第61話 揺れる裁きの基準――北町奉行・石河政朝の葛藤
江戸の町に夕暮れの影が差し始める頃、北町奉行・石河政朝は一人、机上の帳面に目を落としていた。
今日も一件、盗みの罪で町人を裁いたばかりだ。
だが、残された帳面に並ぶ過去の裁例を眺めるうち、彼の眉間には深い皺が寄っていた。
「……同じ窃盗でありながら、ある者は百叩き、ある者は追放、またある者は説諭のみで済まされておる。裁く者によって刑が異なるなど――断じてあってはならぬこと。これは、法の権威を損なうものであろう」
思い悩んだ末、政朝は文机に向かい、筆をとった。
ーーー
南町奉行 大岡越前守殿
御機嫌麗しきことと存じ上げます。
突然のご連絡、失礼つかまつります。
実は近頃、職務の中で、どうにも心に引っかかる件があり、貴殿のお知恵を拝借できればと思い筆を取りました。
つきましては、本日夕刻、そちらへ伺わせていただきたく存じます。ご多忙のところ恐縮ではございますが、少しばかりお時間を賜れましたら幸いにございます。
恐惶謹言
右京町奉行 石河備中守政朝
ーーー
短く要件をしたためると、脇に控えていた同心に手渡す。
「この文を、至急南町奉行所へ届けよ。」
*
仕事もひと段落つき、石河政朝は南町奉行所へと向かった。
数刻前に出した文に目を通していたのか、政朝の姿を見つけた忠相が、すぐに歩み寄る。
「これは政朝殿、わざわざご足労いただき恐縮です。どうぞ、こちらへ」
奉行所の一室に通された政朝は、腰を落ち着けると、ゆっくりと切り出した。
「先日、盗みの裁きを任された折のことです。
ある者は百叩き、ある者は追放、またある者は説諭のみ――同じような罪でありながら、過去の記録を見れば、その量刑がまちまちでしてな」
忠相が軽く目を細める。
政朝はわずかに息をつき、続けた。
「裁く者によって刑が異なるというのは……やはり、おかしなことではございませぬか。
私は以前より、法そのものを整備すべきではないかと考えておりまして……。
大岡殿のお考えも、ぜひうかがいたく、こうして参った次第です」
忠相は少し眉をひそめ、政朝を見つめた。
「法整備、か……。確かに、現状では奉行の裁量に任される部分が大きい。だが、裏を返せば、それが江戸の裁きの柔軟さでもあった」
そう前置きしつつも、忠相は微笑みながら言葉を続けた。
「ですが、政朝殿の仰ること、ごもっともです。改革も一段落し、上様も今なら話を聞いてくださるかもしれませんな。法を定めることは、民にとっても安心につながりましょう」
今回は、北町奉行・石河政朝が「同じ罪にして異なる裁き」に疑問を抱くお話でした。
町奉行として日々の裁きに関わる中で、彼が感じた「法の不確かさ」は、享保の改革の一柱となると大きな改革へと繋がっていきます。
次回はいよいよ、政朝と忠相が上様に謁見し、吉宗が動き出す場面を書いていきますので、どうぞお楽しみに!
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