第67話 象の行列、道中支度始まる
数日後――長崎奉行所。
江戸からの早馬が着いたと聞き、今村奉行はすぐさま文を受け取った。
封を切り、巻紙を広げる。さらさらと綴られた将軍の直筆の文字を一読し――
奉行は、深く、長いため息をついた。
「……上様め。こちらに丸投げしてきおったな……」
文にはこうあった。
「献上の意、しかと承知した。道中の采配は、そちらの判断に任せる。そちらでよきように手配せよ」
それだけ。簡潔すぎるほど簡潔な命だった。
「まこと、潔いお方よ……」
遠い目をしながら呟くと、奉行は机に肘をつき、重たく頭を抱えた。
やがて意を決したように顔を上げると、控えていた役人たちに命じた。
「至急、象を江戸へ運ぶための行程を調べよ。通れる街道はどこか、どこで泊をとるか、その間、象をどう繋ぐか――すべて詳細にだ。江戸まで何日を要するか、餌の調達費も見積もれ」
「は、ははっ!」
役人たちは顔を見合わせ、一斉に駆け出していく。
「……餌代だけでも相当な額になるぞ……」
ぽつりと漏らした奉行は、机の端にあった筆を手に取った。
次に書くのは、京への書状である。
「帝へお目通り……形式を重んずる以上、避けては通れぬか」
筆先に墨を含ませながら、奉行は静かに構えた。
「京にも、早馬を立てねばならぬな」
南蛮渡来の巨獣を巡る前代未聞の大移送計画が、今、長崎で本格的に動き出そうとしていた――。
*
その頃――長崎港近くの仮囲い。
奉行所の若き役人・大塚は、囲いの中にたたずむ“象”を見上げていた。
巨体の生き物はのっそりと草を噛みしめている。傍らには、褐色の肌の男――象使い――が腰を下ろし、静かに見守っていた。
「拙者、長崎奉行所の者である。お主がこの象の世話役か?」
象使いはゆっくりと立ち上がり、無言で一礼した。
「この象について、いくつか尋ねたい。……まず、一日に、どれほど歩かせることができるのか?」
通詞が訳すと、象使いはしばし考えるそぶりを見せたのち、両手の指を三本ずつ立てた。
「……三十里(約120キロ)ではあるまいな」
大塚が困惑すると、通詞が補足した。
「三十“町”ほど……およそ十二キロでございます。地形にもよりますが、それ以上は無理かと」
「ふむ……思ったより遅いな」
「象は……歩みは遅くとも、疲れにくい、と申しております。ただし、暑さには弱い、と」
「なるほど……」
大塚は巻物を取り出し、手早く書き記していく。
「では次に、象が食べるものについて聞きたい。どのような餌を、どれだけ食べるのか?」
象使いは嬉しそうに笑みを浮かべ、手振りを交えて語り始めた。
「青草、干し草、果物、木の葉。……一日に百、いや百五十斤(およそ90kg)ほど、と」
「……九十キロ!? それを毎日!?」
思わず声を上げた大塚に、象が鼻をふんっと鳴らして応じた。
その姿に、周囲の町人たちが遠巻きに笑いをこらえる。
「……まさかとは思っていたが、本当に食費だけで金蔵が空になる……」
「水も、一日で大樽五、六は必要と……」
「餌と水だけで、荷車が何台要ることか……」
頭を抱えかけた大塚だったが、ふと、目の前の象を見た。
象はゆったりと鼻を振り、象使いが差し出したスイカを器用につかんで口に運んでいる。
その巨体のわりに、動きはどこか愛嬌すらあった。
(……これが、町で見られるなら銭を払ってでも見たいと思う者は多いだろうな)
大塚はふと、何かを思いついたように筆を止めた。
(……これを、うまく使えれば)
大塚は象使いに向き直り、深々と頭を下げた。
「貴重なお話、感謝いたす。引き続き、象の世話を頼む」
象使いは静かにうなずき、象の耳元を優しく撫でた。巨体はゆっくりと鼻を揺らし、また草を口に運んでいる。
大塚は囲いを後にし、足早に奉行所へと向かった。
――あの象が、自らの餌代を稼ぐとしたら。
その突飛な考えが、本当に通るものなのか。
いや、奉行になら話してみる価値がある。
真夏の日差しの下、大塚の足取りは妙に軽かった。
江戸からの指示は「よきように手配せよ」。つまり丸投げです。
長崎奉行、がんばれ!……と、他人事のように見ている吉宗。
象は一日90kg以上も食べる大食漢。水もたっぷり飲むし、歩くのはのっそり。
「……これ、どうやって江戸まで運ぶの?」という疑問が、だんだん現実味を帯びてきました。
そして、見世物興行という禁断(?)のアイデアが浮上!
倹約主婦魂が、まさか奉行所にまで伝染した!?
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