第81話 主婦吉宗の旅立ち
――年月は流れた。
かつて襷掛けをして庭を掃き、大奥に焼き芋を差し入れていた日々も、今では懐かしい思い出となった。
江戸の町は賑わいを増し、人々の暮らしも少しずつ豊かになった。
その影には、質素倹約と実利を重んじる将軍の姿があったと、誰もが口にする。
だがその将軍、徳川吉宗も、いまや齢を重ね、布団から起き上がることもままならぬ身となっていた。
薄れゆく意識の中で、吉宗は静かに目を閉じる。
薄れゆく意識の中で、吉宗――いや、かつて「私」であった主婦の記憶がふっとよみがえった。
スーパーのチラシを片手に、自転車で特売品を買い漁っていた日々。
「今日は大根が一本98円! これで今夜は煮物だわ!」
そんな、ささやかで忙しい毎日を送っていた。
――それが、気づけば紀州徳川家の御三家の若様に転生していた。
「勝ち組人生だ!」と思ったのも束の間。
家計簿を開けば、紀州徳川家も将軍家も、前世以上の火の車。
(なんでこうなるのよ! チラシ片手に節約していた私が、天下国家の家計まで任されるなんて!)
思い返すと苦笑がこみ上げてきた。
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それでも、私は主婦としての知恵で歩んできた。
無駄を削り、目安箱を置き、火消しを組織し、芋を焼いて皆と笑った。
象に驚き、大奥に焼き芋を差し入れ、時には失敗もしたけれど……。
「いやぁ、よき人生であったな」
口元に小さな笑みが浮かぶ。
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その時、廊下の方から慌ただしい声が聞こえてきた。
「上様! 襷掛けしてどこに行かれるのですか!」
「殿! 畑の草むしりは小者に任せてくだされ!」
「また殿中に薪を運び込んでおられるぞ!」
その声に、吉宗はかすかに目を開けた。
――次の世代が、私と同じことをしているのか。
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庭を思い浮かべる。
そこはもはや将軍家の威厳ある庭園ではなかった。
畝が整然と並ぶ畑。
庭木は梅や桜ではなく、柿や栗の果樹に植え替えられ、
花壇には菜の花や茄子の花――咲けば美しく、実れば食卓を潤す“一石二鳥”の花々。
節約癖は、確かに子や孫へと受け継がれていた。
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吉宗は満面の笑みを浮かべる。
「……これでよい」
静かに目を閉じ、穏やかな眠りの中へ。
主婦吉宗は、その笑顔のまま、死後の世界へと旅立っていった。
ここまでお読みくださり、本当にありがとうございました。
「節約主婦が徳川吉宗に転生したら?」という、ちょっとふざけた思いつきから始まった物語でしたが、気がつけば紀州から江戸へ、そして将軍としての一生を描き切るまでとなりました。
スーパーの特売チラシを片手に、自転車で走っていた主婦が、気づけば天下国家の家計を任される――。
象に驚き、焼き芋を広め、目安箱に火消しに養生所。史実をなぞりながらも、主婦目線で笑いを交えて描いてきました。
最後は吉宗の最期を通して、彼の「倹約の精神」が子や孫へ、そして未来へと受け継がれていく姿を残すことができました。
史実の吉宗も「米将軍」「倹約の将軍」として名を残しましたが、本作では「主婦吉宗」として、また違った一面を楽しんでいただけたなら幸いです。
改めて、ここまでお付き合いくださった皆さまに心から感謝いたします。
本当にありがとうございました。




