第63話 裁きに、秤を
江戸城・柳間
畳張りの広間に、格式ある面々が静かに揃っていた。
中央には老中・松平乗邑。
その左右に、北町奉行・石河政朝、南町奉行・大岡忠相。
さらに、補佐役として町奉行所の与力数名が控えている。
しんと張り詰めた空気の中、松平乗邑が一歩進み出ると、重々しく口を開いた。
「これより、公事に関する定めを編む――“公事方御定書”の草案について、諸君と意見を交わしたい」
小さく頷いたのは、北町奉行の石河政朝だった。
「まずは……罪の種類を明らかにし、重軽を整理するところから始めては如何かと存じます。そうせねば、それに見合う罰もまた、奉行ごとにばらつきが生じてしまいましょう」
南町奉行の大岡忠相が続いた。
「左様。まずは“重き罪”から取り上げ、そのうえで、それに見合う刑を定めてゆくのが順当かと考えます」
松平乗邑は静かに頷いた。
「では、重罪より始めよう。殺人、強盗、放火……いずれも命や暮らしに関わる大事。これらについて、まずは意見を」
忠相が慎重に言葉を選ぶように口を開く。
「現段階における裁きでは、殺人は原則として死罪。ただし、正当防衛や過失によるものと見なされた場合には、遠島や追放といった軽減措置が取られることもございます」
「強盗――とりわけ夜盗や押し込みといった武器を伴うものについては、死罪あるいは磔。単独での犯行、また金額が少ない場合には百叩きに留まることもございます」
「放火は最も重く扱われております。人家のある町中での放火は、原則として死罪。無人地や田畑への火付けであっても、遠島や追放が下されます」
そして一呼吸置いて、付け加える。
「ただし……これらはいずれも奉行所ごと、あるいは担当の者によって、量刑に大きな幅があるのが実情にございます」
その言葉に、吉宗はふと思い出したように問いかけた。
「……よく、お裁きで“市中引き回しのうえ”という言葉を耳にするが、あれは刑罰ではないのか?」
忠相がやや目を丸くして答える。
「はい、重罪の際に、見せしめとして刑に付加されることがございます。“市中引き回しの上、獄門”などはその代表例にございます」
隣の政朝が、不思議そうに眉をひそめる。
「……上様。失礼ながら、その言葉は通常、町奉行からの報告書には記されぬことが多いのですが……なぜご存知で?」
「……っ、それは……ええと、だな……昔、そういう話を耳にしたことがあった気がしてな……」
吉宗は咳払いでごまかしながら、目を逸らした。
(だって、時代劇じゃよく聞くもの……!)
忠相の報告が一段落し、政朝が口を開いた。
「……では、これら重罪の刑罰については、この方針でよろしいでしょうか?」
一同の視線が、上座の吉宗に向けられる。
しばし沈黙――吉宗は眉根を寄せ、首をかしげた。
「……うむ……いや、あの……ひとつ、聞いてもよいか?」
「はっ、何なりと」
「この時代……いや、この世では、こうした重罪に対して……皆、これほどまでに厳しい刑を課すのが、普通なのか?」
室内が、わずかにざわめいた。
忠相が慎重に答える。
「上様、重罪に対しては、厳罰をもって臨むのが、古来よりの慣わしにございます。民の規律を保ち、犯罪を抑えるには、やはり相応の刑罰が必要と――」
「いや、もちろん、それは理解しておる……が……命を奪えば即・死罪、というのは、やや極端ではないかと、ふと思ってな」
吉宗は言いながら、心の中で自分の感覚と、今いる時代との距離をかみしめていた。
(……現代――いや、わたしのいた時代では、たとえ殺人でも、無差別大量殺人でもなければ、死刑になることはそうそうなかった。多くは無期懲役。服役して償わせるという形で……)
そして、そっと問いを口にする。
「ところで、この時代に……“懲役刑”というものは、あるのか?」
政朝と忠相が顔を見合わせたのち、忠相が答える。
「懲役……刑?」
「労役が罰になるのですか?」
吉宗は少し戸惑いながらも、補足した。
「そうだ。年単位で働かせる。たとえば“懲役五年”などと定め、期間中は自由を奪い、働かせることで社会的責任を果たさせる」
政朝が首をかしげた。
「働くことが……罰、ですか?」
忠相も苦笑しながら続けた。
「農民や職人は毎日汗を流しておりますゆえ、それを罰と言うと、世の者たちが困惑いたしましょうな」
吉宗は思わず頭を抱えた。
(いや、わかってる。わかってるけど……でも、刑罰として“自由を奪われる”ことの意味も、決して軽くはないのよ……)
その時、吉宗はふと顔を上げた。
「では、反省する時間も、償う機会もない……?」
その一言に、自分でもはっとする。
――そうだ、これでは“償う”というより“裁いて終わり”ではないか。
現代では、刑に服しながら、自分の行いを見つめ直す時間が与えられていた。
だが、この時代の刑罰は、ほとんどが“切り捨てる”ためのものだ――。
吉宗は、袖の中でぎゅっと拳を握った。
吉宗は思わず、ぞっと背筋が冷えた気がした。
今回は、公事方御定書の編纂に向けて、吉宗が「法とはなにか」を問い直す場面を描きました。
現代では当たり前の「法律による裁き」ですが、当時は奉行の裁量に大きく左右されることも多く、同じ罪でも今回のお話では、吉宗たちが「法律を定める」という、今では当たり前のようでいて、当時としては大きな一歩を踏み出す場面を描きました。
現代の私たちからすれば、「法がない」という状況はまさに恐怖そのもの。
なにせ、罪に対する罰が奉行の“その時の判断ひとつ”で変わってしまうのですから。
しかも、当時の刑罰を調べれば調べるほど、その厳しさに背筋が凍る思いがします。
打ち首、磔、市中引き回し、連座刑――現代ではとても考えられない処罰が日常的に行われていたのです。
さらに、取り調べでは拷問も“証拠”として認められていた時代。
体罰も当然のごとく行われていました。
……きっと、吉宗も「本当にこれが正しい裁きなのか」と深く悩み、現代人である“彼女”としては、衝撃を受けたことでしょう。
それでも、そうした矛盾や不条理に気づき、ひとつずつ「整えていく」ことが、彼(彼女)らしい改革の始まりだったのだと思います。
次回はいよいよ、公事方御定書の具体的な内容へ。
吉宗の葛藤と奮闘に、どうぞご期待ください!
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