第68話 象、京へ参内!? 御所、大いにどよめく
都・京。
公家屋敷が並ぶ御所の周辺は、梅雨の晴れ間に静けさが満ちていた。
政の実権は江戸に移って久しく、今やこの都では、格式と礼儀がすべてを形づくっていた。
その静謐を破ったのは――南からの一頭の象であった。
「所司代様! 長崎より飛脚が参りました!」
「飛脚? この時期に……何事か、穏やかでないな」
所司代は文を受け取り、封を切った。
目を走らせたあと、しばし硬直する。
「……は?」
「いかがなされましたか?」
「長崎に……象がやってきたそうだ」
「ぞ、象……と申しますと……あの鼻の長い……?」
「そう、南蛮よりの献上品。上様へのもので、江戸へ送る前に京に立ち寄り、朝廷にご挨拶を、とのことだ」
所司代は眉をひそめ、巻紙を巻き直した。
「……これは御所にお伝えせねばなるまいな。軽々しく決められる話ではない」
「……南蛮より象、とな。しかも、朝廷へ挨拶を――と申しておるのか」
所司代は眉をひそめ、巻紙を静かに巻き直した。
「……これは御所にお伝えせねばなるまいな。軽々しく決められる話ではない」
隣に控えていた側役が、やや緊張した面持ちで一歩進み出る。
「御所へは、いかが取り計いましょう」
「まずは太政官に取り次げ。文を添え、長崎からの申し出の趣を伝えよ」
「承知いたしました……象、でございますか……」
思わず漏れたそのひと言に、所司代は苦笑を交えつつ溜息をつく。
「わしとて半信半疑だ。だが、現に象が長崎に届いたという。……そう書かれておる」
「献上の品として江戸に送るにあたり、まず京を経て、帝へ一礼を通したく――との配慮だそうだ」
所司代は机に向かい、筆を手に取った。
「いずれにせよ、最終のご裁可は御所に仰がねばなるまい」
墨を含ませながら、ぽつりと呟く。
「……象など、神仏の使いのように見なされるやもしれぬ。公家方がどう受け取るか、慎重に見ねばな」
こうして、異国からもたらされた異形の知らせは、静かに、しかし確かに、都の奥――御所へと上げられることとなった。
*
白砂を敷きつめた清涼殿の一隅。御簾の奥、文机に向かっていた帝は、太政官よりの報せを手に取ると、眉をわずかに上げた。
「……象、とな?」
静かに響いた御声に、控えていた公卿たちが顔を見合わせる。
「長崎より、南蛮渡来の象が献上されるとのこと。江戸へ送られる前に、当今へ謁見を――との趣でございます」
太政官筆頭が丁重に補足すると、帝はしばし沈思黙考したのち、唇の端にかすかな笑みを浮かべた。
「聞けば、象とは大きく、牙を持ち、鼻長き獣とか……。神代の獣を見んと申されても、不思議はあるまい」
「南蛮の献上品となれば、朝廷を素通りして江戸に向かうわけにもいかぬかと存じます」
「まこと、時代も変わったものよ。異国の獣が、今や都に姿を見せるとはな」
その場に居並ぶ公家たちは、驚き半分、興味半分といった様子でざわめいた。
「それにしても、象とは……まるで仏法の守護獣のような響き」
「東天に現れし神獣、とすれば瑞兆とも受け取れましょうな」
「都入りの折には、賀の儀を設けるべきかもしれませぬ」
帝は御簾の奥から皆の言葉を静かに聞き、やがてゆるりと頷いた。
「よかろう。せっかくのことじゃ。都に立ち寄る折には、拝見いたしたく思う」
「帝に拝謁するとなれば、たとえ象とはいえ、何らかの官位を授けねばなりますまいな」
「ふふ……官位を授けるか。いかにも、この国らしい話じゃ」
一同の間に、わずかな笑いが広がった。
だがその笑いの裏には、朝廷としての威信を保つという、静かな緊張感も漂っていた。
いかなる“象”であれ、都を経るならば、それは“帝の都”を通るということ。
かくして、象をめぐる騒動は、京の奥深くでもじわりと広がり始めていた――。
まさかの象、まさかの京立ち寄り――というわけで、江戸へ向かう前に御所が騒然となる一幕でした。
この時代、象は“ただの動物”ではなく、神仏や権威の象徴として特別視されていた存在。
拝謁するなら「官位が要るのでは?」なんて発想が、真顔で議論されるのがまた面白いところです。
さて、果たして象に位が与えられるのか?
そして、都の人々の反応は――次回もどうぞお楽しみに!
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