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第64話 現代主婦、江戸の刑法に挑む

老中・松平乗邑が、静かに口を開いた。


「それでは改めて――重罪の刑罰については、この方針でよろしいかな?」


張り詰めた空気の中、一同の視線が注がれる。


「殺人は原則として死罪。ただし、正当防衛や過失と見なされた場合には、遠島や追放などの軽減措置を取る」


「強盗――とくに夜盗や押し込みといった、武器を伴うものについては死罪。単独の犯行や、金額が少ない場合には、百叩きで済ませることもある」


「放火は最も重く扱われておる。町家の多くは木と紙。火付け一つで町全体が灰となるやもしれぬ。よって、町中での放火は死罪、無人地であっても遠島、あるいは追放とする」


その言葉を聞きながら、吉宗はゆっくりと腕を組み、ひとつ息をついた。


「死罪とするのは、致し方あるまい……。だが、磔や火あぶりとなると、いささか残虐すぎはせぬか? 命を奪うのであれば、せめて苦しみなきよう……絞首で済ませることはできぬのか?」


室内が一瞬、ぴたりと静まり返る。


やがて乗邑が、少し声を落として答えた。


「上様のお心、もっともにございます。しかしながら、これらには“見せしめ”の意味もございます。とりわけ放火――その恐ろしさを民に知らしめることが、最大の抑止となるのでございます」


吉宗は小さく息を吐いた。


(……理屈は、わかる。けれど、“見せしめ”のために苦しみを与えるだなんて……)


そんな迷いを押し隠すように、言葉を重ねる。


「では、重罪の罰に“重過料”を加えることはできぬか?」


一同がわずかにざわつく。


「命を奪うのであれば、その前に、財産を失わせる――一両の重みは、民によって天と地ほどに異なる。罪の重さに応じて財産を召し上げれば、それもまた、大きな罰となるはずだ」


勘定奉行が慎重に口を開いた。


「上様、それは罰金とすることで命を救うというお考えでございますか?」


「いや、命を奪うことは避けられぬ罪もあろう。だがそれでも、命の前に“生活”を奪う罰もまた必要ではないか。命を絶たずとも、再起を断つほどの打撃を与えることはできる。


「……罪によっては、相手に多大な損害を与えることもあろう。命を奪えば家族の暮らしが失われるし、盗みや火付けでも被害は甚大だ」


「それを思えば――過料は、ただの罰ではなく“償い”でもあるべきではないか」


奉行たちは黙って頷く。


吉宗は続けた。


「命をもって償う罪もあろうが、それに至る前に、財産をもって償わせるのも道理だ。故に重過料――これは重罪にも適用すべきだと考える」


「全財産を没収され、さらに罪人としての刻印を負い、追放される。あるいは、命まで奪われる。そのすべてをもってして、ようやく償いが成るのだ」


奉行たちはしばらく押し黙っていたが、やがて誰からともなく深くうなずいた。


「……上様のお考え、もっともにございます」


「……重過料、導入といたしましょう」


吉宗は深く頷くと、語調を戻して言った。


「それでは、重罪の処罰は“死罪を基本とし、必要に応じて重過料を加える”としよう。次に、軽き罪についての処置を定めようか」


町奉行・大岡忠相が一礼し、慎重に言葉を選びながら口を開く。


「現状では、窃盗や喧嘩、器物損壊、無断立ち入り、軽微な賭博など、いわゆる軽き罪については、百叩き、過料、追放、あるいは叱責のいずれかをもって裁かれております」


「では、軽き罪のうち、まずは窃盗より定めよう。現状、町奉行所ではどのように裁かれておるのか?」


忠相が報告するように一歩進み出た。


「物品の価値によって大きく分かれております。高額の窃盗、たとえば金銀や高価な品を盗んだ場合には、百叩きまたは追放。盗んだ額が少なければ、叱責あるいは過料となります。が……明確な線引きがございません」


「明確な線引きが、ない?」


「はい。盗んだ先が富裕の商家か、貧しき長屋か、また盗んだ者の素行なども加味されて、担当の役人の判断に委ねられております」


吉宗はしばらく考え込んだのち、ぽつりと漏らす。


「……いくら以上が重罪、といった目安がある方が、公平ではないか?」


忠相は頷きながら応じた。


「その通りでございます。目安を設ければ、奉行所の者も判断しやすくなりましょう。たとえば――三分(銀約30匁=現在の数万円程度)以上は百叩き、五分を超えれば追放相当といった案もございます」


吉宗はうなずきつつ、さらに問う。


「では、三分以下であれば?」


「事情によっては叱責あるいは過料――つまり罰金にとどめております」


「うむ、それでよかろう」


吉宗は深くうなずき、卓の上の帳面を閉じるような仕草を見せた。


「では、軽き罪については、従来通りの過料にて――あとは罪ごとの細目を定めてゆくとしよう」


忠相が再び前へ出て、一礼ののち、丁寧な口調で言葉を継いだ。


「では、引き続き、その他の軽き罪について申し上げます」


「まず、喧嘩でございますが――刀傷など、血が出るほどの争いとなれば、百叩きあるいは追放。双方の合意による喧嘩であれば、共に過料にとどめることもございます」


「器物損壊――たとえば、店先の品を壊したり、壁を破ったりした場合も、損壊の程度により、百叩きもしくは過料を課しております」


「無断立ち入りにつきましては、他家の屋敷に勝手に入り込んだような場合――私事であれば叱責あるいは軽い過料、公務や不審の動きがあれば、追放の処置となることもございます」


「また、賭博――これにつきましては、銭の額や規模によります。賭場を開いた者、あるいは常習の者については追放。町角での小銭の勝負程度であれば、叱責または軽過料にて処しております」


吉宗は黙って耳を傾けながら、時おり頷いた。


「ふむ。いずれも、ある程度は状況を見て裁かれておるというわけか」


「はい。被害の有無、常習性、本人の素行、地域の治安なども勘案して、奉行所にて適宜判断いたしております」


吉宗はしばし考え込んだのち、穏やかに口を開く。


「……よい。細目についても、後ほど記録に残すよう整えておこう」


吉宗はゆっくりと腰を上げ、全員を見渡すように目を巡らせた。


「これらの法は、民を縛るためのものではない。守るためのものであらねばならぬ」


静かに、しかし確かな響きをもって、言葉が落ちる。


「重すぎてもならぬ。軽すぎてもならぬ。民が納得し、役人も迷わぬよう――正しく、明らかなる裁きがあってこそ、世は安んずるものと心得よ」


そのまなざしに応えるように、老中らが一斉に頭を下げる。


こうして、吉宗のもとで進められる「御定書」の整備は、形を成していったのだった。

江戸時代には、現代のように明文化された法律は存在せず、罪と罰は奉行や役人の裁量に任されることも多々ありました。そしてその刑罰は、現代人の感覚からすると非常に重く、残虐ともいえるものが多かったのです。


今回作中に登場した「御定書」は、史実のものとはかなり異なり、吉宗(=元主婦)の視点から、現代の価値観や合理性を取り入れて再構成した“オリジナルの御定書”となっています。罰金制度や財産に応じた過料、さらには絞首刑による人道的処刑など、現代の法律制度を参考にしながら、吉宗が「この時代でも導入できそうな範囲」で改革を進めた、という設定です。


法律とは、時代と共に変わっていくもの。

どこまでが“抑止”で、どこからが“残虐”なのか。

その線引きに、吉宗は苦悩しながらも一歩を踏み出しました。


法整備が済んだことで、これからはいよいよ現場での運用――

町奉行たちがどう動くのか、次回もぜひご期待ください。


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