第77話 広南従五位下白象様、江戸城で将軍と対面
江戸城・西の丸下乗馬場。
広大な馬場に、人垣が幾重にも取り巻いている。諸大名や旗本、奥女中までが息をのんで見守る中、異国の巨獣――広南従五位下白象様がゆっくりと姿を現した。
「……で、でけえ……!」
「鼻が……動いたぞ!」
ざわめきとどよめきが広がる。子どもが悲鳴を上げて母親に抱きつき、大人たちですら後ずさるほどの迫力。
そのただ中に立つ徳川吉宗は、ただ静かに目を細めていた。
(うん、象だわ。動物園で見たのと同じ……でも、やっぱり近くで見るとすごい迫力ね)
転生前の記憶がある吉宗にとって、象は“見たことのある生き物”である。もちろん、こんな距離で向き合ったことは一度もない。ましてや餌を与えるなんて――動物園では夢のまた夢だった。
「上様!」
側に控える久通が、目をまん丸にして声を潜めた。
「まことに異様な姿……。ですが、上様はさほど驚かれておられませんな?」
「……まあ、思ったよりはな」
吉宗は苦笑し、肩をすくめる。
(――見たことある、なんて口が裂けても言えないわね……。でもみんなが驚きすぎてるせいで、逆に落ち着いてる自分の方が変に見えるじゃないの)
周囲の武士たちは冷や汗を流しながら「何という巨体……」「あのような巨獣を前にしても、眉ひとつ動かされぬとは……さすが上様」とひそひそ声。奥女中たちも袖口で口を押えながら「まあ、あの鼻!」「夢に出そう……!」とささやき合う。
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象使いが進み出て、果物を盆に盛って差し出した。
「餌を」
片言の日本語に、ざわつく家臣たち。
吉宗はためらわず、その中からひとつを手に取った。
途端に象が長い鼻をするすると伸ばし、器用につかみ取ると、もぐもぐと噛み砕いた。
「……おお」
吉宗の口から、思わず笑みがこぼれる。
(動物園じゃ柵の向こうで眺めるだけだったのに……こんな至近距離で、しかも自分の手から餌を食べてくれるなんて!)
胸の奥がじんわり温かくなる。子どものころ憧れた“象への餌やり体験”が、まさか江戸城で叶うとは。
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「さすが上様……! 象をも御するとは!」
「将軍家の威光、異国の獣にも届くか!」
周囲の家臣たちは感嘆の声を上げ、奥女中たちの目は尊敬の色に染まる。
だが吉宗は心の中で大きくため息をついた。
(いや、ただ餌をやっただけなんだけど……)
こうして、将軍吉宗と広南従五位下白象様の歴史的な対面は、江戸城下に新たな伝説を刻むこととなった。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
転生吉宗にとって、象は前世で動物園で見慣れた存在。
だからこそ「珍しい」というよりは「知っている」ものだったのですが……やはり目の前に現れると、その迫力には感動せずにいられません。
とくに、象への餌やり体験!
現代の動物園でもなかなかできないものですが、それが江戸城で実現してしまうのですから、これも転生の妙味というべきでしょうか。
次はいよいよ江戸での象様お披露目。
町中を巻き込んだ大騒ぎになること間違いなし――どうぞお楽しみに!




