教育から引き剥がされ、教育の順序や優先順位といった…つまり教育の常識を知らずに知識に触れたせいで、持つ知識も私達の常識とはかけ離れてしまったのでしょう。
己の渇望のままに 興味を引かれるもの、目についたもの、それらに絶えず手を伸ばし続けた結果、 学園入学にあまりある知識を蓄えるに至ったのでしょうね。 」
何てことがないようにキョウは言うが、それこそ滅多にあることではないだろうと、ヒスイは思った。
本人にその自覚があるかは別としても、子供が奪われたものを奪った当人から取り返そうとするのではなく、まして不満を嘆いて癇癪を起こすでもなく、自分の手で、腐ることなくまるごと取り返してしまうなんてことは。
そんなこと、大人でも難しい。
たとえば、幼い子供が何かに見切りをつけて、小さな頭で自分の無力さを受け入れ続けた結果なのだろうかと、考えるほど胸が苦しくなった。
キョウとヒスイが黙っていると、報告後 聞き役に回っていたレイが口を開いた。
「…そう言われてみれば確かに、同じ分野の話でも専門家レベルの知識は知っているのにその辺の子供でも知っているような知識が抜けているところもあったな。」
彼としては、自分が座学の担当になった以上、エマの欠けているところを補うことに一人前向きだった。
キョウは少し笑って、席を立ちながらレイに言った。
「下手に勉強と意識させなくても、会話の中で足りない知識を探って補っていけばいいと思いますよ。問題演習についてはおまかせしますが。」
実際、本人に勉強のつもりもなくここまで来ている以上、エマの慣れている方法に合わせるのは得策に思えた。
レイも短く同意する。
「ま、あまり自覚がなさすぎるのも、考えものだと思うけどねー。」
部屋を後にするキョウの背を見送りながら、ヒスイが呟く。
ー数日前、夜ー
「これから忙しくなりますよ」
「あの、」
話が決まった直後、エマははっとして、先ほどの勢いはどこへやら、おずおずと手を上げた。
「どうしました?」
「ところで、なんですけど……私、魔法なんて使ったことないんですが、それでも大丈夫なんでしょうか?」
大丈夫なわけがないとわかりきったうえでの発言だったらしく、不安でどんどん声が小さくなっていく。
そんなエマの心境をよそに、3人は目を丸くして顔を見合せた。
キョウから彼女が炎で狼を追い払ったことを聞いていたからだ。
しかし、どうやら本人にその自覚はないらしい。
ここでありのままを伝えて、果たしてすんなり信じてもらえるものだろうか。下手な疑念はかえってほどくのが難しい。
なんと答えたものかとヒスイとレイが言葉を選んでいる間に、キョウが一歩前へ出た。
「大丈夫ですよ。あなたに自覚がなくても、私はあなたが魔法でつくった炎で狼を退けたところを見ていましたから。」
「わ、全部言ったね。」
と、ヒスイが呆れを通り越して引きぎみにこぼした。
「あいつの対人能力が職務以外でまともだったことがあるか?」
レイの表情が死んでいる。止めるのが一足遅かったのを後悔している顔だ。
しかし2人の心配をよそに、エマはきょとんとして呟く。
「あの炎を、私が……?」
恐らく、というか絶対に、納得も実感も沸いていないはずだが、エマはうわ言のようになんとか相づちを返した。
「そうなんですね…なら、大丈夫ですね。」
「ええ、何の問題もありません。心配しなくともじきに自分の意思でコントロール出来るようになりますよ。」
「ありがとうございます…」
彼女のどこかぼんやりとした返事に、キョウも危機感を抱いたタイミングで、エマが就寝を宣言したためその場はお開きになった。
口許に手を添え、長考の姿勢に入ったキョウの後ろで、これは先が思いやられるな、と、レイとヒスイは目配せをした。




