第70話 上様、象に冠位が授けられました
江戸城・中奥。朝の空気が張り詰める中、側仕えが足早にやってきた。
「上様、京より早馬にて書状が届いております」
「京から? さて、今度は何の用じゃ……」
吉宗は茶を置き、差し出された巻物を受け取る。器用に封を解いて広げていくと、途中で手がぴたりと止まった。
「……なに? 象に……冠位……?」
その場の空気が一変した。居並ぶ家臣たちが目を見開き、顔を見合わせる。
「冠位とは、あの……官位のことでございますか……?」
「うむ。京に立ち寄った象に、“従五位下”が授けられたと、そう書いてある」
「従五位下……五位とは、中堅の公家に与えられるものと聞き及びますが……」
誰もが言葉を失った。だが当の吉宗は、巻物を再び読み直し、やがて破顔して笑い出した。
「ははっ、こりゃあ、面白い! さすがは公家ども、よう考えるわ」
声にこそ出さぬが、その心中では主婦の目が冴え渡っていた。
(いやちょっと待って? 象って。あの体格よ? 一日いったい何をどれだけ食べるの。青草? それとも芋? 米? まさか人参?)
(下手すれば、城中の馬よりよっぽど食費がかかるんじゃないの? しかも運搬に人足、警護、囲いに寝床……。貰ったはいいけど、維持費こっち持ち? いやいや、そんな割に合わないこと――)
「して、その費用、どうするつもりか?」
吉宗は内心を悟らせぬよう静かに巻物を伏せ、問いかけた。
側に控えていた者が、次の巻物を差し出す。
「はい。長崎奉行からの報によりますと、道中にて象を“見せ物”とし、観覧料をもって費用を賄うとのことです」
「ほう……」
吉宗は一拍おき、にやりと微笑んだ。
「……ふむ、それは妙案じゃ。なかなか考えておるな。長崎奉行、あっぱれじゃ」
心の中で、大きくひと息をつく。
(助かった……!)
(象をくれるなら、飼育代と運搬費ぐらいセットにしてよね。こっちだって無限に財布があるわけじゃないのよ)
だが、それを表に出すことはない。表情ひとつ変えず、吉宗は涼しい顔で続ける。
「江戸に到着の折には、こちらでも同様に見世物として披露するとしよう。町人たちも喜ぼうて。……いや、驚くかのう」
「ははっ、さようでございますな」
「江戸の民のためにも、そして――上様のお懐のためにも」
家臣の一人が冗談めかして囁き、座の空気がわずかに和らいだ。
「……して、従五位下・象殿の、江戸入りはいつ頃になるのじゃ?」
その場の誰かが吹き出しそうになるのを、必死に堪えた。
吉宗は肩をすくめ、苦笑いを浮かべながら呟く。
「……まことに、面白き時代じゃのう」
象の続報が江戸に届きました。
まさかの――従五位下。れっきとした官位を賜った「象様」でございます。
報せを受けた吉宗も思わず「?」と固まり、江戸城内にはちょっとした衝撃が走ったとか走らなかったとか。
……だって、従五位下ですよ?
城内の役人の中には「象様よりも下」の身分の方も、きっと多かったことでしょう。
歴史の片隅にあるこの奇妙で愉快な逸話、少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。
次回はいよいよ――象、江戸入りです!




