第69話 真面目に迷走する宮中会議
朝廷の重鎮たちが集まった清涼殿には、いつもとは違う空気が漂っていた。
「……象、でございますか」
中納言が声をひそめて繰り返すと、周囲の公家たちがうむうむとうなずく。
「帝より『一目見てみたい』との仰せ、ありがたきことながら、これは容易ならぬことでございますな」
「そもそも帝に謁見できるのは、五位以上の者に限られておりますれば……」
「人間ですら、そのような厳格なる制を設けておるというのに……動物、それも異国の獣に対して、どうすべきか……」
御所の厳格な作法と、前代未聞の“象の謁見”という状況。誰一人として軽んじることなく、会議は異様な熱気に包まれていた。
「象というのは、仏教においては神聖な動物であるとか。白象が釈迦如来の御誕生に現れたという伝もあり申す」
「ふむ。白象ではないようだが、神聖なる存在には違いあるまい」
「ならば、冠位を授けるというのはいかがであろう。帝に謁見させるには、まず格式を与えるべきかと」
「異例ではあるが、我が朝廷としての威信にも関わることであろう。正五位下、象殿――など」
「待たれい。それではまるで、官職に就くが如し。将軍職とも釣り合いが取れぬ」
「ならば……従五位下、象将?」
「“将”はさすがに不敬かと。では象中納言?」
「中納言は摂政の近習では……それに、象が議政に与るとは思えませぬ」
「では、仮の冠位。臨時のものとし、“象少納言”あたりでどうかと」
「……少納言。響きは悪くないが、少々軽いようにも……」
「では、“象大夫”」
「……いっそ“象判官”」
「いや、動物に判を押させるつもりか」
やや苛立ちが見え始める中、太政官の筆頭が手を上げて言った。
「……冠位もさることながら、問題は、衣装でござる」
「――衣装?」
「冠位を授ける以上、然るべき礼装を着せねばなるまい。直衣か、狩衣か」
「象に……着物を?」
「左右の袖をどう通すかが難題ですな」
「そもそもサイズは?」
「反物にして何反必要か……いや、まて、それ以前に仕立てはどこに依頼するのだ……」
「某の知る限りでは、象というのは鼻で物をつかみ、水を浴び、耳であおぐと聞きまする。そのようなものに、直衣など着せれば……」
「破けますな」
「あるいは……袍の代わりに幕で覆い、これを礼服と見立てるというのはどうか」
「……妙案かもしれぬ。御簾のようなものをくくりつけ、背に装束風の布を垂らす……」
「さらに烏帽子を……」
「……乗せられますかな?」
「落ちますな」
「……では、いっそ着せず、冠位のみを与えて、装束は免除とする。異国の獣にしては、特例であると」
「うむ、それがよかろう。だが、礼拝の作法は?」
「拝礼……そうですな。人間ならば伏して額を地につけるところですが、象は……?」
「膝を折らせ、頭を垂れさせれば……」
「訓練が必要ですな。象使いにその旨伝え、宮中式の拝礼を仕込ませては」
「うむ、拝礼のないまま帝の御前に出るなど、もってのほか。神使であろうと礼節はわきまえねばなるまい」
「……象、御簾の前にて一礼、いや一伏、耳をたたみて静かに……」
「おお、それは優雅であるな」
「――では、謁見の段取りとしてはこうである」
筆頭が巻紙を手に取り、まとめに入ろうとした瞬間――
「……あの……ひとつ、よろしいでしょうか」
若年の蔵人が、おずおずと口を開いた。
「……その……象、そもそも御所の門を、通れますでしょうか」
静まり返る清涼殿。
誰もが、顔を見合わせた。
「……」
「……」
「……通れぬな」
「……門より先に、まずは……厩舎の整備か」
「いや、その前に、庭を掘り返して、象の寝床を……」
「水場の用意も」
「……会場は二条城に変更いたしましょうか」
「――異論なし!」
かくして、会議は象の官位から拝礼、衣装、会場設営に至るまで真剣に迷走を続け、最終的には「二条城での公式謁見」「象少納言に臨時冠位授与」「拝礼は首を垂れる形にて代用」など、実に細かく決定されたのであった。
誰も笑わず、誰も気を抜かず――すべては、帝のお心を損ねぬように。
前代未聞の“象の謁見”に向け、宮中は動き出していた。
実はこの象――実際に「広南従四位白象」という冠位を授けられています。
その事実を初めて知ったとき、「いったいどんな会議を経て決まったんだろう……?」と、思わずニヤニヤしながら想像を巡らせてしまいました。
今回はその“迷想”をもとに、象の謁見をめぐる真面目でちょっとズレた宮中会議の様子を描いてみました。
歴史の記録にぽつんと残された“冠位授与”の裏側――
本当にこんなやりとりがあったかもしれない……そんな気持ちで楽しんでいただけたら嬉しいです。




