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第71話 旅立ちの準備

長崎の港町に、いつになくざわめきが広がっていた。

波止場からほど近い空き地に、竹と板で囲いを巡らせた仮の柵が立てられている。

中では、巨大な灰色の生き物が、長い鼻をゆっくりと左右に揺らしていた。


「おお……あれが“象”ってやつか……」


「でっけえ……」


朝から押しかけた町人たちが、柵の外から身を乗り出すようにして見入っている。

象は時折、ぶしゅうっと鼻息を吐き、足元の青草を器用に口へ運ぶ。

そのたび、子どもたちは「うわぁ!」と声を上げ、大人たちも笑みを浮かべた。


長崎奉行所の役人たちは、人混みを押し返しながらも、象の世話係と輸送隊の準備に追われていた。


「囲いの補強は済んだか?」


「はい、竹を二重に組みました。万一暴れても、これなら――」


「……いや、それでもひと蹴りだろうな」


奉行所の下役がぼそりと漏らす。

象の足は、人の腰ほどの太さがあり、踏まれればひとたまりもない。

だからこそ、周囲には屈強な人足や警備役がずらりと並び、目を光らせている。


やがて、奉行所の奥から長崎奉行・竹村丹後守が姿を現した。

紺の裃に身を包み、腕を組んだまま象をじっと見つめる。


「……こうして間近に見ると、やはり尋常ならざる迫力よのう」


「はっ。京への道中もございますが、いかが取り計らいましょう」


「うむ。まずは餌だ。あれだけの体躯、一日に何をどれほど食う?」


飼育係の異国人が、片言の通詞を介して答える。


「青草、五十斤。芋、三十斤。水は……一日に樽、十本」


奉行と役人たちは顔を見合わせた。


「……馬百匹でも、これほどは食わぬぞ」


「費用は膨大になりますな」


「ふむ。そこで――」奉行は小さく頷き、事前に用意していた巻物を広げる。

そこには、江戸への旅費をまかなうための策が記されていた。


「京までは、各地で“見世物”として象を披露し、観覧料を取る。これを運搬費・餌代に充てるのだ」


役人の一人が目を丸くする。


「観覧料……ですか?」


「うむ。人は珍しいものが好きじゃ。象が歩くだけでも見物に来るだろう。

 ならば、ただ見せるだけでは惜しい。金を取って、費用に充てるのが道理よ」


周囲から感心の声が上がった。


「なるほど……さすが丹後守様」


「各宿場の町役人に前もって触れを回し、場所を確保させましょう」


奉行は頷くと、象の鼻先をじっと見つめた。


「お主も、これから長旅だ。大人しくしておれよ」


象は鼻を高く上げ、ぶおぉん、とひと声鳴いた。

その音は、港町の喧騒を一瞬かき消し、見物客たちを再び沸かせた。


その日から、長崎の港近くでは「象見物」の人波が絶えなかった。

子どもも老人も、商人も旅人も、一目この異国の巨獣を見ようと集まる。

そして、町のあちこちで「象せんべい」や「象の絵入り団扇」まで売られるようになり、長崎はちょっとした祭りのような賑わいを見せた。


数日後――。


荷駄の手配が整い、沿道の警備計画も固まった。

象は囲いから外へと引き出され、立派な飾り布を背にまとわされる。

鼻の付け根には、京都で授かったばかりの冠位を示す飾り紐が結ばれていた。


「では、京を経て江戸へ向かうぞ!」


竹村奉行の号令で、太鼓が鳴り響き、象の一行は港町を後にした。

沿道には人々が鈴なりとなり、手を振り、声を張り上げる。


「気をつけて行けよー!」


「江戸でも元気でなー!」


その声を背に、象は悠然と歩き出す。

長崎から始まった旅は、この後、京を経て、やがて江戸へと続いていく――。

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。

いよいよ広南従四位白象様が、長崎を後にして江戸へと向かうことになりました。

港近くの囲いの中でのんびり過ごしていた象が、ついに大移動です。

この先、京や各地の宿場でどんな歓迎を受けるのか――そしてどれだけの人々を驚かせるのか、楽しみですね。


主人公の吉宗は……しばらく出番がありません(笑)

けれども、江戸で待つ彼の耳にも、きっと象の評判が日々届いていることでしょう。

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